第17話


 晴れたと思ったら、また雨。

 二日ほど太陽の姿は見ていない。

 それでも、その雨音に、昼休みを告げるチャイムが負けることはなく、皆はさっと授業を終えていく。


 ピーンポーンパーンポーン


『えー、1年の立川優理くん。至急、生徒会室まで来てください』

 そして、いきなりの放送、いきなりの呼び出し。おにぎり片手にノートと格闘戦をし始めたところ。クラスメイトは俺に注目を集めてくる。

『ふう、緊張した。やっぱり、直接行ったほうがよかったかな。ああ、でも、優ちゃんと一緒に泣いちゃったりして、今更1年生のクラスになんて行けないし』

 想像することも容易く、切れ忘れているマイクのスイッチか。それが、残酷なほどに続いていく。

 もはやこうなってしまっては、耐えきることなどできるわけもなく。あらぬ誤解が混ざりこける前に、俺はおにぎりを咥えたまま教室を走り抜け。

 放送が、まだ何か続いている気もしたが、聞こえないことに。

 駆け足で生徒会室の前までたどり着くと、ちょうど国立先輩と出くわした。

「あ、ちょうどよかった」

 国立先輩は、俺を見つけて、手を振ってくる。

「ほうどふぉふぁっぁじゃ、ふぁいですふぉ」

 おにぎり、飲み込む。

「ちょうどよかった、じゃあないですよ」

「え? 先についていたの? さすがゆうちゃん、速いね」

「そういう意味じゃなくてですね」

 そして、マイクのスイッチが切れていなかったことを伝えると、

「え、ええー! そ、そそ、そんなわけ」

 真っ赤になるなんて当然で、わなわなと震え始めた。

「はいはい、いいから、生徒会室開けてください」

 そんな国立先輩を見ると、俺だって恥ずかしかったのに、やはり心が落ち着いていった。

「うう、まさか、生徒会長たるものが、こんな失態をするなんて」

「よくそれで会長になれましたよね」

「なったのは、副会長だもん」

「それも十分すごいですけど」

 誰もいない生徒会室に、こうやって堂々と入っていくと、果たして俺が知っている国立先輩なのかとも思えてしまう。

「――風邪、大丈夫だったんですか」

 そんなこんなで、一番始めに尋ねるべきことが、遅れてしまった。

「ただの流行だったのかな。安静にしていれば、すぐに治ったよ」

「そうですか、お大事にしてください」

「優ちゃんもだよ。また、倒れるなんてだめだからね」

「――そうですね」

「ゆうちゃーん。ちゃんと目を見て言ってね。ほんとに、ダメだからね」

 歯切れ悪いと、国立先輩は眼前まで迫る。

「――それで、わざわざ呼び出したのは何でですか」

 それを、無理矢理押し退けながら。

「――うーんと、一緒にお昼食べたかったのと」

 今度は、先輩が少し歯切れが悪かった。

「いや、構わないですけど、俺、手ぶらですよ?」

「大丈夫。はい、これ」

 二人で向かい合って席に着くなり、先輩の手荷物の中から、お弁当箱が差し出されてきた。なかなかに大きいサイズだった。

「これ、優ちゃんの分。私の手作りだよ」

「……さすがに、そこまで気を使わなくていいですよ。俺もわざわざ毎朝弁当を作るとか面倒くさいことしないで、コンビニとかで買っているだけですし」

「別に、毎日作ってくるって言っているわけじゃないよ。でも、これはこの間泊めてくれたお礼も込めて」

「――まあ、それなら、今日だけは」

 その建前は、純粋なお返しなのだから、おにぎりを食べていたことも、あともう1個明太子が残っていることは黙っておく。

「――それと、話したいことがあるの」

 それを渡しながら、しかし先輩は俺と目も合わずに伝えてくる。

「話したい事、ですか?」

「うん、でも、食べながらでいいよ」

 弁当箱を開けると、半分のノリ弁と、もう半分に、焼肉と、あとはもう解説する隙すらないほど埋め込まれたおかずの数々。

 先輩は、少し控えめで小さいお弁当箱。

「ほら、食べちゃって」

「はあ」

 俺が海苔を割ってご飯を口にして、国立先輩も箸を動かし始める。

「おいしいですね」

 それとなく事実を伝えてみる。

「うん、ありがと」

 小さな笑みで返されて、少しぐらい恥ずかしがるのかとも思ったのだが。

「それで、話って、なんですか」

「――えっと、そうなんだけど。でも、食べながらでいいよ」

「いや、だから、食べてますけど」

「あ、あはは。そうだよね」

 先輩はブロッコリーを口に入れると、随分と長く咀嚼する。

「別に、何言ってくれてもいいですよ。無理なものは無理って正直に俺も言いますし」

 気遣ったつもりの言葉だった。

「――えっと、その、えっとね」

「はい」

「ええっと、うん。あれなんだよ。あれ」

 俺は箸をおいた。わざわざ放送で呼び出してまで作った機会なんだから、それを信じた。

「はい、なんですか」

 先輩も箸をおいて、もじもじと縮こまってしまった。

「……同好会、一緒に作らない?」

 小さな声で、告げてくる。

 そして、少し紅潮し、その後の口は素早く。

「あのね、違うの。優ちゃんがデザイナーを目指すのをやめたからって、それを止めたいから、とかじゃないの。無理にって話じゃなくて、優ちゃんに無理矢理やらせたいとかそういうわけじゃなくて。優ちゃんが決めたことだから、私がとやかく言うつもりもないけど。ただ、優ちゃんがずっとずっと、苦しそうで。だから、手芸部じゃなくても、また別のなんでも、優ちゃんの気が休まることができればって。それに、優くんも一緒にできて、優くんも楽しんでくれればなって。優くんも、その、陸上に復帰できないのかなって。あ、でも優くんがそう決まった訳じゃないし。そ、それに、優ちゃんが、嫌なら嫌でいいし、迷惑なら迷惑って言ってもらっていいから。これは聞かなかったことにしてもいいから」

「泣いてますよ」

「――え?」

 小さな声から、不安定な声を吐き続けていた国立先輩は、また気も付かぬうちに泣いていて、俺はそれが少しだけ嬉しくて、やっぱり悲しかった。

 ずっと、俺の『やめた』話を、ここまで引きづらさせていた。

「ごめんね。やっぱり駄目な先輩で」

 先輩は、手の甲で瞼を擦る。

「そんなことは、ないですよ。本当に、頼りになる先輩です」

「……ありがとね」

 でも、俺はそれに応える言葉が続けられない。

「正直に言いますと、分からないです」

「……うん」

「やりたくない、なんてことはないんですけど。本当に、どうしたらいいかわからなくて。それに、優希にも聞かなくちゃ」

『優希を言い訳にするのかよ』

 神様の、突然の言葉。

『なんで、お前の迷いを優希に押し付けて結論付けるんだよ。優希がもう陸上なんかやらないことは分かりきってるだろ』

 ――俺の言葉は、本当に続かなくなってしまった。

「そうだよね。本当に、優くんにも、聞かなくちゃ、だよね」

 先輩は、諦めて引き下がろうとしていた。

 その姿は、大昔の初めの記憶にあった。

「……違います」

「違うって?」

「迷っているのは、そうじゃないんです。先輩と何か一緒にやれば、楽しいのは分かりきっているんです。でも、俺が、そうしていいのか、分からなくて。なんか、俺一人そんなことをしていいのか分からなくて」

 考えはまとまらず、口だけが先に動く。

「――それなら、優くんが楽しめれば、いいんだよね」

「……多分」

 それが答えかは分からなかったが、否定もできなかった。

「それなら、迷うことはないよ。優くんを楽しめさせるよう、私が頑張ればいいだけだから。それがだめだったら、迷うことなく、優ちゃんも入らなければいいの」

 また、先輩は、笑顔で。

「それが、先輩の仕事だから」

 先輩は、箸をまた持つ。目元はまだ赤い。

「さ、食べちゃお。昼休み、終わっちゃうよ」

「先輩、やっぱり、俺――」

「いいの。これは、本当に私の役目だから」

 先輩は言葉を遮り、ご飯を食べて、そのまますぐに飲み込む。

「あの日、優ちゃんが救ってくれた手芸部なんだから。今度はちゃんと、私が頑張る番だから」

 また、先輩は弁当を勢いよく食べ始める。

「……いただきます」

 そういえば、言い忘れていた。


 ※


 先輩は、元気に見せてくれた。

 それに応えたいとも思った。

 でも、迷いはどこからか来ている。

 その迷いも、先輩は引き取ると。

 それが許せないのか。

『バカみたいに悩んでいるな』

「……悩むことはないってか」

『ただ待てばいいだけだろ』

 神様の言う通りでもある。国立先輩もそう言っていた。

「……でも、分かんねえよ」

 先が見えない、導きも聞こえない。

 耳を塞ぎ、目を閉じる。

 何もないところから、問いも答えも出てこない。

「馬鹿らし」

 また、歩みを進める。

 帰り道、なんてことない道。

 ――死角ができたからか。

 七香が視界に入っていた。

 礼服姿で、ぼおっと突っ立っている。

 だが、七香は俺には気づいていない様子だった。

 体をふらふらと揺らしている。

 ――まあ、それならそれで。

 見なかったふりをして、気づかれないように逃げて。

 ――俺の隣を車が走った。

 違和感があった。

 だが、それはおかしくなかった。

 そこはまさしく車道だから。2車線の、幅広の。

 車が車らしく走るなど、当然であり。

 なら、おかしいのは、そんな場所に立っている人間を、視界に捉えていたことだった。

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