第4話
暗い空間には湿気が満ちて、揺れる蝋の灯りに眠気を誘われる。
中々に広い空間だ。自分たちの他には誰もいなく、だから遠慮なく横になれる。
「そんなにリラックスしちゃっていいの?」
りらっくす、という言葉の意味はよくわからない。だがまあ察するに油断するとか気が抜けてるとかそのあたりだろうと適当に山を張って答える。
「ええんじゃよ。多少思ってたのとは違うが、こうして権力者に近づけたわけだし。お主の計画通りじゃないんか?」
「懐に入った、を通り越して胃の中に呑み込まれたって感じだけどね。このまま処刑されたりしないかしら。……私の場合は死なないからいいんだけど」
「大丈夫大丈夫。慌てない慌てない」
「……その根拠は?」
横になる伊吹に問う絵葉。
いつものようなはぐらかした回答は許さない。そう目が語っているのを確認した伊吹は身を起こした。根拠は三つだ。
「一つ。奴らは儂の言ったことなど信じておらん。認識としては多分妙な嘘をついてるだけの変人ってとこじゃ。それだけの奴らを処刑するわけはなかろう」
「いや、するでしょ」
「……は?」
呆気なく自分の考えを否定された伊吹は気の抜けた声を上げた。
「私の国の話だけど、そんな嘘ついて役人動かしたってことになったら、そりゃあ簡単に首くらい刎ねるわよ。安全保障に関わる問題だし」
「……国というのはそこまで頭が固いのか?」
「イエス」
「……」
無言の間が一瞬広がる。どこかで聞こえた水滴の音がやけに背筋を震わせて身震いする。
生まれてこの方、国とかお上とかと無縁に生きてきた伊吹の認識は現実とだいぶ乖離しているようだ。
「ふ、二つ目じゃ!」
勢いよくそう言って持論を語る。
「あれは不慮の事故だし、連れていかれる直前にしっかりと弁明しておいた! 蟲だって見せたしきっとわかってくれるはずじゃ」
「いや、そんなこと関係ないでしょ」
「……は?」
「女性の体を安く見過ぎね。どんな理由があろうとあんたはあのお姫様を恥ずかしめた。許されるわけないじゃない。しかもその捕まえた蟲も潰しちゃったんでしょ? それじゃあ言い訳にすらならないわよ」
「み……三つ目じゃ!」
もはや惨めにすら思える伊吹の論理武装。主張と言うよりは懇願といった様子だ。
「奴らが儂の言った大障壁を超えて来たという証言を信じた場合……」
「ん? その仮定一つ目と矛盾しない?」
「場合!」
「続けるのね……」
「……大事な大障壁に穴があるなんて聞いたら詳しく話を聞きたがるだろうし、なにより奴らは西国の情報を欲してるはずじゃ。西方出身である儂の首をそう簡単には切らんじゃろ」
「そりゃまあ……そうでしょうね」
納得。
大障壁はこの国の生命線だ。
それが簡単に行き来出来るなどと言われたら幕府の人間として無視することは出来ないだろう。その点で確かに、伊吹の言うことは一理ある。
うむ。非常に説得力のある理屈だ。
「こんな奴と組んだのは失敗失敗っと……」
信じてくれるわけがない、という前提を除けばあるんだろうな。……ないけど。
「待て! 手枷を外してどうするつもりじゃ⁉ ……というかどうやって外したんじゃ⁉」
「そりゃもう。こう……ちゃちゃっと」
「ちゃちゃっとってなんじゃ‼」
伊吹に見せつけるように謎の動きをする絵葉。人間離れしすぎているためなんの参考にもならないことだけはわかる。
そんな伊吹を無視して絵葉は檻の前に行き、何度か軽く牢を叩いた。造りは単純な鉄製。
吸血鬼である自分を阻む力は無いと知る。
「それじゃあ私、今度は頭の良い協力者探してくるから……」
「おい! なにするつもりじゃ⁉」
言葉の終わり。少し集中した様子で目を瞑る絵葉は不思議なことに段々とその影を薄くしていく。
向こう側すら透けて見える程に。
そうなったと思った直後、彼女の身体がふわりと揺れて陽炎のように境界線をなくした。そのまま輪郭が闇に溶け……そして消える。
……逃げる気か!
気付いたときには既に面影すらなく、彼女は響く声だけを残していった。
「んじゃ私は一旦抜けるから、生き残ってたらまた会いましょう。……無理だろうけど」
「待たんか! 残された儂はお主のことをどう説明せぇと⁉」
「……ガンバ!」
その言葉を最後に気配が消える。武道を修める崇道には確かにその消失を感じられた。
そしてタイミングは最悪と言うよりなし。
彼女の声の残響を掻き消すようにしてその場に新たな音がやって来た。
それは人の靴が地面を擦る音。つまり誰か来たということだ。
階段を下って来た足音の主は先ほど自分たちにお縄をかけた伊勢と呼ばれる少女。
「──時間だ、来い。……うん? もう一人の南蛮人はどこに行ったんだ? 厠か?」
「…………お主はアホか?」
捕まった奴が厠に行けるわけなかろう。
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