第2話:手下を蹴散らす
夜も更け、村の住民が寝静まる深夜の時間。
ヒラサメは、寝床でひとり、窓の外を眺めていた。
村はずれの家から見える景色は、遠くにある岩の壁だけである。
少年の手は、すぐ隣で横になっている、妹の小さな頭に置かれている。
「村の危機……」ヒラサメ
ポツリと呟くヒラサメ。
彼の表情は悩ましげであり、時折、その体は震えている。
不安と決意と後悔、それらが入り混じったかのような、複雑な表情をしている。
そのとき、震える彼の手を、小さな両手が包み込んだ。
ヒラサメが目を向けると、目を覚ました妹が、兄の手をぎゅっと握っていた。
「カタリナ……」ヒラサメ
「お兄ちゃん、大丈夫?なにか怖いことでもあったの?」カタリナ
「ううん。大丈夫だよ。起こしちゃって、ごめんね」ヒラサメ
「お兄ちゃん。カタリナに何か、何かできることはない?私、お兄ちゃんの力になりたい!」カタリナ
力強いまなざしで、兄を見上げるカタリナ。
彼女の言葉を裏付けるように、ヒラサメの手を握る力は強くなっていく。
少年の手からは、みしみしと骨のきしむ音が鳴っている!
パワー!
海の民が持つ、深海の水圧にも耐えうる、圧倒的な身体強度!
それが、子供であるカタリナにも、しっかりと備わっているのだ!
今、海の民の力が、無邪気な妹の心遣いにより、存分に発揮されている!
ヒラサメの手は悲鳴を上げている!
しかし、ヒラサメは動じない。
妹の握手に、本気の力で握り返すなどということはしない!
カタリナの頭を優しく撫でている!
「ありがとう。なら隣の部屋から、海草を取ってきてくれるかな。僕、少しお腹がすいちゃった」ヒラサメ
「海草?わかった!」カタリナ
カタリナは手を離すと、隣の部屋へと消えていった。
兄は、解放された手を閉じたり開いたりして、妹を待っている。
顔には、安堵の表情が浮かんでおり、先ほどのように悩んでいる様子はない。
「やっぱり、これでよかったんだ。村の危機とはいえ、カタリナを一人残しては行けない」ヒラサメ
「きゃあああーーーっ!」カタリナ
「なっ!?この声は、カタリナっ!?カタリナぁーーーっ!」ヒラサメ
飛ぶように泳ぎ、ヒラサメは、悲鳴の元へと駆けつける。
すると、そこには図体のでかい、亀のような怪物が待ち構えていた!
ヒラサメの何倍もの体格を持つ怪物は、カタリナの首根っこを掴み、おもちゃで遊ぶかのように妹を振り回していた!
「げへへっ。叫んでも無駄だ!こんな村はずれからじゃ、誰にも聞こえない!」怪物
「やめろぉっ!」ヒラサメ
「あん?」怪物
ヒラサメは勢いよく、怪物に飛びかかる。
しかし、怪物がカタリナを盾にし、彼女の心臓辺りに爪を突きつけたことで、ヒラサメの突進は停止した。
カタリナは、怪物の人質とされてしまった!
「お前!なんの理由があって、カタリナにそんな仕打ちをしているっ!今すぐに妹を放せ!」ヒラサメ
「ぐすっ……。お兄……ちゃん」カタリナ
「ぐへへへっ!俺様は、欲望の悪魔であるデスリンボーヤローの、忠実なる使い魔!タンク様だぁ!」タンク
「そんなことはいい!早くカタリナを放すんだっ!」ヒラサメ
ヒラサメが強く怪物を睨みつけるも、タンクはまったく動じる様子がない。
それどころか、まるで兄妹の反応を楽しむかのように、笑いを返している。
亀は、明らかにこの状況を楽しんでいた!
「ぎゃはははは!妹を助けたいという、その思いこそが、欲望の悪魔の力を増加させるのだっ!そぉ~ら!」タンク
「いやああぁっ!やめてっ!やめてってばああぁーっ!なぁっ!」カタリナ
首の後ろ側を絞められ、ばたばたとあがくカタリナ。
そのとき、カタリナが後ろに鋭く手を振ったことにより、水が凄まじい力で押し出され、水圧のカッターとなって、タンクの体を切り裂いた!
「なにぃ!?ぐぎゃああああぁっ!?」タンク
水のカッターは、タンクの胸元あたりに細長い傷をつけ、体内を貫き、更には甲羅を裂き、家の窓すらも突き破って、海の中へと消えていった。
命の危機に瀕したカタリナの抵抗が、怪物タンクを貫くほどの、痛烈な一撃を生み出したのだ!
ダメージを受けて、よろめくタンクだったが、傷をつけた張本人を手放すことはなかった。
むしろ、怒りの形相を浮かべて、両手でカタリナの首根っこを締め付けた!
「やめろぉーっ!」ヒラサメ
ヒラサメは、妹まで距離を詰めたが、一歩遅かった。
兄が手を伸ばした、その目の前で、カタリナの首は、曲がってはいけない方向へと折れ曲がってしまう。
先ほどまであがいていた、カタリナの動きが止まる。
完全に止まる。
幼い少女の命は尽きていた。
カタリナは今、怪物によって殺されたのだ!
突如現れた怪物によって、妹を奪われた兄。
突如現れた怪物によって、命を奪われた妹。
その瞬間、ふたりの兄妹は、全く同じ表情をしていた。
悲しみと絶望の表情である。
ふたりを、怪物は笑う。
「ぜぇーっぜぇーっ。げ、げへへ……へへっ。お、俺様に、こんな傷を負わせてっ、はぁ、はぁ、た、タダで済むと思ったのかっ」タンク
「ううぅっ、ううううううぅっ!か、カタリナっ!」ヒラサメ
ヒラサメの目から、涙がこぼれていた。
すぐに海水に消えてしまう涙が、確かに兄の目から流れていた。
彼の心が、肉親を失った悲しみであふれていることは、間違いなかった。
ヒラサメは歯を食いしばる。
しかし、敵は容赦のない怪物である。
タンクは、妹の前で膝をつくヒラサメに、魔の手を伸ばす。
「がは……っ。こ、こうなったらっ。てめぇも同じようにっ、はぁはぁ、殺してっ、やるぜ……っ!」タンク
「うううっうおおおおおおぉっ!許さないっ!もうお前たちはっ、絶対に許さないからなあああぁっ!」ヒラサメ
ヒラサメは大きく拳を振りかぶり、タンクに向けて、勢いよく突き出す!
拳が、直接タンクに触れることはなかった。
触れる必要もなかった!
拳圧で作られた水の砲弾が、渦のような回転を伴いながら、タンクの体をなめらかに通り抜けていく!
家の壁を粉みじんにして、遠くにある岩の壁に、小さなクレーターを作り上げる!
水の砲弾が通った後、タンクの胴体には、大人の拳よりもひとまわりは大きな穴が空いていた。
カタリナのつけた傷跡が、埋め尽くされるほどの風穴が。
ヒラサメの放った最初の一撃により、タンクは戦闘能力を大きく損なうほどの傷を受けたのである!
タンクは、口をわずかに動かしてはいるが、すでに声は出ていない。
しかし、まだ反撃の意思は衰えていないのか、鋭い爪を、目の前に振り下ろした!
タンクの爪は、ヒラサメに当たることなく、空振りに終わった。
タンクが爪を振り上げた瞬間、ヒラサメは素早い身のこなしで、敵との距離をとっていたのだ!
少年は、開いた手を縦に構え、素早く振り下ろす!
縦に伸びた水圧カッターが、凄まじい速度で亀の怪物に迫っていく!
タンクはよろよろと動いていたが、右肩から胴までを切り裂かれてしまう。
ヒラサメの次なる一撃も、タンクに大きな傷を負わせた!
しかし亀は息絶えない!
深海で活動できるほどの強靭な体を持つタンクは、ヒラサメの重い攻撃に耐えきれるだけのタフさを兼ね備えているのだ!
海の民であるカタリナを死に至らしめた、その力強さは、伊達ではなかった!
ヒラサメは、壊れた壁から外に出て、自宅のはるか上にまで急上昇する。
体を縦回転させるヒラサメ。
回転の速度はどんどん速くなっていき、海中はひどく荒れていく。
速度が限界まで達したところで、足を伸ばし、かかとを力強く水中に叩きつけた!
巨大な岩のような水圧が放たれ、ヒラサメたちの住んでいた家まで急接近する!
水の隕石は、すべてを飲み込むように家を押し潰す!
巨大な水圧の塊によって、屋根も、壁も、内装さえも、全てが打ち砕かれていく。
タンクも、亡き妹も、土や壊れた家とともに、飲み込まれてしまう。
爆音のような衝撃が、海中に響き渡る。
タンクは、押し寄せる水圧に潰され、息絶えた。
いかに強靭なタンクといえども!
いかに深海で活動できるタンクといえども!
完全に潰されてしまっては、生き残ることなど絶対不可能なのである!
ぺちゃんこにされて、生きていられる生物など、いないのだ!
圧縮された水が、海に返る頃。
自宅があったはずの場所には、初めから何もなかったかのように、大きくくぼんだ地面だけが存在していた。
地面は、並の力では掘り返せないほど、強い力で固められている。
ヒラサメは、遠くに吹き飛ばされた石や木を拾い、一か所に集める。
頂点に木の棒を突き立て、その場に座り、手を合わせた。
彼は、墓を作ったのである。
墓の下には、妹と、その仇が眠っている。
「カタリナ。僕たち海の民は、いつも危険と隣り合わせだ。だから、こういう考えを持つのは変かもしれないけど。でも、兄として誓わせてほしい」ヒラサメ
ヒラサメは、手を合わせるのをやめて、立ち上がる。
少年の目は、決意に満ちた目をしていた!
「僕は、きっとカタリナの仇を討ってみせる。村を狙う悪魔を、僕の手で、必ず仕留める!だからカタリナ!お前を守れなかったこの僕に、勇気と力を貸してくれ!」ヒラサメ
ヒラサメは、悪魔を倒すことを亡き妹に誓い、墓を後にするのだった。
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