第7話

「────‼」


 まずは一歩。二人の距離を塗りつぶすように伊吹は前に出た。


 長物相手の定石は近づくこと。それに則り行動を起こした。


 だがそれは逆に言えば近づかなければ何も出来ないということ。


 それにそもそも長物というのは相手を近づけさせない武器なのである。


 ならば伊勢がそれを黙って見送る理由はない。


「ハァァァア‼」


 突き。最小の動きで最速の成果をもたらすその動きに、しかし伊吹は冷静に対応する。


 その穂先を下へ屈むようにして避けてすれ違った。


「甘いぞ!」


 言葉とともに伊勢は突く動きから引きへと移行する。


 自身の右側へと向かって薙ぎ払うように引き、切る。


 その軌道の上には伊吹の首がある。


「く……!」


 だからこそもう一歩前へ。


 その穂先が首を切り取る前に柄を滑るようにして近づいてきた。


「⁉」


「ふん!」


 だが柄だの穂先だの彼女にとっては関係ない。


 その膂力を持って力づくで薙ぎ払いを完遂する。


 伊勢は一度停止した動きの中、零からの挙動のみで伊吹を弾け飛ばしたのだ。


 伊吹はその流れに逆らうことなく自ら飛ぶ。


「──馬鹿力じゃのう‼」


「馬鹿と言うな‼」


 追撃の手を緩めることはない。


 飛んだ方へ向かって上段から繰り出される一撃はまさしく力任せで、故に速い。


 伊吹の頭を両断せんと刃が煌めく。


 それを見た伊吹は咄嗟に両の手を合掌のような形に準備して自身の顔の前に構える。


 白刃取りだ。最良の瞬間に両の手を合わせて、振り下ろされた刃を抑え込む。


 一歩間違えば即座に死に繋がる徒手の奥義だが、いけると踏んで一呼吸。覚悟を決めてそのときを迎え…………


「────いかんな」


 ようとした瞬間、伊吹は即座に悟った。これは無理だ、と。


 判断してから行動までは一瞬だ。伊吹は後ろへ向かって飛びのいて一撃を避けた。


 結果は直後に現れる。


 勢いよく放たれた槍は眼前を通り過ぎていき、足元へ流れた。


 驚くべきは余波だ。


 穂先は本来ならば地面に叩きつけられ動きを止める筈。


 ……そう。


 筈、とはつまりそうはならなかったという意味である。


「んな……⁉」


 伊吹は驚愕に目を見開いて穂先の行き場を見た。


「────良い判断だ。受けようとしていればその腕吹き飛んでいたぞ」


 アホな、という言葉が出かかってくるのを堪える。


「本気で殺す気かい貴様!」


 振り下ろした刃は地面に減り込み、そのまま弧を描いて振り切られた。


 なんの抵抗もなく、豆腐を切るような気軽さで地面が裂かれて行くのは通常あり得ない光景。


 このような荒業を行えたのは腕前の要素を当然含んではいるが、しかし明らかな異能の成果。


「殺す気などないさ。ただ……」


 彼女は笑って言う。


「──殺しても良い。そう思ってはいるがな」


「怖いのう……‼」


 伊勢が操る《蜻蛉切》。


 代々桑名家に伝わる名槍で、天下分け目において当時の当主はこれを用いて猛威を振るったと言われている逸品だ。


「──刃先に止まった蜻蛉が両断された。だから《蜻蛉切》」


 勿論ただの槍ではない。


 その槍の本領とはこの国の人間が降魔に対抗するため作成した異能の武器である点だ。


 そもそも瘴気とはなんなのか。


 なぜ瘴気を纏う降魔の姿は鬼や鵺といった空想の怪物の姿を成しているのか。


 ……かつてある陰陽師は語った。


 曰く瘴気とは人の心を写す鏡であると。降魔とはつまり人が持つ恐怖の具現であると。


 ──こんな化物がいるかもしれない。

 ──あの森には鬼が住み着いている。

 ──この厄災は悪霊の祟りである。


 そんな噂や信心を基に形作られた器に瘴気とは入り込むのだ。


 つまり降魔とは人の持つ悪感情が具現化したものであると言われている。


 しかし人の心は負の側面だけではない。


 逆に言えば、人の希望にもまた瘴気は入り込んで力と為せるということだ。


 英雄の逸話や伝説、神話の御業。


 これはそういった人の正の側面が生み出す想いを具現化した兵装だ。


 人々が想う力の象徴に瘴気を人工的に注ぎ込んだ《和魂(にぎみたま)》と呼ばれる個人兵装。


 民衆が願う力をその通りに実現する。これらはそういう能力を持った武器だ。


 なかでも《蜻蛉切》は間違いなく上位に入る逸品と言えよう。


 その能力は今伊吹の目の前で発揮している。


「────万物両断。金剛石だろうが黄金だろうが《蜻蛉切》の刃を阻むことは決して出来ない。単純だが、しかしそれ故に強い力だ」


 その通りだ。伊吹は心の中で伊勢の言葉に同意した。


 一人の武芸者にとってこれほど厄介な能力はないし、使う側だとしたらこれほど信用出来る能力もない。


 ただの刃なら相手のしようは幾らでもある。


 刃を掴む。

 刃を弾き飛ばす。

 また場合によっては敢えて肉を断たせて拳を叩きこんだりも出来る。


 しかしこれは違う。やたらと切れる名刀だとか、そういう次元の話ではないのだからそれらは出来ない。


 一撃でも身体に触れさせればその部位はたちまち切断されてしまうのだから単純に刀剣類と対峙する戦法とは根本的に話が変わってくる。


 それは伊勢の動きを見ればよくわかる。


 彼女は先ほどの上段切りにおいて地面の存在を一切考慮していなかった。


 これは異常だ。


 あのように長物を地面に振るいでもしたら地面に刃が喰い込んだり、地面に打ち付けた反動で一瞬動きが止まってしまう。


 なので普通武芸者はあそこまで思い切りよく槍を振るえたりしないのだ。


 なに一つとして太刀筋の障害になることは無いと、そういう振り方でありそういう意識をベースに伊勢は戦法を構築している。


 そういう武術を叩き込まれて育ったということ。それ自体が怖い。


 《和魂》を前提とした戦い方だ。


 それは即ち常道ではなく、ある種の邪道。


 伊吹はこれまでの人生で戦った相手など師匠である村上隆吾と兄弟子のユーリ、そして家の周りにいた降魔程度だ。


 確かにその二人は人外と呼ぶに相応しい強さではあるが、それ以上に正当な武道家だった。


 故に兵装持ちの相手との経験値は皆無。


 初めて見る異能の力を操る武道家に、しかし伊吹は高揚した。


 あぁ……


「強いのう……!」


 桁外れの馬力に兵装能力。それを軸にした初見殺しの戦闘術。成程、確かに強い。


 ────だからこそ燃える。


「さあ、どこからでも来い!」


「望むところじゃ……‼」


 一呼吸。


 短く息を吸って伊吹は前へ駆けた。


 先ほどと同じ動きで再度、伊吹は槍が届く絶対領域の内部へ踏み込んだのだ。


「馬鹿の一つ覚えだな!」


 今度は突きではなく薙ぎ払い。伊勢は相手の胴目掛けて横に一閃を放った。


「馬鹿じゃからな!」


 伊吹はまともに受けることをせず、その払いをいなして避けた。


 だが当然それで終わる程甘くはない。


 流れる動きのままに円運動は維持されて伊勢による連撃が始まる。


 槍の最速行動である突きではなく薙ぎを主軸とした連続行動だ。


 防御不能な斬撃と防御を打ち壊す柄の払い。


 嵐のように上下左右から致死の一撃を繰り出すそれこそが桑名伊勢の武術。


 受け止めることが出来ず回避に専念するが、槍そのものに干渉しないその立ち回り故に穂先の速度は上限なく加速していった。


 もはや視認出来るのは穂先に反射した光の軌道だけだ。


「……っく⁉」


 その軌道が弧を描いてこちらの首へと向かって来た。

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