第9話



「美味い! もう一杯!」


 盛られた米は即座に消え去り追加を注文される。


 そこに並んでいるのは豪勢な食事。


 今までの人生において見ることさえなかった御馳走を前にして伊吹の食欲が止まることは無い。


 白い米など何年振りだろうか。おっさんが一度二度、何処からか持ってきた程度だ。


 そんな風に感動している伊吹へ水を差すように、


「食い過ぎであろう……」


「まともな飯など久しぶりなんでな。しかもこんな上等なものは初めてじゃ」


 そう言って舌鼓を打つ伊吹。更に箸を伸ばそうとしたとき、で? という問いかけの声が目の前から放たれた。


「結局最後のアレはどういうことなのですか⁉」


「姉上、落ち着いてくだされ……」


 八神一喜は随分楽しそうに身を乗り出して聞く。


「アレとは?」


「……自分の一撃を打ち破った理屈であろう。《蜻蛉切》とぶつかりどうやって無事で済んだのだ」


「見てわからんかったか? 殴ったんじゃよ」


「貴様……! 舐めるにも程があるぞ」


「舐めとらんし嘘も言っておらん。言葉の通りじゃよ」


 確かにそう主張する伊吹に嘘はない。


 その雰囲気を察した朔夜は、だからこそ一つ問いかける。


「……なにを殴ったんだ?」


「朔夜様? それはいったい……」

 

どういうことか、そう聞こうとする伊勢にかぶせる形で伊吹は答えた。


「力じゃよ。儂は《力》を殴った」


「力を……殴る?」


 米を掻き込み、残った漬物を口に含んで茶で流す。


 ふぅと小さな息が漏れたのは満足の証拠。


 腹を一つ叩いてそうだ、と同意を示した。


「儂が持つ異能の力じゃ。万物に対する干渉権。物だろうが現象だろうが、力という概念だろうが、儂は認識したものと同じ領域に立ち、干渉を出来る」


 つまりまあ、と一旦切り、


「なんでもぶん殴れるってことじゃ。例えそれが実体のない人の想念であってものう」


「《蜻蛉切》に内臓された万物両断の想念を殴って打ち破った。そういうことですか?」


 無茶苦茶だ……という溜め息のようなものが朔夜からこぼれた。


 妹の呆れ具合に対して、一喜はその反応も当然だろうと思う。


 目に見えないどころか存在し得ない力そのものに触れて破るなどあり得ないことだ。


 和魂を用いてならまだしも、それが素手だというのだから尚更。


 朔夜が驚く一方、冷静に成程と納得したのは伊勢。


「……あの一瞬、《蜻蛉切》はすべての異能を失ってただの刃物になっていました。能力の無効化ではなく瘴気の破壊……ですか」


「言う程便利なものじゃないがな。あくまで出来るのは干渉だけ。そこからどうするか、なにが出来るかは儂次第でしかない。それに必要な準備もある」


「準備?」


「対象を知ることじゃよ。だからまったく知らんものには干渉を起こせん」


「だから最初の一撃は普通に躱していたのか」


 思い出すのは最初の上段切り。


 彼はあのとき回避を選んだ。それは伊勢の武装から異常を察知し、しかしそれがなんなのかわからなかったからだ。


「そう。知らないものは認識出来んからな。後は簡単。干渉を起こしたら、あとは腕力と気合と根性じゃ」


 はっはっは、と大きく笑う。


 周りから聞いたらなにを馬鹿な、と言う精神論染みたもの、彼にとっては本気でありなにより事実だ。


 伊吹は瘴気に干渉する際自らを変換する。


 その変換元の数値こそ単純な筋力であり、精神的な意思力でもある。


 あくまで干渉は干渉。同じ領域に立つことを可能としただけで、それは別に破壊を約束されたわけではない。


 こちらの力が不足していれば対象を破壊することが出来ないなんてことは充分にあり得る。


 しかしそこには新たな疑問が浮かび上がってくる。


「……なぜ貴方は《和魂》も無しに異能の力を扱えるのですか?」


 一喜は真剣な眼差しで問いかける。


 この世においてこのような超常を行える方法は三つしかない。


 一つは《和魂》。


 しかし大江伊吹はこれに該当するなにか武器を持ってはいない。唯一身に着けていた武装も手甲だけで、それはこちら側が準備した普通のものだ。


 一つは陰陽師やら坊主、巫女などが使う術式。瘴気を直接的に操って様々な異常現象を引き起こす彼らだが、しかしその発動には長い詠唱が必要になる。


 そうでないならこちらも何かしら道具が必要とするだろう。


 当然、彼にはそんなものを使う暇も道具もなかった。


 そして考えられる最後の可能性。


 兵装も道具もなく、即座に異能の力を発揮出来る存在。それはこの世においてただ一つだ。


「……儂が降魔だから、と言いたいんかのう?」


 軽く高い音が一つ弾ける。遅れて見やれば湯呑が一つ畳に落ちていた。


 なかに残っていた幾らかの茶が、濃い緑の道を作りながらその飲み口まで流れていき、一滴畳へこぼれ落ちた。


 ……速いな。


 こちらも一口茶を啜りながら素直にそう感心した。


 褒めるべきは速さではなく動きの精確さだろうか。


 物音は立たず、座ったままの状態からあの速度。成程、恐ろしい。


 首筋に当たる冷たい金属の感触とその技量に……血が騒ぐ。


「正確に、偽りなく話せよ。姉上の前で血は流したくないが、しかしそれ以上に危険を置いておくことは許されない」


 沸騰する闘争本能を必死に抑えて、伊吹は湯飲みを置いた。


「……《鬼の手》。師が名付けた儂の異能じゃ」


 言葉とともに握る拳には、先程と同じように鬼の紋章が淡く浮かび上がる。


 その動きに朔夜は更に警戒心を強めるが、即座にその紋章を伊吹は消した。


「先祖に鬼がいたらしいんじゃ。本物のな。じゃから儂には降魔の血が流れておる。……と村上のおっさんが言っておったわ」


「人と降魔の間に子が……⁉」


 驚く朔夜に対して伊吹は自分のことながら、ようわからんが、などと何処か無責任な様子で笑って見せた。


 神話、伝記、軍記、逸話、御伽噺に昔話。


 多くの物語にてそれは現れた。古今東西を問わず。


「鬼といえば怪力だとか凶暴性なんかが筆頭じゃが、その本質は普遍性じゃ。日ノ本の何処にいようがその伝説は必ず存在する。あらゆる伝記にて討ち果たされる敵として鬼は普遍している。時代も、場所も問わずにな。────万物に対する干渉権。ここら辺がその由来かのう」


 勿論鬼の子孫としてその怪力なんかは、薄れこそすれ確かに継承している。

 故に、先程の戦闘で驚いたことが一つあった。


 ……あの女、素で儂の力を上回っておったんよなぁ。


 正直悲しいし、なによりその力強さに引くものがある。


 なんてことを思いながら伊吹は将軍様の妹様に向かって弁明をした。


「だから儂は降魔の血を引いておるし瘴気を宿してはいるが、意識としては人間のつもりじゃ。……なんでその刀、下ろしてくれんか?」


 朔夜は今の話を聞き、目線で一喜の判断を仰いだ。


「……貴方に宿った瘴気は他者に感染したりはしないのですか?」


「そこらへんはお主らの武器と同じじゃろう。瘴気はなにかに宿って、意味を得た時点でその性質を変える。儂に宿る瘴気は周りに漏れんし、漏れても無害じゃ」


 言葉を聞き、朔夜に向かって、


「いいわ。下ろしなさい」


 その顔は納得こそしていないもの、言われて従う。


「────大江伊吹」


「ん?」


 改まった様子で一喜は伊吹を呼ぶ。


「貴方の言い分と実力はよくわかりました」


「実力を証明する意味はあったんかのう……」


「姉上の御言葉に不満が?」


「わかったわかった。わかったからその刀を下ろしてくれ」


「なので貴方の関所越えとか不法入国とかお友達の脱獄とか色々、特別に帳消しってことになりました! はい、拍手!」


「…………」


「流石は姉上。名奉行とはこのこと。はい! 拍手!」


 ……ぱちぱち。


 首筋に刃を当てられながら両の手を打ち合わせる。


 乾いた音が虚しく響いて、目前の一喜は素直に楽しそうに拍手を被せる。


 ……この妹、頭おかしいよなぁ。


 知っている人間というのは片手で収まる程しかないし、そいつらもまた常識的な人間ではなかったため、外の世界がどういう奴らなのかというものは経験値として持ち合わせていないが、しかし自分の背後で刀を突き付けているこの女がまともじゃないということはなんとなく感じる。


 ……兄弟子が一番まともな人間じゃったなぁ。


 そもそも人間ではないし、その上師を殺して去った奴が一番理知的で常識的である。


 そんな交友関係しか持っていないことにとてつもない絶望を感じた。


 自分の半生を嘆いている伊吹に一喜は拍手を止めて言う。


「というわけで、じゃあ次は取引の話をしましょ」


「取引……じゃと?」


 ええ、と彼女は頷く。


「貴方がこうして捕まったのも茶番に付き合ったのも、なにか目的があった。そうでしょ?」


「……」


 その通りだ。


 やろうと思えば逃げられたし、そもそも最初の段階で素直に捕まるなんてことはしなかった。


 兄弟子ユーリを見つけるため、そしてその目的を防ぐためには幕府の協力が必要だった。


 それは絵葉と二人で話して定めた共通認識だ。


 本当は適当な役人を見つけて師匠の名前でも出せば適当に話が通ってなんとかなると、そんな感じで計画を練っていたのだ。勿論この国の頂点とその妹にまで一気にたどり着けるなんてことは考えてはいなかったが……。


 なのでここまでの展開は満点に近い結果と言えよう。


 そう。ここまでの流れは非常に理想的と言えよう。


「だから私は貴方の願いを出来るだけ聞き遂げるわ。その代わりこっちの要望も飲んでほしい。つまりそういうことよ」


 ……でも、こっからの細かい計画は全部絵葉頼みなんじゃよなぁ。


 あの女がなにを考えなにを行う予定だったのか、というのは知らされていない。


 頭を使うのは苦手だ。


 折角手に入れた貴重な手札。勝手に切ってしまっては勿体ないし何を言われるか分からない。


 なので精一杯の虚勢を張って、言えることはただ一つ。


「……まずはそっちの要望から聞かせて欲しい」


「……それもそうね。良いものを見させて貰ったことだし、それが礼儀というものね」


(よっし!)


 心の中で拳を握る伊吹。交渉において大事な主導権はこちらが握っているのを確認出来たし、何より時間稼ぎと相手の狙いがわかるのは大きい。


「待ってください姉上! どのような取引をするつもりかは分かりませんが、このような下賤な男に姉上が取引など……‼」


「下賤って……」


「ええい五月蠅い! 下賤は下賤だ! 貴様など本当なら姉上とお話するだけでも許されることではないぞ!」


「あら駄目よ、朔夜。そんな失礼な言葉使っちゃ。彼は遠くからやって来たお客様。それも今は亡き英雄の息子。相応の礼儀が必要よ」


「しかし……!」


「ほらほら、いつまでも物騒な物抜いてないで座りなさい。こっちこっち」


 手招きをして呼び寄せるその動きに朔夜は逆らえない。傍まで移動して、正座をする。


 言われて口をつぐみはしたが、納得はない。


 姉である一喜は将軍。つまりはこの国の最高権力者だ。その姉が対等な取引をしてしまっては面目が保てない。


 なによりこのようなへらへらとした風来坊が姉上の視界に入るだけでも度し難い。


 そんな心持ちだ。


 といった感じのしかめ面をしている朔夜を姉はおかしそうに軽く笑った後に視線を伊吹に戻した。


「先に言っておくが、殴る蹴るしか物は知らんし出来んぞ、儂は」


「大丈夫。私が頼みたいことは単純だもの」


 一喜は言葉を切り、続ける。


 それは伊吹が想定していたものよりずっと楽で……ずっと面倒だった。


「────貴方には朔夜の付き人になって欲しいの」


「「……………………は?」」


 予想外の言葉に思わず間の抜けた声が出てしまった伊吹と朔夜。


「お、お待ちください姉上! これが付き人とはどういうことですか⁉」


「どういうこともなにも、そのままの意味だけど……問題かしら?」


「問題どうこう以前です! こんな得体の知れない奴を……‼」


「そうです一喜様! 朔夜様の護衛はこの私、伊勢がおりますぞ!」


「でも伊勢ちゃん、伊吹君に負けちゃったじゃない?」


「うぐっ! それは……」


 あらあらと言った感じで困り顔の一喜に、伊勢は言葉が詰まる。


 そのやりとりを黙ってみていた伊吹だが、しかしそれでもその採用には疑問が残る。


「それでも不要です! 姉上も知っておいででしょう。私は護衛を必要とする程弱くはありませぬ!」


 そう。この女、八神朔夜は強い。それも相当だ。


 いくら心配だからとはいえ会って間もない自分を護衛にする方が余程危険があるだろう。


 普通はそう判断する。


「そもそも、お主らぐらい立派な血筋と地位じゃ。護衛なら自前で幾らでも用意出来るのではないか?」


「……恥ずかしい話、今は幕府も一枚岩ではなくてね。身内でも……いや、身内だからこそ信用出来ない状況なの」


 幕府内でもこれからの指針という点において意見は割れている。


 それらの勢力を従える紀州、水戸、尾張の御三家。次期将軍の座を狙う彼らの息がかかった者が今の上層部にどれ程いるのかは想像も出来ない。


 正直、素直に妹を任せられる相手など幾ら将軍とはいえ用意出来ないのだ。


「……あれはいいんか?」


 目線で問うのは伊勢。彼女はこちらの様子に気付いたのか怒ったように胸を張る。


「馬鹿にするな。この桑名伊勢、幼き頃より朔夜様と過ごしたまさしく右腕。裏切るようなことするものか」


「……伊勢、そういうことは自分で名乗らずだな……」


「なんと⁉ 伊勢は朔夜様の右腕を名乗ってはいけないのですか⁉ それはあやつに負けたからですか⁉ もう伊勢はいらないということですか⁉」


「ちょっ! そ、そうではなくだな……」


 今にも泣き出さんようなその気迫に朔夜はうろたえる。


「伊勢ちゃんは大丈夫よ。彼女は昔から朔夜を慕ってくれてるし、なにより裏切りなんて出来るほど頭は良くな…………器用な子じゃないもの」


「おお、流石は一喜様! そこまで理解していただいてるとはこの伊勢、恐悦至極で御座います!」


「おい、今こいつお主のことを馬鹿だと……」


「というわけで! ……状況は理解してくれたかしら?」


 ……見かけによらず、腹の中は随分黒そうじゃな。


 あまり借りを作りたくない相手だ。


「下手な身内より完全に外様な儂の方が信用出来る。……そういうことか?」


「ええ。その通りよ。身分という点も、あの拳豪の息子ということなら信用出来るし周りを説得出来るわ」


「姉上、それでは理屈が通りませぬ! ですから私には護衛など!」


 そう。実際問題並の暗殺者や武人程度では朔夜の命を取ることなど出来ない。


『達人』と呼ばれる程の実力者であっても難しいだろう。


 だからこそ下手な護衛を付けるよりは一人にしておくことが安全だし、事実そうしてきた。


 だから今回こんな決断をしたのは別に御三家対策などではない。


 それは……


「────朔夜」


 噛みつく朔夜に、一喜は改めて呼びかける。それは先程までより幾分も真面目で、しっかりと妹の目を見て言う。


「……貴方、西国に行くつもりなんでしょ?」


「──っ⁉」


 言われて驚くのは図星を突かれた証拠だ。


 姉に内密で進めていた準備。それを見抜かれていた。


「出征前に帝と足並みを揃えるために特使を送るのは確かに必要。そしてその人選は相応の立場ある人間でなければいけない……」


「……ええ」


「幕府内でも私が行くべきだという話は上がってきているわ。まあそれが当然の流れね」


 しかしそれは出来ない。朔夜は姉の言葉を否定する。


「いけませぬ。姉上をそのような危険な目に合わせるわけには。──それに姉上は御身体の調子がよろしくない。それでは京まで持ちますまい」


 気遣うように優しく笑う朔夜。


 そうだ。彼女は、妹の朔夜ならそう言う。そんなことはわかっていた。


 優しい娘だ。


 体の弱い私をそれでも姉として、将軍として慕ってくれる優しい妹。


 だからこそ守りたい。出来る限り危険からは離して幸せになって欲しい。


 それは本心だ。


 だが実際問題として彼女の判断は正しい。


 西国の濃い瘴気にはどれ程対策しようが自分では耐えられないだろう。


 ならば彼女が、朔夜が行くしか選択肢はない。


 一喜は顔に苦悶の表情を浮かべる。しかし将軍として、一国を預かる立場として決意する。


「……そうね。だからこの大役は貴方に任せるわ」


「かしこまりました」


 深々と朔夜は両の拳を畳につけ、頭を下げる。


 その頭に一喜はそっと触れ、優しく撫でる。


 小さな声で有難うと呟くその声に、朔夜は伏せながら嬉しく思う。


 そんな風に撫でていた手を止め、そして一転明るく一喜は振る舞った。


「なので! そんな可愛い朔夜ちゃんの為にも西国に詳しい伊吹君に案内人として付いて行って欲しいの。いい? じゃあ決定ね。はい拍手!」


「姉上⁉ それとこれとは話が別で……‼」


「はい、はくしゅ~」


 ぱちぱちといった音が再度屋敷に響く。


 満面の笑みで強要してくるその様子に、朔夜はもう逆らうことは出来ない。


 朔夜にとっての幸せとは姉の笑顔。その笑顔がこの結果を望んでるのだとしたら、それが全てだ。


「流石姉上! 私のことをよく考えてくださっている!」


 朔夜はあらゆる反論を口の中で噛み砕き、下唇から血を垂らして姉に続く。


「これでよいんかのう……?」


「……ん? つまりどうなったのだ?」


 二人の呟きに答える声はなく、空間にはただ虚しい音だけが広がっていく。

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