第10話



「まあええか」


 夕暮れ。緋色の光が三つの影法師を作り出す帰り道で伊吹はなんてことないように呟く。


「私はやはり納得出来ませぬ! 朔夜様の付き人はこの伊勢一人で充分。そうでしょう? 朔夜様」


「今更な反対じゃな……」


「……姉上の意図が分からぬ。いくら人手がないからといってこのようへらへらした軽薄な男を……。しかし、いや、やはり……」


「ううっ……。朔夜様が見向きもしてくれない……」


 俯いたまま、歳の割に鋭い眼つきを更に鋭く。その眉間は険しい。


「そんなに眉間を寄せおって。将来皴になるぞい」


「……うわっ⁉」


 下を向いた視界。そこへ唐突に現れた伊吹の覗き込むような顔に思わず驚きの声が漏れる。


 声の後、それを恥ずかしいと思ったのか彼女は顔を赤くする。


「ええい、近寄るな! また私にいやらしいことをするつもりか⁉」


「だからあれは違うと……」


「ふんっ! どうだかな……!」


 朔夜はそっぽを向いて伊吹の弁明を無視する。


 そのままの向きで彼女は一つ問いかける。


「そもそも貴様はよいのか? 兄弟子を探すためにこちらへ来たのに、私の御供として西国へ帰るなどと」


 ああ、そのことか。伊吹は何てことない様子で手をヒラヒラさせて否定した。


「ええんじゃええんじゃ。将軍様も遠征まで時間はあるしこっちで用事済ませてからで良いとは言ってくれたからのう。ユーリを殴り倒して、西方帰るついでにお主らを京へ送り届ければ良い。それだけで関所越えが帳消しになって、更に協力を得られるというなら安いものよ」


「絵葉殿は探さなくてよいのか? こんなことしている暇はないだろう」


「儂が生きてると知ればひょっこり顔も出すじゃないか? それに追っている奴が同じなら何処かでぶつかるだろうし、探すまでもないわい」


 伊吹の適当な言い分に、不機嫌な顔になりながらも朔夜は黙る。


 しかしその言葉に一つ思い出したことがある。


「……そういえば、先程の写真を見せてくれないか?」


「シャシン……? ああ、これか」


 言われて、その単語の表す意味が思い当たる。将軍も使っていたな、と。


 懐に入れていた写真を取り出してそれを朔夜に手渡した。


 じっと見て、


「……この男が貴様の仇で、江戸に南蛮の品を持ち込んでいる奴か」


「仇、というと語弊があるのう。まあ似たようなもんか。というか、ユーリの奴はここでなにやらかしたんじゃ? 密輸は犯罪にしても今朝のように険しい剣幕で探す程じゃなかろう」


「まだ確定しているわけじゃないが……まあいいだろう」


 言葉の終わりと共に今度は朔夜が、手に持った包から一つ重量のある物を取り出して渡す。


 山羊の頭に人の体を持った、奇妙な人形。材質は透明で響きのあるガラス製だ。


 日本の物ではない。明らかに南蛮から持ち込まれた物だ。


「これは?」


「近頃江戸に穢れが拡大している。幸い大きな被害は出ていないがな。問題なのは汚染源だ。彼らの荷物を調べてみたところ、その全員がそれを持っていた」


「なるほどのう……」


 精巧な出来の代物だ。芸術のわからない伊吹でも、それを美しいと思わせる魅力がある。


 そもそも、


「ユーリの物じゃな。同じものが儂の家にもあったわい。……文鎮代わりに」


「……もう少し立派な使い方をしてやれ」


「おっさんは芸術性とかの理解力皆無だったからのう。……そういえばこれどこに向かっておるんじゃ?」


 会話を切り上げ、ふとした疑問が思い浮かぶ伊吹。


 将軍にはただ朔夜が生活の世話なりをするから付いていけとだけ言われた。だからなんとなくその後ろを歩いているのだが、しかし目的地を言われていないことに今気づく。


 そう聞かれて朔夜は、数舜だまり、


「……私たちの家だ」


「なんじゃ、お主らのか。先に儂の衣食住のことを教えて欲しいんじゃが……」


「……っ‼ ……いいからついてこい」


「……まあ良いが」


 情報の交換を終え、話すこともなくなったので黙ってその後について行く。そこに感じる違和感を抱えたまま。


 先ほどまでいた武家屋敷。そこから離れるごとに段々と寂れたというか庶民的というか、つまりは段々と将軍家のお嬢様には似つかわしくない長屋町へと風景は変化していった。


「ここだ」


 そんな一画に朔夜は立ち止まり、振り返る。


 そこは辺りとなんら変わりない、隙間風が吹き込むような貧乏長屋。。


 ……儂の家みたいじゃのう。


「ここにお主らが住んどるのか?」


「ああ、そうだ」


「……言っちゃ悪いが、将軍家のお姫様が住む処だとは思えんぞ」


「ふんっ。身分で言うなら私は一下級役人。これが分相応だ。それにここは家賃の割には広いし職場にも近い。文句があるのなら叩き出すぞ?」


「まあ儂の家も似たようなもんだったし悪くは言えんが……うん?」


 最後に言われたことを脳内で再生する。


「叩き出す。とはつまり……」


 それは恐らく、そこに住む者しか言われないであろう言葉だ。


 問われた朔夜はああ、と短く肯定した。……最高に嫌そうな顔で。


「貴様にはここに住んでもらう」


「……何故だ?」


「何故とは何故だ?」


「あれだけ儂のことを毛嫌いしておったくせに同じ場所を用意するとは」


「…………だ」


「ん?」


 朔夜はなにやら身体を震わしている。なにかを我慢するように。耐えるように。


 伏せる顔からは彼女の感情を読み解けるわけがなく、伊吹はただ待った。


 小さく、誰が……! とだけ呟いた後、意を決したように彼女は伊吹に向かって吠える。


「誰が好き好んで我らの近くに住ませるものか‼ 姉上が、付き人なら寝食一緒よねえ~、なんて言わなければそこらの馬小屋にぶち込んでるわ! こ、この変態め!」


「だからあれは事故だと言っておるじゃろ!」


「五月蠅い! 人のち、乳房を……見ておいて事故もなにもあったものか‼ いいか⁉ 絶対我らの部屋の敷居を跨ぐなよ! 一歩でも踏み込んだら即刻その首叩き切ってやるからな!」


「朔夜様ー‼ 伊吹ー‼ そんな所で喧嘩してないで早く入りましょうぞー‼」


 一足先にその玄関を開けた伊勢は中からこちらに向かって手を振っている。


 奥から香る夕餉の香りに誘われて、伊勢は言ってすぐにふらふらと入っていってしまった。


「だそうで。行きましょうやお姫様」


「……お姫様などと呼ぶな! さっきも言っただろう。私は所詮一役人でしかない!」


「じゃあなんて?」


「普通に八神様か朔夜様とでも呼べ!」


「一役人相手に様付けか……。結局はお姫様の道楽体験かなのか?」


「────~~~っっ‼ 呼び捨てでもなんでも好きにしろ!」


「了解じゃ。儂のこともなんと呼んでも良いぞ」


「貴様など貴様で充分だ!」


 朔夜は伊吹の指摘に顔を赤くして、言うや否や足早に場を後にする。


 後姿を眺めてそれに続く伊吹。


 香る味噌の匂いに心が躍り、たらふく昼飯を食ったにも関わらず腹の虫が空腹を告げた。


 ……なんだかんだ面白いのう。


 あの山を出たのユーリを追うことがきっかけだが、その本心は面白きを探して、などと言ったら少し俗っぽいだろうか。


 未知は楽しい。そう師は言っていた。


 その言葉の意味を少し理解して、一歩前へ。


 取り敢えずは江戸の美味いものを食い尽す。そんな目標を心に決めて伊吹は長屋に入ru

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