第13話
「んじゃあ、まずは新人に仕事をおしえなきゃだな」
所と時間は変わって江戸の街。牡丹を先頭に一行は道を歩く。
「儂は朔夜の護衛というだけで、特に仕事があるわけじゃ……」
「護衛っつうんなら一日中一緒にいるわけだ。同じ職場の俺にとっちゃ、そんな感じで部外者にうろちょろされたらたまったもんじゃあねぇだろ。だから朔夜の姉ちゃんに言って同じ部署に無理矢理いれさせたってわけよ」
得意気に語る牡丹の顔を朝陽が照らす。
「……儂が言えたことじゃないが、将軍様にそんな気軽でええんか?」
「ははは! 俺と一喜はダチだぜ。今更遠慮なんかねぇってもんよ」
「いいのか? 妹として」
「あ、ああ。どちらも尊敬できる人だ。両人の関係に口出すことなど私には……。いや、しかし将軍家の人間として……だが篠原先輩に意見など……。ああ! どうすれば良いのだ‼」
歩きながら頭を抱える朔夜。
朝食を終え、四人は長屋を出て一旦同心の詰め所へと向かう途中だ。
朝だからか、どの人も忙しなく動いていて道の端からは早くも呼び込みの声がする。
「……ん?」
鼻を刺すお酢の匂い。
朝食を碌に取れなかった朔夜は葛藤を忘れてふらふらと小汚い屋台に誘われていく。
追う視線にある暖簾は寿司屋と。それだけが書かれている。
かすれた文字は年季がはいったもので、開店当初は白かっただろう暖簾の布地は、最早見る影もない程汚れている。
こういった店に躊躇なく入る姿を見て、彼女を将軍家のお姫様だと思う人は果たしているのだろうか。
そんな風に伊吹が考えていると朔夜は暖簾を掻き分けて出て来た。
随分早いものだと思っていたらその手に二つほど白飯の塊が握られているのが見える。
どうやら持ち帰りを選択したらしい。
気付かず先を行く伊勢と牡丹を追いかけるため、二人の歩きは急ぐほどでは無いが、やはり自然と速くなる。
その途中で朔夜は持った塊。その一つをこちらに突き出した。
「ほれ、昨日の詫びだ」
「もう貰ったじゃろ、めざし」
「いいから。どうせ二つも食えないから貰え」
半ば強引にそれをこちらの手に握らせてきた。
見た目以上に重量感あるその手応えに驚きつつ、改めてその握り飯を見る。
白米の中心にドンと構える朱色の身。鮪の赤身だ。
醤油に漬けられていたのかそこを中心に黒いタレが米に染みてていってる。
頂きます。そう呟いて寿司を持った手を軽く朔夜に対して持ち上げる。
一口で半分程一気に頬張り、咀嚼する。
匂い通りの酸っぱさと酢飯の意外な甘さに一瞬混乱するも、それらを上手に纏める漬けのしょっぱさが見事に合う。
最初は米の多さに飽きないか心配だったが、しかし杞憂であった。
酢飯の香りは食欲を誘い、もう一口もう一口と求める間にもう最後の一口だ。
下品だが、その指先にこびり付いた米粒一つまでも思わず食べてしまう。
「美味い!」
「そうだろう。私の行きつけだ」
嬉しそうにそう語る朔夜もまた……自分より丁寧かつ上品にだが……指先の米粒を一つずつ集めて口に放り込んだ。
「意外じゃな。ああいう店に入るなど」
「そうか? 結構ああいう店程美味いもので……」
言いかけて、なにか思い出すようにして少し笑う朔夜。
すると、そうだな、と伊吹の疑問に肯定を示した。
「店の良し悪しは食わなきゃわからない。篠原先輩から教わったことだ。実際、城にいたころの私なら決して知らなかったことだろうし、そう思われるのも無理はない。……それより意外なのは貴様の警戒心の無さというか食べっぷりだな。寿司など西方にはなかろう」
昨日もそうだが、よく初見の物を躊躇いなく食べられるな、と朔夜は感心した様子で伝えた。
「おっさん……いや、師から、いつか外の世界に行ったとき恥を掻かないようにと色々叩き込まれたんじゃよ。食い物から文化、文字なんかもな。だから寿司も実は食ったことがある。当然、これ程上等なものじゃなかったがな」
「良い父だったのだな……。しかしそのような立派な方をおっさんなどと呼ぶのはどうかと思うぞ」
「義理の父じゃったからかのう、昔は照れ臭さもあってそう呼んでおった。それに物心つく前にはもう殴られて育っておったし、父という距離感を掴む以前に子弟としての関係の方がしっくり来てしまった。……それと単純に尊敬出来るような人間じゃなかったってのが大きいわい」
義理の父という言葉に思い出す。
そういえば最初に申し聞きをしたときにも同じようなことを言っていたと。
「……言い難いことだったかもしれんな。無遠慮が過ぎた」
「いや、別段儂にとって悲しい過去なぞありはしないから構わんぞ。なにか聞きたいことがあるならなんでも聞いてみろ」
「いや、しかし……」
「気にするな。お主だって西方のことなんかは聞きたいじゃろ?」
「ま、まあ。その通りだが……」
それにこれから先、背中を預ける人間になるかもしれないのだ。
その人となりを知っておきたいのが本音だ。
だから……
「……お前の本当の両親というのは、どういう人なのだ?」
村上隆吾は西国唯一と言われる安全地帯の京から離れた場所に居を構えていた。
そして京は出入りが完全に制限されている。出ることも入ることも、極一部限られた状況でしか起こりえないのだ。
伊吹は村上隆吾の下で育った。ならば産まれた場所は京の外ということである。
村上のような常識外れは別として。果たして京以外にも人が住める場所があるのだろうか。
少々踏み込んだものかもしれないが、そういったことと、そしてなにより大江伊吹という人間に関してもっと知るべきだと思ったから朔夜はそれを聞いた。
だが……
「────知らん」
「……は?」
即答。なんでも聞いてくれと言った直後にこれである。
「……儂はいつの間にか家の前に置かれていたらしくてのう。おっさんも両親のこととかまったく知らないそうじゃ。鬼の子孫ってのも手紙かなんかに書かれてて、ガキの頃おっさんが検証したおかげでなんとかわかった程度じゃし。……まあぶっちゃけ欠片も興味無かったから聞いたことすらないんじゃがな」
はっはっは、と笑う伊吹。
「……貴様になんとなくでも遠慮をした私が馬鹿だったよ……」
「な、なんじゃその呆れたような顔は⁉」
「ような、ではなく呆れておるんだ」
しかし分かったこともある。
……欠片も気にすることが無い程に、不足なく育てられたということか。
本人は尊敬出来ない人間などと言っているが、子へ環境の疑問を持たせることなく育てられたのだとしたら、それはやはり立派な親なのだろう。
「……はぁ、まあ良い。そろそろ行くぞ。……ん?」
いつの間にか止まっていた歩を再度進めようと。
そんな折に、横から朔夜ちゃん、と呼び止める声がする。
「朔夜ちゃん、これから仕事かい?」
「ああ、ミキさんもだろ?」
優しそうな声の主は所謂おばあちゃんといった具合の女性で、その手には葉で出来たなにか包みが握られている。
「こちらは菓子屋の店主をやってるミキさんだ」
「初めまして。儂は大江伊吹じゃ」
「ご丁寧にどうもね。あ、そうそう。これ、うちの大福だから持って行って」
「おお、有難い。いつも悪いな」
「いえいえ、いつもお世話になってるのはこっちだから。それにしてもお邪魔しちゃったわね」
「ん? どういうことだ?」
「だって……ねえ? 逢引の途中に割り込んじゃって無粋じゃない」
「あいびき……? って、なにを言い出すんだ⁉ よりにもよってこ、このような山猿とわ、私が逢引などと⁉」
「山猿と言うな」
「う、うるさい‼」
「ふふ、だってあれだけ楽しそうに男性と話してる朔夜ちゃん見たの初めてだもの。って、こうしてるのも悪いわね。じゃあ二人で食べちゃってね!」
「ちょ……‼ 話をちゃんと!」
ミキという店主は言うだけ言ってそそくさと去っていく。
抗議する間もなく、伸ばした手は虚しく空を切った。
その様子に伊吹はははっと笑う。朔夜は顔を赤くして、なにがおかしい! と。
「いやぁ、ちゃんとやってるんじゃな、って」
「どういうことだ?」
問われ、伊吹は思い出しながら語る。
「昔、西方の出島でどこぞの国のお姫様、なんていう娘と会ったことがあってな。そやつが随分偉そうだったもので、権力者っちゅうのは儂らみたいなのを見下してるもんかと」
その言葉を朔夜は鼻で笑う。あり得ない、と。
「馬鹿を言え。政を行うのは民の為。民へ奉仕することはあっても見下すことなどあってたまるか。あと一つ言わせてもらうとするなら……」
一旦言葉を切り、
「────貴様みたいな山猿とこの国の臣民を、儂ら、などと一緒にするな。失礼だぞ」
「お主が一番失礼じゃぞ……!」
冗談だと笑いながら。寿司を包んでいた笹の葉を丸めてこちらに投げ渡してきた。
儂は荷物持ちか、と突っ込みをいれつつ、奢ってもらったのだからそれぐらいは良いだろうと思い、自分が持つ荷袋の中に放り込んだ。
一つだけだったが充分な量だったということで、二人は満腹になる。
「さて、さっさと行くぞ」
少し前を見れば二人の影はもうない。再度歩を進めようとその脚に力を入れようと。
そのとき、
「──降魔だ‼」
街道を貫く声が一つ。危急を帯びた叫びが響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます