第2話

 関ケ原、という名を知らぬものは恐らくこの国にいないだろう。


 今から二百年とすこし前。この列島で行われた天下二分の戦の地であり、その名である。


 穢れに堕ちた西軍と我らが将軍率いる東軍は日本の中心にて構えた。


 ……結果から言えば敗けた。大敗北と言う他なしに敗けたのだ。


 当時の我らにできたことは最低限の目標であった穢れ拡大を防ぐ防波堤を作り上げられたことぐらいだろう。


 国土はそのときを境に、その地を境に、文字通り分かたれる形となった。


 以降東方は江戸を中心とした人間の国として。西方は降魔と瘴気が蔓延る穢れの国として二国が隣接する状態が続いている。


「故に。いや、だからこそ我らは今こそこの問題を解決しなければならないときに来ている」


 昼、太陽が頭上を照らし影が最短を示すその時間に、ある武家屋敷にて大勢の人間が一人の少女を前に平伏し、耳を傾けている。


 少女は凛々しい目つきで周囲を見渡し、家臣らの姿を確認した。


「近頃市中では穢れの発生数が増大している。その原因は当然わかっておるな?」


 場に肯定する空気が出来る。


 集まった大勢の一人、白髪の生えた壮年の男がその答えを口にした。


「南蛮人、ですな」


「そう。まさしくそれだ。我が国は以前より対外貿易の比率が増えている。それはまだよい。……問題は南蛮人らが、我らだけではなく西方でも交易をおこなっている点だ」


 降魔の中には知性と人の姿を持った存在も多い。


 防壁によって西方との繋がりを断っている我らだが、そんな知性ある降魔が南蛮人と繋がりを得たことで間接的に我らもまた西方の降魔と繋がりを得てしまったのだ。


 『二次感染』。そう幕府お抱えの蘭学者は言っていた。


「穢れの根源たる瘴気は大障壁を超えることはできない。しかし海よりやってくる南蛮人を経由してとなると話は別だ。瘴気に侵された交易品こそが穢れを誘発していると我らは考えている」


 穢れとは古来よりある病の総称。いや、病と呼ぶにはあまりに異質。まさしく呪いだ。


 その根源は西方より湧き出る瘴気。これに侵されしものは理性をなくし人に非ざる姿へ変容する。それこそが穢れであり、それにより生まれる怪異こそ降魔だ。


「さて、本題はここからだ。……如何様にする」


 漠然とした問いだが、各々自らの手札を理解している。


「開国か、鎖国か、討伐か……」


 家臣の一人が呟く。


「開国はありえん。大陸の話は知っておろう。隙を見せては喉元を食い破られるのみぞ」


「うむ。仮に状況を打開したとしてもそれでは先が見えている」


 その通りだ! 第一声を発した者に賛同する声が上がった。


 開国論は一部の蘭学者が唱える海外の祓魔技術を導入し穢れを払うという考えだ。


 無論このやり方では外部の介入を防げない。現在虎視眈々と海外侵略を図っている奴らを招くとは自ら獣の口に飛び込むことと同義だ。


「だからといって鎖国もまた現実味がなかろう。それこそ奴らの強制的な介入を招くこととなる」


 鎖国を強行していてはいずれ向こうも力尽くの策を打ってくる。そうなってしまえば体内に穢れの国という巨大な癌を抱えたこの国はどうしようもない詰みとなる。


「交易品だけでも検査を徹底すればいい。西方を経由した船は来航を禁ずるというのもありだ」


「……だがそれでは結局その場しのぎだ。根本的解決にはならん。やはり根源を断つことこそ、我らの悲願であり責務だ」


 家臣の話を聞いていた少女は口を挟む。結局、そうなのだ。先祖が残した禍根をこのままにしておくわけにはいかない。


 期限も迫っている。自分の代でこれらを清算せねばならない。


 そう少女は誓い、こうして家臣を集合させた。だが……


「しかしそう簡単に出来たらそもそも開国論なぞあがりませぬぞ」


 後ろに控えていた白髪の老人が反論する。


 それも当然だ。自国で解決できないからこそ南蛮の力を借りようという声が上がるのだ。


 知っているとも、と少女は自身の教育役である老人に答えた。


 そして知っている以上、答えは持ってここにいる。


「そうだ。我らは理性なき獣ではない。我らは至らなさを自覚している。現状において西方を征すことは難しい。それは皆のものも分かっていることだろう。現状においては、だ」


 確かめるように繰り返したその言葉に場にいる者は注目する。彼女は勝てないとわかって玉砕する猪でない。


 そのことを皆よくわかっているからだ。


 その彼女が口を開き数舜の間を置いた。


「────京から報せがきた」


 思考の後にゆっくりとある情報を報せた。


 京とは西方にあって唯一我ら東方勢力が確立している領土。


 関ケ原の後、初代将軍が西軍本拠地大坂の討伐を行うときの前線基地だった場所だ。


 とはいってもただでさえ敗北した関ケ原。大坂討伐は敗色濃厚となった時点で行われた最後の抵抗作戦だった。


 当時もそこに拠点を作ることは相当に至難であったことだろう。その上現代まで領土を保全していることは、通常考えて不可能と呼んでもよい。


 ではなぜ可能だったのか。


「────帝が目覚められたそうだ」


「…………っ!」


 その言葉に場は目に見えて騒ぎ出す。


 帝とはすなわち国の要。この国における祓魔の象徴であり……最高戦力だ。


 討伐戦敗北後、京に残りその身を犠牲にしてまで領土を死守してきた存在だ。


 大障壁の顕現などで力を使い果たした帝は最後強力な結界を京に張り、現代まで眠りについていたのだ。


 関ケ原より先の未来、いずれ来る反攻のために京の地は必要だと考えられて……


「知っての通り、帝は大障壁を張った本人でありその霊力は桁違いだ。故に今までは失われた力を回復するために眠りについていた。その帝が目覚めた今、これを勝機と言わずなんと言えようか‼」


 その力強い言葉に同調する声が空気を支配する。


 それだけ帝の存在はこの国の人間にとって大きなものであるということだ。


 当然だろう。


 国境の大障壁はこの国の誇りであり恥であり、されど支えだったのだから。


「だから私は……。現将軍 八神一喜(やがみ かずき)の妹であるこの私、八神朔夜(やがみ さくや)は、その預かった権限においてこの場に、第二次大坂討伐の出陣を下知する‼」


 その掛け声に声が上がる。家臣はその顔を突き合わせ肯定を唱える。


 日時や規模こそ未定ではあるが各々自らの領分のなかで出来得る準備のため、細やかな打ち合わせを始める。一部の者は少女──八神朔夜に一言、その場を去る。


「……希望的観測も良いところ、ですなお嬢」


 背後の老人がそう、少女に話しかける。


「帝がいた二百年前とて失敗したのですぞ。この太平の世、戦から長く離れた我らにはちと荷が重いかと」


「沼田殿、もうお嬢呼びはやめてくれ」


 はあ、と呆れ顔でそう呟く。


 それにだ、と朔夜は続け。


「戦こそなかったが発展をしなかったわけではなかろう。戦術も兵器も、当時と比じゃない」


「ふむ。まあそれは確かですな。降魔に対する研究も進んでおりますし南蛮由来の技術も入ってきておることだ。だが私が気にかかっているのはそれよりも……」


 老人はひとつ置き、そして。


「そもそもなぜ帝が今になって目覚めたのか。どうもこれがキナ臭くてのう……」


 疑問というよりは疑惑。出来すぎていると、そう感じる。


「……わかっております。裏を含めしかと調査を、ですな」


 そう頷き、朔夜は席を立った。


 至らない我らに必要なのはまずは情報だ。知ることが人間最大の武器であり、特徴である。


(……事前調査は重要と姉上も言っておったなぁ)


 流石は姉上。毎度のことながら良いことを言うものだ。自分も精進せねば!

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