第17話
数舜、伊吹の思考が停止した。
久しぶりに会った人間。しかもそいつから命を狙われていることを理解しているくせして随分気楽なものだ。
「……なにを言ってるんじゃお主は」
いやまあ、こういう男だったなと伊吹は思い出す。
呆れ半分に頭を振る伊吹。
ぬるいと、言うかとぼけた性格をしていると言うか……。
普段通りの兄弟子に対し、抱いてた敵対心が急速に落ち着いてくる。
「子供のころから同じ人に育てられてたんだし兄みたいなものじゃない? 僕たちって。 だから一度くらいはちゃんと兄さんって呼んで欲しいんですよ。父さんだって言ってましたよ? 『伊吹はいつまでたっても自分のことをおっさんって呼ぶから悲しい』って」
それに……。となにかを思い出したようにユーリは指を鳴らした。
「妹と付き合ってるんですよね? 結婚したらそれこそ義兄になることですし、今から呼び慣れてた方がいいんじゃないですか?」
「……なにを馬鹿なこと言っとるんじゃ、お主は」
「あれ? 違います? 結構仲良く話してたからそうなんじゃないかなって思ったんですが。その気はない感じで?」
「はぁ……。馬鹿馬鹿しい。儂と絵葉は単純に目的が一致しただけじゃ」
「絵葉……? ……ああ、成程ね。そう呼んでるんだ。確かに妹の名前は長くて舌がつりそうになるから気持ちはわかります。……うん、僕も今度からはそう呼ぼうかな」
「お主の国の言葉じゃろ……」
「日本暮らしも長いから母国語の発音なんてもう忘れましたよ。というか、目的って?」
「お主を殺すことじゃ。実の妹から命狙われるとか、何やらかしたんじゃ?」
伊吹は軽く体を伸ばしながら興味本位でそう問う。
殺すと言われたユーリは、ははっと引きつった笑いをしながら、そんな大したことはしていないのに悲しいなぁ、と心底から悲しそうな表情を浮かべた。
「僕らの両親を殺して、絵葉を吸血鬼にした程度ですよ、僕がしたことなんて。そのぐらいで命狙われるなんてちょっと理不尽だと思わないかい?」
なんてことないように、そう平然と笑いながら答える。
罪悪感はなく、自然だ。
それを聞いた伊吹は納得する。やはり自分の考えは間違ってなかったと。
「……お主、やっぱ屑よな」
なんと言うか……殴りやすい相手だ。
自分を善人だと主張する気など一切無いが、ただ人として、相手が屑の方が殴り倒すのに躊躇いがなくなるので気が楽になる。
そういう意味で目前の男のなんと殺しやすいことか。
「昔からお主はそうじゃったな。誰よりも優しそうな顔をしとるくせに、根本的な所で人間というものを理解していない節がある」
言われたユーリは指摘に対してこれまたショックを受けた様子で肩を落とす。
「酷いなあ。久しぶりに会った兄に向かってそこまで言う? というか、伊吹も僕のこと殺すなんて目的にしているあたり、もしかして怒ってます? やっぱ父さん殺したからですか?」
「おっさんを殺したことにとやかく言うつもりはない。先を越されたという悔しさはあるがな」
「ははっ! やっぱこの国の人間は頭おかしいよね。親代わりが殺されても平然としているどころか、自分が先に殺したかったと後悔するなんて」
「師を超えたと証明するにはそれしか方法がないから仕方なかろう。おっさんもそれを承知で儂を育てておったし、おかしなことじゃないわい」
それをおかしいと思わないのがおかしいんです……、とユーリはため息を吐く。
「偉そうに言ってるけど、僕からしたら君らも人間らしくないと思いますよ。自分を殺すかもしれない子供を育てて、殺すかもしれない相手から術を学ぶ。その果てにあるのがただの自己満足だなんて、最高に生産性のない行為だと思いませんか?」
「まあ儂らはそういう人種だったということじゃな。目指す果てには強さしかない、手段と目的が入れ違った哀れな求道者じゃ。そこを否定はせん。……儂ら、はな」
そう。儂らはそういう人種だった。
武に生き武に死ぬ。強さを得ることだけが至上の目的。
そのためなら親を殺すことも躊躇わない。師を超えた儂の武は、更なる高みへ行きついたはずだろう。
それは村上のおっさんとて同じことだ。
儂を育て、自身を殺し得る存在を自らの手で作り上げる。
自分のすべてを叩きこんだ相手をもし殺せたならば、強さの段階が一つ上がる。
どちらが死んでも武の道が一歩進む。
儂らの師弟関係はそうした前提の上に成り立っていたのだ。
その理不尽さ、無意味さ、そして異常さを理解して儂らは武を続けていた。
だからこそ一つ疑問を抱いてしまう。
「……お主はなぜ師を殺したんじゃ?」
「あれ? 君がそれを聞きますか? 同じく師を超えるためにその命を狙っていた君が?」
「違うじゃろ。儂とお主は同じではない」
「ん?」
すっとぼけおって……。
儂らの師弟関係は確かにソレだった。
だがおっさんとこいつの関係は違う。
同じ師弟関係であっても、在り方が別物だった。
「儂とおっさんは武人だ。命よりも強さを選ぶ不合理の極みであり、人でなしの獣じゃろうて」
自分の言葉を噛み締め、そこに誤りがないことを改めて自覚する。
「だがお主は違う。お主は合理性の塊で、武を道具として捉える常人じゃろ? 貴様がどれだけ強かろうが、武に通じていようが、その点においてお主と儂らでは隔絶の差がある。そんなお主にとって、あそこで師を殺める意味は果たしてあったのか? ……だから聞いとるんじゃ。何故殺したのか、と」
それが抱いた疑問だ。
自分とユーリとでは武に対する理解は根本からして違う。
武の強さに意味を見出している自分と、武によって得られる物に意味を見出しているユーリ。
そんなユーリにとって、師匠であるおっさんを殺す必要は果たしてあっただろうか。
ユーリは伊吹の言葉に笑みを崩して真剣な表情へと変わった。
目を見開き、弟弟子の顔をしかと見据える。
「────その質問、どうしても答えが知りたいですか?」
──答えを知りたいか、か……。
知りたいかどうかと言われれば、応えは一つだ。
「いいや。実のところあんまりじゃ。興味本位でしかない。喉元の小骨程度には気になるが、逆に言えばその程度じゃな」
「……僕が言うのもなんですが、親が殺された理由ぐらいもう少し気にしてあげてくださいよ、悲しみますよ、父さん……」
「人の生き死ににそこまで本気になれんくてのう。……ん? もしかしてコレ、儂の方がおかしいのか?」
「ええ、はい。多分世間一般的に見ればおかしいのはキミの方だと思いますよ」
兄弟子から向けられた呆れた視線に、なんとなく自身になにか落ち度があるような気がしてきた。
ま、まあいい!
もし儂が悪いと言うならば、それは親の教えが間違っていたということ。
それを教えた張本人の死なのだ。多少冷たくてもあいこみたいなもんじゃろう。
「重要なのはお主が師匠・村上隆吾を超えたという一点。それ以外のこと気にしてもしょうがなかろう。教えてくれんのなら諦めるとしよう」
「……なんかそうまで興味なさそうに言われると言いたくなってきちゃいました」
「ほう? それなら言っとけ。お主が死んだら一生喉に小骨が刺さってしまうからのう。そういう意味では是非とも聞いておきたい」
「この子、本気でコレ言ってるから怖いんですよねぇ……」
兄弟子の呟きを無視して、伊吹は問わなければいけなかったことをもう一つ思い出す。
「こっちは強制の質問じゃ。一応幕府の役人になったことだし、朔夜たちの為にも聞いとかなきゃいかんことじゃ。……お主、なにを目的にこんなことやっておる」
こんなこと、というのはつまり穢れの原因である人形を市場に流していることだ。
江戸の、人の世界に侵入し、内部で騒ぎを起こす。
隔絶した強さを持つ男がこのように回りくどいことをする意味を、伊吹は問いた。
「ああ、それなら別に答えても良いですよ。……しかし絵葉から色々聞いてるんじゃないんですか?」
「まあな。とは言ってもお主と絵葉が最後に会ったのはもう百年も前らしいのう。当時とは考えなり目的なり変わってる可能性が……「ないですよ。そんな可能性は」……そうかい」
決意を灯したその断言。
ユーリははっきりと伊吹の言を否定した。
であるならば。ユーリの目的が変わっていないのならば、
絵葉から聞いた言葉を思い出す。記憶と現実が重なり、一人の吸血鬼が掲げた悪夢を聞く。
「──降魔の国を作り上げる。僕の目的はそれだけですよ」
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