第8話
「────ッア‼」
防戦一方の暴風圏内にて、しかし伊吹は笑った。
上昇していく速度を楽しむように彼は頬を緩めた。
一歩間違えば死に繋がるその状況で彼はいなし、流し、弾く。
────届く!
心の中で伊吹はそれを実感した。
慣れたでも超えるでもなく……届く。
そう認識するのは彼という存在故だろう。
一歩よりも小さい歩幅で歩みを進める。
しかしその小さな前身によって狭まる距離は。間違いなく槍が得る遠心力は低下させていく。
僅かではあるが受ける衝撃が段々と弱まっているように感じられた。
伊勢は詰められたことを自覚するがしかしどうすることも出来ない。
(これだけ速度が上がったら制御も難しいか……!)
いくら伊勢に筋力があろうが際限なく上がる速度を維持することは難しくなる。
なにより敵の動きがいやらしい。
槍の回転運動を利用した戦術のため、どうしても数回に一度の拍子で柄尻が攻撃に用いられることがある。
それは両断の力を用いない通常の物理攻撃だ。
伊吹はその瞬間に前へ詰めて来ている。
なにより、癖と言うべきか呼吸と言うべきか……。
各々が持つ固有の拍子というものが伊勢の中で築かれている。言わば癖だ。伊吹は柄尻が来る癖を確実に掴み始めて来たのだ。
「そろそろ疲れて来たんじゃないかのう……!」
「笑止! 舐めるにも程があるわ!」
流れを切らさないよう振るうその動きはどうしても制御に力がかかる。
関節などは特にだ。
────あと一歩!
槍の領域と拳の領域が交わる狭間に辿り着く。
伊吹は腰だめに拳を構えて力を握った。
「来い!」
叫びに伊勢は応じる。万全に待ち構えた伊吹に対して、万全の攻勢を仕掛けるために。
────力の解放だ。
繰り出されたのは大きな薙ぎ払い。
目にも止まらぬ速さではあるが、伊吹は反応して潜るようにして躱した。
だがそれはあくまで準備。必殺の一撃の始まりだ。
振るった動きによって伊勢の体勢は崩れてしまった。
大きな軌道を描いたためにもはや制御することが出来ず、身体の中心を軸にしていた円運動はそのまま力が後方へと流出したのだ。
だから伊勢は軸を入れ替えた。身体の中心だった軸を、右足一本へと。
右足だけをその場に残して独楽のように身体全体を振り回した。
その動きによって両者の間に二歩分程の距離が空く。
そのまま伊勢は片手を手放して右手一本で槍を持った。持ち手は柄尻。最もその槍を長く持つような位置だ。
「……っ‼」
伊勢の全身に軋みのような痛みが走った。
それは無理矢理に力の流れを断ち切った代償だ。
制御を失った力の奔流は行き場を無くして暴れまわってしまう。そんな氾濫した流れを再度一点へ。
力の矢印は穂先へと向かい、纏めた。
一撃必殺。まさしくその言葉の通りだ。
伊勢が繰り出さんとするそれは、超絶の技術を用いた究極の力任せである。
「はぁぁあぁあああああああああ‼」
溢れる叫びと共に最後に一つ、その軌道は大きな弧を描く。
投擲のような動作で穂先は下から頂点へと跳ね上がり、そして最高点から一気に落下する。
構図としては先程の上段切りと似たものだが、しかしなにもかもが違う。
……やれるか⁉
伊吹は自らに問う。こちらにそれを避ける余裕はなく、唯一の手札は正面突破だけ。
しかし向かってくるのは万物を両断する刃だ。
それを悟り、心のなかで否定する。
(やれるか、ではない。やらねばならんのだ……‼)
実に単純なことだ。やらねば死に、失敗すれば死ぬ。
ならばやるしかない。それだけの話だ。
伊吹は体を捻って握った拳を更に引いた。
伊吹の意思に応じるように、拳から肩口にまでかけて幾重もの紅いヒビのような筋が走った。
そして浮かび上がるは紋章。
家紋のようなそれは《鬼》の顔を模したもの。伊吹の右拳に映し出される。
「それは……‼」
「儂の奥の手じゃ‼」
目線は真っすぐ。二つの力の交差点に対してただ目を向けた。
伊吹のなかで力が溢れる。
意識するのは対象だ。
これから自分がなにを目指し、なにを殴るのか。
それと自らを同じ領域に立たせる感覚。
己が同じ領域に立つ感覚。
目前の異能に対し、同じ土俵でそれをぶん殴る。
伊勢の《蜻蛉切》が万物の切断権を持つものだとしたら伊吹のそれは万物への『干渉権』。
伊吹はそれを行使して対象を定めた。
《──断てよ蜻蛉。三千世界の彼方にて》
そして……
《──蜻蛉断!》
「────」
引き絞られた力は放たれて……破砕する。
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