第15話



 荒く強烈な人狼の一撃に対して鋭く正確な連撃で対処する伊吹。


 爪をいなしながら着実に叩き込んでいく。だが、


 ……硬い!


 強靭な皮膚に厚い体毛。衝撃が全て吸収されるような感覚だ。


 それになにより、攻め手に欠ける最大の要因は……


「──この降魔の正体だな……」


 伊吹が持つ《鬼の手》の能力。それは万物への干渉権だ。


 必要なのは対象への理解。つまりは情報。


 されどこの降魔に対して持ち得る情報は皆無だ。


 故に奥の手である攻撃を使うことが出来ない。


 だが……


(──その程度のことならいくらでもあったがな‼)


 生まれた地は魑魅魍魎が跋扈する西方の山深くだ。


 人の道理が通じない異形の化物を相手に、これまで何度ともなく拳をぶつけて来た。


 その経験に対し、目前の降魔はまだ甘いと判断出来る。


「さっき、儂の一発に苦しそうじゃったなあ……!」


 伊吹は拳に意思を込めた。それに呼応して浮かび上がるは鬼の紋。


 万物への干渉権を持つその力は、対象への理解を必要とするものだ。


 だからと言ってその理解は別に詳細な個人情報である必要性自体はないのだ。


 特定対象の情報が無いのであれば、普遍の情報を用いれば良い。


 目前の人狼は人の形をしている生物だ。


 そして初撃の鳩尾打ちは確かに意味がある物だった。


 ならばその生体は、人に近しいものだと考えても良い。


(……それに対する理解ならば持ち合わせている!)


「────‼」


 獣の咆哮が轟く。それとともに噛みつく動きを見せるが、それは伊吹の服の一部を千切るだけにとどまった。


 そして相手の上体がこちらに流れた。


 踏み込む一撃は空になった腹へと狙いを定める。


 鬼の紋章は一段と光り、力を発揮した。


 想起するのは力が浸透する流れ。


 自身の放ったそれが、体皮を抜けて直接五臓六腑へ染み渡るように。


《──貫け鬼人。神仏何ぞ阻むものなし》


 ふぅ、と一息吐いて、止める。


 それは人狼の腑へと干渉する一撃。


 呟くように、自身の中に宿る鬼の力へと語り掛ける。


 それは力の道筋を作る戒めの言葉。『戒言』だ。


《──無門》


 ……捉えた。


 力の波は筋肉質な皮膚を通り抜けて、体内で弾けた。


 人狼は膝をつきその口からは血が漏れた。


「────ッシ!」


 短く息を吐き、拳の感触を確かめる。


 今放った一撃は単純な打撃ではない。


 相手の内臓に対し直接的に干渉を発動させ、拳の威力をすべて叩きつける防御不可の一撃だ。


 いくら硬い体表を持とうが、どれだけ厚い体毛を持とうがそれらを無に帰させる致命の一撃。


 人狼とて内臓を直接抉られては無事ではない。


 血を吐き出し、蹲って痙攣しながら崩れ落ちるのが見れる。


「──終い、だな」


 勝負は決した。


 いつもなら、普段の山でならこのような状況、すぐにでも降魔の首を叩き折る場面になる。


 だが、


(……山の降魔とは話は違うか……)


 山では食らうための狩りや、自衛として多くの命を絶ってきた。そこに躊躇いも後悔もない。


 だが目前の降魔は違う。元は人で、そして未だ誰も殺していない。


 なにより……


「ギヤマン人形……か」


 人狼が身に着けていた衣服の隙間から音を立ててある物が零れ落ちて来た。


 それは高い透けるような奇麗な音で、陽光を眩しく乱反射させている奇妙な工芸品。


 兄弟子・ユーリがこの地でばらまいている瘴気の籠った悪魔の人形だ。

 

 これを持っているということは……


「元は人間。殺す、というわけにもいかんか」



 この人間もまたユーリからこれを受け取ってしまい、その身を降魔に堕としてしまったのだろう。


「さて、どうすればよいかのう……」


 流石にそのような者を手にかけることは気が滅入る。


 しかし事実として放置していくわけにはいかない。


 朔夜らに普段はどうしているのかを聞くことが出来ればそれが一番だが、担いで探し回るわけにもいかない。


 自分が持つ鬼の力で原因の瘴気だけを殴り飛ばせるかと思案するが、しかし結局それは無理だということ結論になる。


 ……情報が少なすぎる。


 うーむ、と。無い頭を捻って色々考えるが答えは出てこない。


 まだしなければいけないことは山程ある。


 こうしてなにもせず立っているわけにもいかないだろう。


 そんなとき自分の背後から声がした。甲高い、人を逆なでするような声だ。


「────きゃー、お兄さんすごーい」


「……絵葉か」


 はぁ、と溜息を一つ。握っていた拳から力を抜いて、開く。


 随分な棒読みでぱちぱちと拍手する様は煽っているのだろうか。


 昨日置き去りにされた怒りを思い出して、開いた手を振り上げ……


 パチン! と頭を軽く平手ではたきつける。


 良い音がなったな、と。軽くそんなことを考える。


「いたーい‼」


「じゃかしい。なにが痛いじゃ。人のことを見捨ておって」


「見捨てたんじゃないわよ。私はね、伊吹なら大丈夫って信じて……」


「とんだ信用があったもんじゃな……」


「まあまあ。それより大事なのはこの降魔をどうするか、でしょ?」


「見ておったんなら手伝わんかい……」


 とはいえ絵葉がいたところで状況が変わるわけでもない。


 彼女はマジマジと意識を失い前のめりになった降魔を観察している。


 この場は絵葉に任せて自分は朔夜を探しに行こうか。そう考えたとき……


「────ウェアウルフ」


「……は?」


 隣でしゃがみながら、絵葉はぼそりと呟いた。


 相変わらず舌がつりそうな単語なあたり、恒例の南蛮語なんだろうなという予測はつく。


「その起源は狼の毛皮を被った戦士の集団。神話とかにも出てたわね、確か。獣人系モンスターの代表例で鋭い牙に長い爪、強靭な肉体。満月の夜に凶暴化するってのが一番……ん?」


「……急にどうした」


 唐突に語りだした絵葉の様子に思わずそう問う。


 聞くと、彼女は露骨にイラついたような顔をして、


「はぁ? あんたの為に解説してあげてんでしょ? ちゃんと聞きなさいよ」


「解説とはつまり……」


 絵葉の口から出てくるのは人狼に関する詳細な情報だ。


 それを儂に伝えるということは……


「どうせ知らないでしょ? この降魔。ヨーロッパ由来だし。はやく聞きなさいよ。情報さえあればどんなものでもぶん殴れる。それがあんたでしょ?」


「……お主、たまには役に立つんじゃな」


「はぁ? 失礼すぎキレそう……」


 不満気な顔をしつつ、彼女はよっこいしょ、と言いながら立ち上がった。


「さ、もういけるでしょ?」


「ちょい待て……」


 伊吹は目を閉じ、集中する。絵葉が教えてくれた情報を反芻し、自らの中で消化するために。


 意識は人狼へと定めて、拳に意思を。伊吹の脳内では初めて聞いた南蛮の降魔。そのぼやけた輪郭が纏まって……固まった。


「──いける、かのう?」


「疑問を持つな。いけるって思えばいけるのよ。んじゃ、さっさとやりなさい」


 目を開けて拳を握る。


 降魔に宿った瘴気。そこに刻まれた『うぇあうるふ』なる概念目掛けて、


「少し痛いぞ」



 伊吹は容赦なく、人狼の頭をぶん殴った。


~~~~~



「落ち着いて‼ 冷静に移動してください‼」


 喧噪の人込みのなかで、朔夜は必死に人の流れを監理する。


 将軍の妹、という威光は絶大だ。


 彼女の声に多くは従い、混乱しながらも着実に降魔の出現場所から離れることが出来ている。


 その最中、響き渡るのは再度の爆発音。


 しかし朔夜はその音に対して危機感を覚えることはせず、むしろ安堵した。


 恐らく先程からの爆発音の正体は篠原先輩が出したものだと、そう推測しているからだ。


 彼女の本職は花火師。


 対降魔用に調整された特性の爆弾を使用した彼女の戦闘は、まさしくこの街を愛する彼女らしい豪快さだと思う。


 それが聞こえるということはなにか問題が起きているということの証明なのだが、逆に考えれば先輩が対処してくれているということも意味している。


 むしろ心配なのは伊吹の方だ。


 強いということは昨日の立会いで知ってこそいるが、分かれる直前彼は降魔の正体がわからないと言っていた。


 その無知は今考えれば相手の情報を基に干渉を行う彼の異能にとってこれ以上にない不利な要素だろう。


 彼は無事だろうか。そう考えたとき、朔夜の視界の端にてなにか鈍い光が見えた。


「─────⁉」


 振り返った先。待ち受けるは甲冑を着込んだ大柄の人影。




 それは手に持った大剣を振りかぶっていた。

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