第5話

「えー、ではこれより虚言によって世を混迷させんとした下手人の処刑を……」


「待ってくれ! どうか、どうか弁明だけでも!」


「ふっ、なんてな。冗談だ。流石にいきなり処刑なんてことは早急にも程がある」


「……お主、絶対許さんからな」


 少し開けた庭のような場所で、そこに面した畳の間を見上げるような形で縛りつけられている伊吹。


 傍に立つ伊勢の笑いに腹が立つも同時に安堵を感じた。


 普通この手のものは罪人を引き渡した後は違う役職の人間が引き継ぐことになる。


 ……と絵葉が言っておった。


 つまりそうなっていないのはこれが裁きではなく事情聴取であるということ。


(第三案来い第三案来い第三案来い第三案来い第三案来い第三案来い‼)


 心の底から念じているとどこからか高らかな声が聞こえた。それを無視してなお念じていると途端に頭に重いなにかの感触が降って来た。


「頭を下げろ、バカモノ!」


 伊勢により頭を押さえつけられた伊吹は前のめりになってその額を地面にこすりつけた。


 数秒か数分か。体感としては中々に長い時間そうしていると「良い」という声とともに頭にあった感触は軽くなって動きに自由が戻った。


 ゆっくりと顔を上げて伊吹は屋敷の方を見た。そこにいたのは先ほど会った朔夜と言う名の少女。


 それと簾の向こうにも一人だ。影しか見えないがその柔らかな様子から女性だとわかる。


 朔夜の方はというと、どこか不機嫌そうな仏頂面で簾のすぐ傍で正座をしている。


 そんな風に状況を把握しようと目の動きだけで辺りを見回していると声がした。


 優しそうな、丁寧な響きだ。


「朔夜? そんなに怖い顔してどうしたの?」


「……こんなケダモノにわざわざ姉上が出向かなくても……」


「あらあら。いけないわ、そんなことを言っちゃ。わざわざ遠いところから来てくださったのよ。会わないのは失礼だわ」


「遠くから⁉ そんなもの嘘に決まってます! こいつはただの変態! 色情魔です! あぁ! こんな輩を姉上の前に座らせるとは、それだけで嘆かわしい!」


 初対面はお堅そうな女子という印象を受けたが……中々過激なようじゃな。


 伊吹は目前の少女に対する認識を改めながら、姉の方に意識を戻した。


「まあまあ。取り敢えず話を聞いてみましょう。……いいですか?」


 で、と。二人で行われていた会話を打ち切りこちらに向かって声を掛けた


「────壁を越えて来た、というのは貴方のことでしょうか?」


 澄み渡るような問いに一瞬呆けるも、そうだと伊吹は答える。


「どうやってですか?」


「それはこう……ちゃちゃっとよじ登って……」


「真面目に答えんか!」


「真面目じゃ!」


 本人は至って真面目に答えるが、しかしそれを信じられないのも無理はない話。


 日ノ本を両断する大障壁。それの真に驚くべき数値は厚みでも幅でもなく、高さだ。


 高度五千メートル。成層圏にまで届く圧倒的な高さこそ大障壁最大の特徴と言えよう。


 その高さまで素手で登り、降りて来た。


 あり得ない。この二百年、翼を持つ降魔であっても出来なかったことをただの人間にやり遂げられようか。


 そう思うのは当然の感想だろう。

 

 だがそれを聞いた八神一喜は一つあることを思い出した。


「……ねえ、朔夜」


「……どうされましたか?」


「彼の汚染度の検査はしたんでしょ?」


「ええ。戯言とはいえ西方から来た、などと主張しておりましたから……。──伊勢、そういえば報告を受けていなかったわね。どうだったの?」


「それは……」


 言い淀む少女。手に持った紙には確かに男を調べた際に出た結果が書かれている。


 しかしそれを素直に口に出せないのは、その検査になにか不具合が起きたから。そう思っているからだ。


「た、多分何か手違いが起きたものだと思いまして、報告するまでもないかと判断し……」


「いいから。言いなさい」


「……本当に?」


「本当に」


 しっかりと目を合わせて語る朔夜。そこまで言われてはもうこれ以上控えておくわけにはいかない。


 伊勢は宮司から送られてきた診断結果を読み上げる。


「……汚染度『伍』。そう書かれています……」


「⁉」


 聞こえて来たのは伊勢が言ったようにあり得ない数値だった。驚き、思わず立ち上がる。


「伍だと⁉ どういうことだ!」


「ですから恐らく、なにかしら不具合があったものかと……」


 汚染度とは穢れに如何ほど侵されているのかを簡易的に等級分けしたものだ。


 壱……汚染の初期であり、状態としては普通の人間と変わらない。


 弐……汚染が進み、人は正気をなくして自らの欲望に従って行動する。


 参……人の容貌を保てなくなってきた状態。意識はなく、ある意味もっとも安全と言える。


 肆……妖怪変化の類にその身を堕とし、明らかに人ではなくなった存在。。


 そして伍段階目は……


「伝説上の鬼や龍。その領域に至るまで汚染が進んだ怪物……‼」


 古来の言い伝えに従うなら神話の怪物八岐大蛇や山を駆ける鞍馬天狗など。


 汚染度『伍』の降魔とは明確な名前を持った人類の敵だ。


 だからこそこの検査はなにかの間違いなのだ。この男は間違いなく人間であり、なにより対話を可能とした知性ある人類である。


 皆がそう思うなかただ一人その結果に成程と頷き、納得する動きがあった。


「……その人の話、本当かもしれないわよ」


「どういうことですか?」


 ええ、と一言。


 彼女がそう言う理由は単純。かつて同じような人を見たことがあるからだ。


「────村上隆吾」


「っ!」


 ぼそりと呟いたその名に伊吹は反応を見せた。


「……『拳豪』村上隆吾。昔、同じように壁を越えて来たと言ってお父様の下にやってきた人を見たことがあります。その人も汚染度が参と高く、しかし確かに人として生きていました」


「拳豪とはまさかあの……!」


「そう。かつて起きた西国の大規模襲撃。大障壁が破壊されかけたあの乱を鎮圧した数いる英雄の中の一人。それが『拳豪』であり、西国の山中で生活する変わり者の武道者。彼はどういうわけか瘴気に侵されながらも正気を保つ技術を持っていたわ」


「『……毒を以て毒を制す』」


「え?」


「あのおっさんが良く言っておったわ。少しづつ体に馴らせていけば毒は薬になると。アホらしい理論じゃが、事実それで健康だったのだから末恐ろしいわい」


「やはり……知り合いかなにかなのね?」


「息子兼弟子じゃ。ガキの頃拾われた義理の、じゃがな」


 そう、と一喜はその事実に喜んだ。


 この大出征間近の大事な時期、戦力は一人として欲しい。


 拳豪ならばその力一つが戦略規模で計算できる傑物だ。


 息子を寄越したというのはなにかしら意思表示なのだろう。


 そう考え、彼女は問う。


 駆け引きでもなんでもないただの世間話のような感覚で、幼い頃見たあの強い人を思い出しながら、御元気ですか? と。


 しかし返って来たのは予想だにしない一言。


「……死におったわ」


「────ッ⁉」


 その息子である伊吹はゆっくりと口を開き、答える。


「……病気か何かで?」


 なぜかを尋ねるその質問に伊吹はいいや、と首を横に振って否定した。


「殺されたんじゃよ。弟子にな」


「殺された⁉ あの人が⁉」


 そんなはずがない。大規模侵攻を食い止めた英雄が殺された?


 しかも弟子にだ。にわかには信じられない発言を更に補強する伊吹。


「……儂の懐に紙がある。取ってくれんか?」


 後ろ手を縛られた伊吹は傍に立つ伊勢に向かってそう頼む。彼女は目線で朔夜に許可を求め、了承の頷きを返される。


「……こら、どこを触っておる! そこじゃないもっと下じゃ!」


「ええいうるさい! 大人しくしろ!」


 伊吹の体をまさぐるその手は、何度かペタペタと彼の胸板あたりを叩いた後、ようやくなにやら紙のようなものを指先に感じた。


「これは……写真か。近頃この国でも見るようになったな」


「見せなさい」


 言われて、伊勢はその紙を持ったまま朔夜の方へ。


 彼女はそれを受け取り、見た。

 

 そこに印刷されていたのは西洋人らしき格好や顔立ちをした一人の青年だった。


「先ほど貴様が商人に見せていたものか。……ん?」


 よく見ればその写真は半分に折られたものだった。厚みという違和感に気付いた朔夜は写真を広げる。


 西洋人風の男と並んで写っていたのは見覚えのある顔だった。


「あの南蛮人の娘か……」


 絵葉と言われていた少女。その彼女が薄い笑いを浮かべながらそこにいた。


「そういえばもう一人の女は……」


「それがそのう……」


「逃げたぞ」


「……はぁ⁉」


 驚く朔夜。語る伊吹は随分と不満気だ。


「そもそもあれをただの牢屋で捕らえておこうというのが間違いじゃ。絵葉は本物の降魔。しかもそんじょそこらのとは別格の伝説級じゃぞ」


「ッチ! ただちにあの女を!」


「待ちなさい朔夜」


 立ち上がってそう指示を出そうとする彼女を手で制する一喜。その手に握られている写真をじっと真剣な眼差しで見ながら続けて伊吹に向かって、


「その絵葉さん? という人は安全なのね?」


「一応自制心と良識はある。余程のことがない限り暴れないと確約しよう。それになにより、あれは今力を失っている。穢れをまき散らすようなことはない」


「そう。それならいいわ」


「姉上!」


「大丈夫。もし民に危害を加えようとしたときは……」


 いいですか? 問い掛ける一喜の声音は冷たく、重い。成程、大した女だと伊吹は感心した。


「構わん。殺せばいい。無理というなら儂が首を折りに行ってもよいぞ」


「あらそう。それは頼もしいわ。……それで、この写真は?」


「そこに写ってる男が儂の兄弟子で、絵葉の兄。ユーリ」


 まあつまり、と一呼吸置く。


「師、村上隆吾を殺した奴じゃ。今は江戸にいる……らしい」


「この人が……」


 とてもそうは見えない、というのが正直な感想だ。人のよさそうな感じで笑っている彼が、あの拳聖を殺すなどと。


「降魔の兄ということはこの人も?」


「そう。人ではない」


 人型の降魔。確かにいないことはない。歴史においてもその存在は確認されているし、なにより現在西国を支配しているのはそういった種類の奴らだ。


 しかしこれほど明確に人の姿をしているというのは記憶にない。


 そんな滅多にいない知性と特異な能力を両立した存在。そんな者が今江戸に、しかも二人もいるという。


 ……少し警備体制を見直さなきゃね。


 危害を加えるとかどうこう以前に、こうも容易く侵入されるのは国家の威信に関わることだ。


 もう少し警備の方に厳しく目を配置するべきだろうか。


 とはいえ大障壁を登ってくるなんていう荒業、どう防げば良いのか見当もつかないのだが……。


 一喜は頭痛を感じながら伊吹の目的を察する。


「つまり貴方は父であり師匠の仇を討つために江戸まで来たと、そんなところですか……」


 納得し、呟くようにそう自分の中で整理する。


 しかしその言葉に対して伊吹は違う、と明確な否定を口にした。


「仇討、などという気持ちはこれっぽっちもあるものか」


「なぜだ? 親であり師である人を殺されたのに」


 朔夜の問いに、伊吹は当然だろ? とばかりに肩をすくめた。


「別に兄弟子は……あの男は卑怯な手を使ったわけではない。村上隆吾は道着を着て、笑いながら死んでおった。師は武人じゃ。その武人が正当な立会いで殺されたのなら、儂にそれをどうこう言うつもりはない」


「ではどうしてその男を追っているのですか……?」


「理由は二つ。一つはあの女、絵葉に兄を探すのを手伝えと協力を頼まれたんじゃ。……残念なことに、今の儂はわけあって絵葉に逆らうことが出来んくてな」


「ではもう一つの理由は?」


「なに。そっちは簡単じゃ」


 一息。彼は特になにか思うことなく素直に目的を口にした。


 それは息子としてでも弟子としてでもなく、一武道家としてごく自然な理由だ。


「師を超える。それは武道家としての本懐じゃ。自らの強さを持って教えの正しさを示すことはなによりの恩返し足り得るしのう。儂とてそれを一つ目標にここまでやってきた」


 ……まあ、単純にあの憎たらしい髭面をへこませたいって気持ちが九割じゃがな。


「だがあのおっさんは死におった。儂に超えられることなく死んでしまいおった。故に儂は師と立ち合える機会を永遠に失ってしまったわけじゃ。……だからと言って師を超えたことを証明する方法まで失われたわけではない」


 師を超えることは武人にとって一つの極みだ。


 伊吹もそれを目指し、また師である村上もそれを為させるために弟子を鍛え上げていたはずだ。


 だが村上隆吾はもういない。終ぞあのおっさん相手に勝つことなく、逝かれてしまった。


 ではどうすれば師を超えるという武人の本懐を遂げられるのだろうか。


 その答えは簡単だ。


「────先に師を殺されてしまったのだ。ならば師を殺した男を殺せば、それ即ち師を超えたことの証明に不足はなかろう」



 師を殺せなかった。


 だから師を殺した人間を殺す。


 それだけじゃ、と伊吹は純粋に答える。


「……そうですか」


『先』という言葉に全てが詰まっている。


 悔しいのは親しい人を殺されたことではなく、自分もまたやろうとしていた行為。先にそれをやられてしまったことなのだ。


 ……一見無骨ながら誠実そうに見える大江伊吹という青年。


 しかし育ての親を殺そうとしていたこと。


 そんな想いをさも当然のように語るこの狂気こそが目前の男の神髄なのだ。と、そう一喜は認識しようとする。が、


 ……いいえ、違うわね。


 そんな認識を自ら捨て、思い出すようにして呟く。


「……まさしくあの人の弟子。そうなのですね……」


「? なにか言いましたか、姉上」


「……いいえ、なんでもないわ」


 脳裏に浮かぶは幼い頃見かけたあの闘争に狂った燃え滾る眼光。彼の師、村上隆吾と父との会話だった。


 人の世の為という立派な理由ではなく、ただ修行の為に降魔を殴りに来たなどと、そんなことを言って西方の大襲撃に真っ向から立ち塞がった拳豪がいた。


 その弟子であるこの男もきっと同種なのだろう。道理や義理などではなく、ただ武のためだけに生きる狂人。


 成程、あの方の弟子に相応しい人だ。


「……ねえ朔夜。これ、ちょっと上げてくれない?」


「な⁉」


 上げて、というのは顔の前にかかっている簾のことだ。


 将軍である彼女がこうして得体の知れない男の前に座っているのもあり得ないことで、その上素顔を見せるなどということはその部下である、それ以上に妹である朔夜にとって度し難いものがある。


「駄目です、姉上! このような輩にお姿を晒すなど……!」


「いいから。これは将軍としての命令ですよ」


「……っ! ……了解しました」


 一葛藤の後に、しかしこれ以上彼女の命令に反することを良しとせず朔夜は従った。


 ゆっくりと眼前の簾が上がっていきその素顔が露わになった。


 長い黒髪に優し気な目。きつい印象を受ける朔夜とは対照的に彼女は柔らかに微笑んでいた。


「ジロジロ姉上を見るな!」


 ……そんな様子だが、しかしそれでいて確かに血の繋がりを感じる意志の強さがある。


 なにより美人だと、そう伊吹は思った。


「成程ね……。話は充分分かったわ」


 彼女は伊吹の目をじっと見て、頷く。


 そして優しく、しかし少し困ったように微笑む。


「でもねぇ……」


 一旦間をおいて、ごめんなさいねと謝ってから……


「君の話、証拠ないのよねぇ」


「今更過ぎるじゃろ‼」

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