第18話
「降魔の国を作り上げる、か? 馬鹿げた目的じゃな。本気で出来ると思っとるんか?」
「そうですか? この国ならそれを可能とする降魔の戦力と、なにより時間がある。本格的にヨーロッパと戦火を交えるまでのね。それは西方で住んでいた私がよく知っています」
「……難しいことはよくわからんし、お主がどんな動機を持っているかなどは正直興味ない。お主の計画がどんなんなのかも、な。が、一応契約している身じゃ。お主を殺すっていう儂の私利私欲を満たすついでに止めることにするわい」
「……興味ない、ですか。少しは期待してたのですが、やはり君は弱いままですね」
「あ? なぜそうなる」
興味ないものは興味ないのだ。しょうがない。
しかしそれと強さを関連付けるというのは一体どういうことか。
ユーリは悲しい目で伊吹を捉え、息を吐いた。
いつものようなわざとらしい感情表現ではなく、心底からの悲しみだ。
「……君は強さ以外の全てに無関心だ。きっと、僕が降魔の国を作り上げたとしても君は何事もなく毎日を送るのでしょう」
問われ、想像する。
この国が、この世界が降魔という人類の敵に支配された未来を。
だが浮かぶ答えに変わりはない。
「……そうだろうな。誰がどんな国を作ろうと、それが儂を殺せない限りは無関係でしかない。殺せるのなら負けた儂が悪い。……それだけのことだろう?」
「そうですね。あの山で生きてきた君にとって、降魔の国など面倒くさい存在が多くなった、という程度の認識でしかないんでしょう。……では君の周りの人間はどうですか?」
「周りの人間? そんなものは……」
知っている人間など片手で収まるほどしかいない。
おっさんや兄弟子を除けば絵葉やら朔夜やら伊勢などだ。
そんな彼女らが、もし降魔の闊歩する世界になったとき一体どうなるだろうか。
……死ぬかもしれない。
ただ伊吹にとって、それはある種しょうがないことだという認識にしかならない。
勿論悲しいことだ。
親しい人間を失うことは経験こそないがきっと言いようのない虚無感を与えるだろう。
しかしそれはどうしようもないことではないだろうか? 死んでしまうのは弱いからだ。
弱いのは結局の所自身の鍛錬が足らないからということでしかない。
弱肉強食の世界で育った故に、続く言葉は一つしかなく……
「……知らんな。周りの人間がどうなろうと、それは儂の知ったことではないし、どうすることも出来ない世界じゃ」
「────知らない、ですか。駄目ですね。繋がりを理解していない君には、まだ私を倒せません」
「……さっきから何を言っとるんじゃ、お主は。禅問答に興味はないぞ」
「兄弟子としての助言ですよ。壊すことしか出来ない君では強さの高みに限りがあります。人は自分のためにはそこまで頑張れませんからね」
「馬鹿馬鹿しい。強さの理由を他所に置くなどそれこそ迷惑な話じゃ。自己完結しない求道など許されてたまるか」
「ある意味君らしい理屈だ。だけど……僕らの父とてそうだった。君という理由を外に置いて、より高みへ昇ろうとしていました。それは知っていたことでしょ?」
「……知っちゃおらんが、まあそうでもなきゃあの手の輩が儂など育てんか。強くなるためのあらゆるをやり尽くしてきたような人種じゃからな、あのおっさんは。これでまた一つ小骨が取れた。……で? その理由がお主にはあると?」
「ありますよ。可愛い可愛い私の妹、という理由がね。私は絵葉のために強くなれましたし、絵葉のために今もこうして頑張れています。兄弟子として私はそういう強さの得方を勧めたい。……このままだと君の強さは独りよがりの暴力になってしまいます。私はそれが恐ろしい」
「その妹本人が貴様を殺したがってるみたいじゃが?」
「この国には良い言葉がありましたね。兄の心妹知らず、でしたっけ?」
なにか違う気もするが……まあいいだろう。
ユーリの兄弟子として放たれた言葉を、しかし伊吹は否定する。
「心配はありがたいが……儂の意見はあくまで変わらん。武の求道という自己満足に他人を巻き込むつもりは一片も無い」
「誰かを想うことと巻き込むことを同一視するのは圧倒的コミュニケーション不足の環境が生んだ弊害ですかね? まあいいです。いつか理解してくれれば、ね。でどうします? やりますか?」
「そのためにここまで来たんじゃ。逃げられては困る」
「ま、僕はいいのですが……。じゃあ始めましょう」
来なさい、とでも言わんばかりにユーリは手をこまねいた。
互いに構える形は同じ。
同じ流派で育ち、互いの手を知り尽くした相手同士だ。
「「…………」」
互いの視線がぶつかり、呼吸が重なる。
無言の時間が数舜続いた……次の瞬間
「────ッ!」
開始の合図などはなく、伊吹は両者の間を一足で詰めて攻撃した。
放った一撃は右の突き。それはユーリの持ち上げた脚の防御によって防がれた。
余波は強い。衝撃によってユーリの被っていた帽子は外れて、直後吹いた突風に流されていった。
「気が早いですね」
「これまで我慢してきた方じゃ‼」
言葉の応酬は終わった。始まったのは拳によるやり取り。
天守閣の上。斜めに続く屋根瓦では互いに足場が不安定だ。
しかし両者はそのようなことを気にする素振りも見せず、平坦な大地となんら遜色のない動きを行っていた。
踏み込みで砕けた瓦は転がり落ちて地上へとまばらに降る。
落ちてきた残骸に異常を察知した城内の侍は振って来た場所へ視線を向ける。
つまりはその天守へと目を向けて、怪物同士の衝突を見た。
「────‼」
息を吐くと同時に重心を前へ落とす。
地を這うように前身する伊吹に対してユーリは上からの踵落としでそれを撃墜せんと振り下ろした。
────ちぃっ‼
片手で上からの攻撃を防がんとした伊吹だが、重く速い一撃に脚が止まる。
だがそれはユーリも同じ。一瞬だが二人の動きは止まった。
しかし……
「なに⁉」
防がれた足。ユーリはそれを支点にして軽く跳び、残った左足で蹴りを出した。
蹴りは伊吹の顔面を捉えた。
弾かれた視界の端で、ユーリが口を開く。
「言いましたよね? 今の君では私に敵わないと」
続けて空中で回転し、蹴りを繋げられた。
吹っ飛ばされる伊吹だが、ダメージは少ない。
勢いを殺すため自ら後方にバックステップを取り、蹴りをくらった顎に触れる。
「……ぺっ。さっきから腹立つのう、その言い方。勝ち誇っているのは当然として、なにより将来的には負けてもいいみたいな言い方が腹立つわい」
口の中が切れたようだ。吐いた唾には血が混じり、濃い赤色をしている。
「君が言った通りですよ。僕にとって力は目的を果たすための道具です。誰に勝つとか負けるとか、そういうのは気にしない主義なんですよ」
「くそ腹立つのう……‼」
「────だから頑張ってくださいよ。君が強くなるのは兄弟子として喜ばしいことです。その為にはもっと人を、国を、そして世界を知りなさい」
「それが強さとなんの関係があるんじゃ‼」
「それを理解しろ。……そう言ってるんだよ」
「────⁉ 待たんか‼」
それが最後だと言わんばかりにユーリは一歩退いた。
雲の影に隠れたその体は薄く、溶けるように闇に紛れてしまう。
それは見間違いでもなんでもなく、牢屋でも絵葉が使っていた吸血鬼の持つ能力だ。
闇に溶け込むユーリ。それに対して伊吹は手を伸ばした。
(──逃すか!)
その甲には鬼の紋章が浮かび、消えゆくその存在に干渉の力を及ぼさんと……
だが、
「届かんか……‼」
伸ばした手はユーリの体を貫通する。しかしその感触はなく、ただ空を切っただけのものだ。
「残念。僕をただのヴァンパイアだとしか認識していないのなら、その手は届きませんよ」
完全にユーリは闇に掻き消えた。されども声だけは残り、伊吹の神経を逆なでするように語り掛ける。
(ここらへん兄妹じゃのう……)
ユーリも絵葉も人をからかうのが好きな性格だ。
殺したいほど憎んでいる者と同じ、などと言ったら絵葉は怒るだろうから決して本人の前で口に出来ないことだ、などと心の中で笑う。
「はぁ、お主をさっさと倒さんと朔夜達との契約を果たせんのじゃがなあ」
どうやら向こうはこれ以上拳を交える気はないらしい。
完全に抜けたユーリの気配に、伊吹もまた臨戦態勢を解除した。
……負け、じゃな。
少ないやり取りの中でも確かに感じた力量の差を、素直に認める。
はらわたが煮えくり返りそうな程の悔しさを、しかし噛みしめる。
そんな様子を知ってか知らずか、ユーリの楽し気な声音は続いた。
「おや! それなら尚更まだ負けるわけにはいきませんね。伊吹にはもう少し彼女たちと仲良くなって貰わなくてはいけませんから。彼女達はいいですよ、絆を深める相手として。私としてもお勧めします」
「まったく、何を考えてるんじゃか……」
昔からよくわからない奴だったが、今はより一層理解出来ない。
「では僕はこれで。怖い妹が来そうなんで退散します。ああ、それと……」
ユーリは少し溜め、そして……
「君の御主人様、危ないですよ」
「──ッ⁉」
背後からの声。ユーリから告げられた言葉に反応し、伊吹は振り向く。
ユーリが指していたのはその方向の遥か先だ。
見下ろす城下町の向こう側にて、伊吹は胡麻粒ほどしかないその姿をしかと捉えた。
八神朔夜の背後から振り落とされた大剣。その一撃を……!
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