第6話



 降魔が蔓延る世界にて個人の武勇は重要な意味を持つ。


 それは降魔を祓える装備が一兵卒まで行き渡る程に量産出来ない以上、当然のことだろう。


 故に武芸者はこの平和な時代においても引く手あまたで、どの家にもその存在は歓迎される。


 幕府での発言力も個人が所有する戦力が大きく影響を持つ程だ。


 そんな世の中で武家の子が幼少のころから武芸を叩き込まれるのは当然の流れであろう。


 なかでも将軍家の侍従となれば即ち、この国における究極のエリート。


 将軍家一族の身辺警護を務めるその職務から家柄よりも腕が優先されている。


「さて、準備は良いか?」


「……本当にやるんか?」


 朔夜の腹心として幼い頃から行動を共にする彼女。桑名伊勢はまさしくそれだ。


 八神家が保有する屋敷。そこにある開けた訓練場で二人は相対した。


 伊勢は全身を具足で固めた合戦姿。


 手に持つ長槍をなんどか振り回してその調子を確かめた。


 それに対して伊吹は幾分か軽装で、唯一の武装は黒い手甲ぐらいしかない。


 そんな二人に視線を向けるのは朔夜と一喜。


 朔夜が困惑しているような顔でそれを見つめているのに対し、一喜は笑顔を浮かべて楽しそうだ。


「……本当、姉上は武芸者というものがお好きですな」


「私は体が弱いですからね。強い人、というのは一層憧れちゃうのよ」


「姉上……」


 ふふ、と楽しそうに笑う姉を見てしまうと朔夜はあまり強く言えなくなる。


「ですがなぜわざわざあのような破廉恥な男を……。もっと他に腕を自慢しにくる武芸者はいるでしょうに」


「彼をそこらの武芸者と一緒にしては駄目よ。あの村上の弟子なのだから。気になるのは仕方ないじゃない」


「しかし姉上は先ほど信じられないと言ったばかりじゃ……」


 そう。この姉は今さっき言ったばかりだ。


 村上隆吾の弟子だという証拠はあるのか? と。


 無いと言う伊吹に対して、ならばその強さで証明しろとも彼女は言った。


 一度村上の拳を見たことのある一喜はその流派を知っている。


 だからこそ、その技を見せてみろということになって、今に至るというわけだ。


「彼は本物の弟子よ。間違いなくね」


 ふとした動きからわかる身のこなしや重心の移動。それだけで彼が実力者だと判断できる。


 それになによりあの眼とあの気性。


 こんな試しなどせずともわかりきったことだ。


 それに第一……と言葉を切って、


「そう何人も大障壁を超えられる人種がいてたまるか、って話じゃない?」


「姉上……。底意地が悪いですよ……」


「うふふ。ごめんなさい」


 はぁ、と呆れ気味にため息が漏れる。


 悪い癖だ。そう妹ながら感じる。普段は非常に優れて冷静な彼女だがこと武に関わることになると、こういった悪知恵が働いてしまう。


 ……まあそんなところが可愛いのだがな!


 そんなことを心の中で思っている朔夜を後目に、遠くで伊吹は脱力した。


「聞こえてるんじゃがのう……」


 家の周りを降魔がうろつくような、心の置けない山の中で育った伊吹にとって最も信頼する器官は耳だ。


 ある程度離れた距離にいても物音を聞き逃すことはない。


 ……多分そんなことわかっておるんだろうが。


 別に小声で言っているわけでもない。


 堂々とその意図を口にしている時点で儂が、じゃあやめにしよう、と言い出すことはないと判断した結果ということだ。


(拒否したら首が飛ぶだろうしなぁ……)


 怖い。本当都会というものは怖い。


 さっさと山に帰って近所の降魔を殴り倒す生活に戻りたいと心の底からそう思った。


「武器は良いのか?」


「ん? ああ、儂の流派は徒手だからええんじゃよ」


「刃物に対して素手とは舐めてるにも程があるな」


「……勘違いしとるのう」


「どういうことだ?」


 伊吹は手を何度か開閉してその調子を確かめた。


 骨の音が響いて、会話をしていた姉妹は改めて立ち合う二人に視線を戻し、互いの準備が整ったのを察する。


 ……そう、勘違いだ。


 儂は決して手を抜くなどということはしない。


 いつ死ぬかもしれないこの世界で、必死を怠ったことはただ一度としてない。


 なにより目前の女だ。 


 強い。そんなことは一目見ればわかることだ。


 そのような相手を前に、全力を出さないなど勿体ないことを儂は出来ない。


 楽しみだ。初めて師と兄弟子以外の相手に立ち会うことが楽しみだ。


 ……絵葉は武芸者じゃないから論外じゃな。


 故に勘違いなのだ。


「素手で良い、ではなく素手が良いのじゃ。それが儂のなかでの最強じゃからな」


「……成程」


 その言葉に対して伊勢は頷く。


 相対してわかる。この男の本性を。


 ──獣のような男だ。


「全力で行くが……死んでも知らんぞ」


「上等じゃ」


 ブンッ! と槍を一つ大きく振るう。


「これより模擬戦闘を始めます。準備は良いですか?」


「ふっ、今宵の《蜻蛉切》は血に飢えている……」


「良い槍じゃ。しかし……」


 両者は互いに一歩二歩と離れていき、距離を取る。


 伊吹は膝を軽く曲げて前傾の姿勢をするのに対して伊勢はその場を踏み均してどっしりと構える。攻めと守りの二極は互いに息を軽く吐き、深く吸う。


「────では……始め!」


「今は昼じゃぞ」


「五月蠅い‼」


 両者の叫びが交差して、ぶつかった。

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