第16話
「……ん?」
「どうしたのよ山猿、急に木になんか登っちゃって?」
人狼に宿った瘴気を破壊した結果、降魔であったその身は人のものへと変容していった。
穢れを患っていたのは壮年の男性で、今は意識なく横たわっている。
それを確認した伊吹は、なにを思ったのか木に登り、辺りをきょろきょろと見回し始めた。
「誰が山猿じゃ、誰が。少し探し物をしているだけじゃ」
最中に幾度か爆発音が響き渡る。
そちらも気にはなるが、現在探しているのはそれではない。
必ずいるはずなのだ。
『奴』は完璧主義者。この騒動が自らで起こしたものならば、必ずどこかで目にしている。
確信を持って視界を巡らす。なにかを探すとき、コツは凝視しないこと。
全体を一枚の絵のように認識し、そこに潜む異質を掴むことだ。
高所に上り体を一回転する。
江戸の街並み。そこで起きた事件を一望出来る場所は自ずと限られてくるというもの。であるならば……
「────見つけた」
呟く言葉と同時に脚に力を込める。
細い枝に体重をかけてしなりを作り、それが再度上へと跳ね上がる瞬間に合わせてて……飛ぶ。
「ちょっ……! これどうすんのよ⁉」
「任せた‼」
絵葉は横たわった男性を指し示しながら抗議するも、伊吹は目もくれずに去っていく。
屋根瓦を蹴り前へ。行くべき場所への障害物など存在せず、ただまっすぐ直線距離を。
鬼の脚力は伊吹の身を高く舞い上げ、一蹴りをもって堀を超える。
……見つけた!
横の移動から縦の移動へ。
高くそびえるそれを登っていく。
目的の場所は江戸城。その天守ただ一つだ。
高く、所々鼠返しのように反り返っているため登りにくい。
ただ……
────大障壁に比べたら余裕じゃ!
速度に減少はない。四肢を用いて上へとただ登る。
頂上付近。伊吹は天守を頭上に置いて一瞬周囲を見渡す。
天守は横に広がっているため、その真下にいる自分では手にかける場所はない。
だから思考の刹那が終わると同時に伊吹は城から身を投げ出した。
「……!」
高所からの自由落下。体はふわりと一瞬浮いたかのように錯覚し、すぐさま重力に導かれてその身は地面へと吸い寄せられてしまう。
そのなかで伊吹は腰に回してある道具袋から一つ束を放り投げた。
投げたのは先端に鉤の付いた縄だ。
鉤は上手いこと天守閣の角に引っかかってくれて、どうにか伊吹の身を釣ってくれている。
あとは簡単だ。伊吹は強く縄を引っ張る。その力に従って自分の身を上へと。
……見つけた!
大きく飛んだその視点から捉えられたのは一つの人影。
風に吹かれている白の長髪。温和な、しかし冷酷な笑み。なによりその隙のない佇まい。
間違いない。それは幼い頃から共に育ってきた既知の存在だ。
見間違う筈がない
「──ユーリ!」
────ユーリ・ヴァニューシャ。
幼き頃より共に同じ人を師と仰いだ兄弟子であり、絵葉の実兄……その人である。
「ははははっ!」
落下速度は速い。
獲物を見つけた興奮に思わず笑いだす伊吹。
勢いのある落下の終わりは、しかし驚くほど柔らかく、衝撃の無い着地は音すら立てなかった。
西洋然とした長い上着と帽子を風にはためかせるその背後に……伊吹は立った。
「久しぶりじゃな、兄弟子よ!」
呼ばれた男は俯瞰していた視線を軽く上げ、風に浮いた帽子を片手で抑えている。
ゆっくりと、警戒心なく男は振り返った。
「…………酷いなぁ、伊吹くん」
男が呟くその声は天守に吹く風で掻き消されてしまう程に小さな声だった。
対峙する。
抑えた帽子から手を離すと両者の目線が衝突した。
なんじゃ、と訝しそうな伊吹に今度ははっきりとした声でユーリは笑みを浮かべながら言う。
「────そろそろ兄さんと呼んでくれたっていいじゃないか」
「…………なに言っとるんじゃ、貴様は」
久しぶりの再会を果たした兄弟子は、随分軽い様子で振り返った。
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