第19話




「───いきなりなんだ、貴様」


 背後から繰り出された一撃。


 朔夜が視界の端で捉えたのは、金属製の鈍い色を全身から放っている鎧姿の大男だった。


 それに対して朔夜は慌てることなく、腰に佩びた刀を即座に振り抜いて襲撃者を一閃した。


 後出しの動きにも関わらず相手に先んじて到達する。それ程の速さだった。


 抜いたと言っても刀身を引き抜いたのではなく、鞘の状態で腰から抜いたということ。


 朔夜としてはどれ程悪逆な者だからといってもいきなり殺すのではなく、生かして捕らえ、話を聞くことが職務上最適だと普段から考えている。


 なにより相手をするのは大切な民だ。その者らの命を自らの手で狩ることなど将軍家の人間として許されることではない。


 その信念のもとに、朔夜の佩びる刀は決して刀身が晒されることがないようにきつく鞘と鍔を紐で締められている。


 だから当然、しかも軽く振り抜いただけのそれで相手が死ぬことなどないのだ。


 だが……


「安心しろ。殺しはしない。ただの鞘打ちだ……うわぁ⁉」


 情けない声を上げて思わず驚愕する朔夜。


 当然だろう。殺す気のない一撃。それで相手が死んだのだから。


 いや、正確に言えば死んだというより……


「首が……ないだと?」


 目の前に広がる光景は一見衝撃的なものだ。なんせ鎧の首と胴体が見事に断たれているのだから。


 ……しかし不可解でもある。


 朔夜の剣戟は鞘を付けたもの。つまりは打撃。


 それで相手の首を切ることなど出来はしない。


 更に疑問はある。


 本来なら流れる筈の血は一切なく、それはまるでただ鎧が分解して倒れているだけと言った感じでしかないのだ。


 動きのない甲冑を改めて確認する朔夜。


 その造りや外装は明らかにこの国の物ではない。本で読んだことのある西洋甲冑だろうか。


 沈黙を続けるそれに、あれで終わったのか? と手応えのなさを感じた。


 そうであるなら長居は無用。


 急いでこの場を立ち去って伊勢と篠原先輩の援護に向かわんと歩みを再開しようとしたとき、朔夜は軋みの音を聞く。


『────ギィ』


 錆びた金属が擦れる。


 耳障りなそれに自然と警戒心を持つ朔夜は一歩引いた。


 朔夜は抜いた刀を再度腰に戻して、手を添えた。居合の構えだ。


 対して黒く重厚な甲冑は糸に動かされる人形のように不自然な動きで立ち上がる。


 明らかに非生物的な挙動だ。


 そんなことが起きる状況など限られたもので、つまりは……


「こやつも降魔、か……」


 頭部のない鎧は転がる兜を持ち上げて自身に載せた。


 相手は降魔だ。


 しかし自分の意思ではなく、あの人形によって穢れとされたのであればそれは被害者。


 切るわけにはいかない。


 改めてそう誓い、腰の位置で刀を支える左手に掛かる重さを意識した。


 我々同心が降魔と立ち合う時、外部からの侵略者であるものなどを除き、基本として行う手段はまず無力化。


 余程深刻化したものでなければ祓いを生業とする巫女なりに引き渡せして元の人間に戻すことが可能だからだ。


 対峙するは先程の人狼と同じく見覚えのない降魔。


 成程、と朔夜は納得する。


 推測するにあの人狼もこの鎧武者も、恐らくは海の向こうを由来とした降魔なのだろう。


 何故そんなものがこの国にいるのか、などはまだわからない。


 わかるのはそんな降魔が自然に生まれることはないということ。


 であるならば、それは人為的なものだ。


「……舐めた真似をしてくれるな」


 将軍家の人間として、決して許せることではない。


 海の向こうから降魔を輸出してくるなど日ノ本が、幕府が舐められている証左だ。


 脳が沸騰するほどの怒りを、しかし心に留めた。


 朔夜は息を一つ吐く。


 燃える心とは別物に指先の感覚は鋭敏に、冷静だ。


「────すまないな」


 小さく呟き、朔夜は目前の降魔に対して謝罪した。


 聞かれてはいけない言葉だ。いくら私個人が一役人でいようと思っても、自分は周りから現将軍の妹として認識されている。


 そんな自分が一般人に謝ることは幕府の威厳を損ねる行為となる。


 だがこれは自分たちが徹底していれば防げた事案。非は我らにある。


 驕っているわけではないが、しかし事実として自分はこの国の頂点に立つ一族だ。


 故に責任を感じねばいけない。


 この国で起きたあらゆる悲劇はあまねく自分の責任だと。


 ならば謝らねばならない。


 誰も聞いてはいない謝意の言葉。


 そんなものは所詮自己満足でしかないのかもしれない。

 

 だがそれでも……


「……すぐに終わらせてやる」


 鎧が動く。力感のない挙動からは想像の難しい素早い始動だ。


 西洋式の両刃大剣。


 太刀筋は素人そのものだが、降魔特有の力強さを加味すれば必殺の一撃他ならない。


 朔夜は未だ動きなく、ただ静かに刀に手を添えているだけ。


 普通に考えて先に刃がその身に食い込むのは朔夜の方だ。


 だが、


「──遅い!」


 まだ刃は肌に触れていない。であるなら振り遅れる可能性は零である。


 確信を持ち、朔夜は振るう。


 ────────


 鉄の砕ける音。朔夜の居合と鎧の大剣がぶつかって大剣が割れたのだ。


 しかし降魔は唯一の獲物を失っても、止まらない。


 折れた刀身を気にする素振りは一切なく、振り回し始めた。


 とはいえいくら折れた剣といってもそれは鉄の塊。当たれば当然死ぬ可能性がある。


 朔夜にとっては目を瞑っても回避出来るものだが、問題なのは周りにいる一般人。


 人込みは解消されていない。距離を取っている者もいれば、こちらの戦闘に気付かずに近付いてしまった者もいる。


 そんな彼らに、この闇雲な振り回しが当たることはあってはならない。


 朔夜は握る刀、その鞘に絞めつけられた五本ある紐のうち一本を……解いた。


「降魔が痛さを感じるかは知らんが……許せよ。殺すわけじゃない」


 鞘と鍔を結び付けている紐は五種五本。


 そのなかでも朔夜が今解いたのは一番短いものだ。


 なのでそれではまだ刀身を抜き出すことは出来ない。


 固く閉じられた鞘が僅かに緩み、鯉口を切れる程度でしかない。


 だがそれで充分とばかりに朔夜は指で鞘を軽く押し出す。


 垣間見える刀身は、その姿を露わに。


「このような底意地の悪いことをする輩だ。どうせどこかでこの騒動を見ているのだろう、まだ見ぬ暗躍者よ。ならば見せてやろう。私の……我らの力を!」


 朔夜が操るそれは《妙純傳持・ソハヤノツルギ》。


 幕府を創りし東照神君が愛用していた宝刀だ。込められた意味は《光》。


 済まない、と降魔に心の中で謝罪する朔夜。


「だからまあ、恨むのだとしたら私と……」


 ちらりと向ける視線は鎧の左手手甲に掴まれた透明な人形。


 伊吹の兄弟子、ユーリが市場に流しているとされる硝子の工芸品だ。


 幕府が購入を禁じている代物である。


「────禁制品だと言ってるのに手を出した、自分の迂闊さを恨め」


 非はこちらにあるとは言ったが、しかしそれはそれ。


 やめろと忠告しているのに言うことを聞かなかった目前の人物に対して、怒鳴りつけたくなる思いをグッと堪えて握る力に籠める。


 どういう経緯で手に入れたかは知らないがそれを持っていること自体犯罪だ。


 なので殺す気はなく、されど手加減も無い。


 覗けた刃の根本は眩しく光る。


 呟く戒言は、その宝刀が持つ力の一端を引き出すものだ。


《──刻め陽光。東を照らせし大権現の威光を示せ》


 達人が見れば細かな揺れ程度は確認できたかもしれない。


 それ程までに朔夜の動きは常人にとっての認知外で行われたということ。


 抑えていた親指を引っ込めれば、重量に従って鞘がカチリと納まる。


《──厭離光明・六識》


 動作は一瞬。鉄のぶつかる音が一つ。しかし結果は四つ。


 降魔の両膝と両肘が突如弾けて、その身が崩れ落ちる。


 それは鎧にとっての可動部。逆打ちされたその箇所は潰されて、ならば当然動きが止まる。


 曲がった手足を見下ろしながら、朔夜は解いた紐を手早く結ぶ。


 固く閉じたことを確認した後、ギチギチと鈍い音を立て続ける鎧を見た。


 通常の人間ならば両手両足の骨折。重症だ。


 しかし朔夜はその惨状に対してうむ、と力強く自信満々に頷く。


 ……死んでいないな!


「祓いの前に修繕しておけば大丈夫だろ」


 人によっては無責任かもしれない考えだが、そこに間違いはない。


 死んでいなければどうとでもなる。


 それが降魔で、そんな出鱈目の相手をするのが我々だ。

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