第3曲



「店長、とうとう来ちゃいましたね……」


 受話器を置いてから、ため息を吐くと坂野井さかのいが隣で青い顔をしていた。


「仕方ないさ。売り上げなんて、あってないようなもんだ」


「でも……」


「おれたち二人分の人件費すら稼げてなかった。いつかはそうなると思っていた」


 社長から直接言われた。

 大町店は来月で閉店。お前たち二人は、本社に戻ってくること––––。


「こんな時世だ。昭和の高度成長期でもあるまいし。電子ピアノも進化している。ピアノを家に置いておきたいなんて夢を持っている家庭も減っているんだ。仕方ないさ」


「本社か〜……。なんだか忙しくなるのかな? こんなのんきにはしていられませんね」


「……そうだな」


 自分の処遇についてあれこれと心配している坂野井だったけど、それよりもおれの心配は。


「七海、どうします? ガッカリするだろうな……」


「だな」


 明日、あいつが来たら、なんて言おう? 正直に言うしかないことはわかっていたのに、なんだか心が落ち着かなかった。


––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 しかし。

 約束の火曜日。七海は姿を現さなかった。

 突然だった。先週の木曜日には、いつも通りに笑顔で帰って行ったのに。

 次の木曜日も、次の火曜日も、七海は姿を現さなかった。


「あいつ、どうしたんでしょうね」


 在庫処分セールのチラシを入れてから、いつもよりも客が来るようになって、おれたちは忙しさに追われていた。客が引けた合間に、そんな会話をしてみるが、結局は当の本人がいないのだ。埒の明かない無駄な時間だった。


「あら、このグランドピアノがいいわね」


 春も近い時期だ。毛皮のコートに指輪という、なんとも成金趣味みたいな太ったおばさんが、一台のグランドピアノに目を止めた。

 坂野井が「お客様、そのピアノは大変人気モデルでして……」と説明を始めたのを見て、おれは慌てて間に入った。


「お客様、大変申し訳ございません。こちらは売約済みでございまして」


「え? だって、なにも書いていないじゃない。どういうことなの?」


「つい先程の話でしたので、掲示が間に合っておりませんでした。大変、失礼いたしました」


 彼女は困惑した表情を浮かべていた。坂野井もきょとんとしておれを見ていた。


「新築の家にぜひ、見栄えがするピアノが欲しいのよ。うちはピアノを弾ける人間はいないんですけどね。インテリアに欲しいの」


 彼女の言葉を聞いて、おれはブラウンや白の色調のピアノコーナーに彼女を誘う。


「それでしたら、こちらはいかがでしょうか?」


「まあ、白! いいわね。見栄えするわ」


「インテリアとしては、大変人気でございます」


 に、あのピアノは渡せない––––。

 購入の手続きをして、発送の準備をしていると、坂野井が目を細めておれを見ていた。


「なんだよ。言いたいことがあるのか? さっきの件だろう」


「そうですよ。あんな嘘ついて。せっかく売れるところだったのに。どうすんですか」


「いいの」


「いいのって。白のアップライトより、グランドピアノのほうが高額ですよ? もう。いくら閉店になるって言っても、ここでしっかり実績を作っておかないと、本社にいっても窓際族ですからね。平野さん」


 彼はおれの処遇を心配してくれているのか。


 なんだか笑ってしまった。坂野井とここで過ごしたのは、たった一年だ。そして、大して店長としては商売気もない間の抜けた奴だと思っていたに違いないはずなのに。

 こんなおれのことを心配してくれるというのか?

 本当に人がいい男だ。


「おれ、本社には戻らない」


「え––––?」


「退職して、地元に戻ろうかと思うんだ」


「そ、そんな。一緒に本社にいきましょうよ」


「悪い。決めたんだ」


 そう。決めたんだ。


「このピアノ、退職金代わりにもらおうかと思って」


「嘘でしょう? 現物支給なんてあるんですか?」


「あるわけねーだろ」


 おれはもう一枚のピアノの配送伝票を持ってくる。それから、以前もらっていたメモ用紙を出して宛名を書いた。

 それから、一本の電話をかけた。


「あの、突然のお電話で申し訳ありません。お願いがあるのです。私の話を聞いていただけませんか?––––」




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