第14話 前編

 エプロン姿の国立先輩が、台所に着く。

 腰元少し下から裾触れる姿は妙に板に付いている。

 ガスコンロは三つとも火を吹き、慌ただしくフライパンを動く。

「ゆうちゃん、醤油とって」

 後ろから傍観していた俺は、冷蔵庫から醤油を取り出し、のそのそと渡す。

「ありがとっ」

 パパっと受け取り、またエプロンをなびかせる。

「先輩、いくらなんでも、多くないですか?」

 既に別皿には餃子、エビチリ。

 冷蔵庫にはホールのサラダ。

 卵とキクラゲは火に炙られ、米は土鍋で炊かれていた。

「大丈夫。ゆうちゃん、成長期でしょ。お腹減っているでしょ」

「いや、限度があるって話で」

 国立先輩は立川家という慣れないキッチンで、巧みに調理を行なっていた。

「ちゃんと、美味しく、作っているから!」

 張り切りも張り切り。

 右から左へ、料理は完成していく。

 これが、たった二人きりの晩餐だというのだ。

 俺はそれを止めることもできず、躍動する背中を見守るだけだった。


 そもそも、なぜ、こんなことになっているんだか。


 ※


「あー、そう言えば」

「ん、どうした?」

「今日、午前中、国立先輩来てたんだ」

 夕暮れの病室、帰ろうとした矢先のセリフだった。

「先輩が? 何しに?」

「勉強教えに。まあ、暇だったから受けたけど」

 雨の中歩いてたどり着いたのは午後過ぎだったから、ちょうど行き違えたらしい。

「おっけ。今度俺も先輩が何を教えているのか聞いておく」

「いや、それはどうでもよくて」

「え、それじゃあ、なんの話?」

「優理と連絡つかないって、慌てていたよ」

 携帯を取り出すと、確かに何件も着信があった。

「気づかなかったの?」

「……ああ、そうだな」

 そもそも携帯は常に鳴らさないようにしているから、電話に気づくことはまずない。

 今日も今日とて色々あったせいで、思考は常にぐんぐるぐん。携帯を開くという発想にも至っていなかった。

「……うん、了解」

「それじゃ、バイバイ」

 電話を使うために、足早に病室を出て行った。

 雨の中、片手に傘、片手に電話で、発信をし――

「あ、ゆうちゃん、大丈夫、生きてる!?」

 ベルが一つ鳴る前に、それは受けとられた。

「生きてますよ。ご心配をおかけしました」

「ああー、よがった。全然連絡つかなくて、ほんとに心配したんだよ」

「それは本当に、連絡取れなくて申し訳ないです」

「まあ、無事ならいいけど。でも、どうしてたの。何かまた忙しいことになっているの?」

「――まあ、家のこととか、相続のこととか、色々あるんで」

「――まだまだ、忙しいんだね」

「……はい、そうですね」

「それで、今は落ち着いたの?」

「はい、それは。優希の見舞いから帰るところです」

「てことは、今は病院の近く?」

「はい、そうですね」

「うん。了解。気をつけて帰ってね」


 ※


 それで電話は切れたはずだった。

 でも、家に帰ると、なぜか国立先輩は雨落ちる玄関の前で待ち構えていて。

 それも、まるまると膨らんだスーパーの袋を持っていて。

「おかえり」

 なんて言われたら、雨の夜に一人追い返すこともできず。

 そして現在、テーブルにはこれでもかと家庭でよく見る中華料理が並べられていた。

 向かいには、エプロンをつけたままの国立先輩が座っていた。

「いただきます」

「――いただきます」

 まあ、作ってくれるのは楽だし、嬉しいんだが。

「あれ、もしかして、ちゃんと火、通ってなかった?」

 難しい顔でもしていたからか、国立先輩は心配そうに覗き込んでくる。

「いや、そういうわけじゃなくて、全然料理は美味しいんですけど」

「なら、よかった」

 先輩は微笑んで、また気持ち良さそうに箸を進めていく。

「あの、そうじゃなくて、なんでいきなり夕食を作ったんですか」

「え? 言ったでしょ」

「電話でそんなこと、一言も言ってないですよ」

「電話じゃなくて、この前。ゆうちゃんより、料理は上手くできるって」

 ――確かに、言っていた気がする。その言葉通り、俺が片手間に作るものなど鼻で笑うぐらいに箸が進むし。

「いやいや。できるって宣言されましたけど、実際に作りに来るとは言ってないじゃないですか」

「そんな細かいこと、気にしない、気にしない。別にいいでしょ。ほら、早く食べないと、冷めちゃうよ」

 先輩は、またバクバクと食べ進める。

「……食べないの?」

 ぼうっと先輩を見ていた。

「食べますよ」

「もしかして、やっぱりちゃんと火が通ってなかった」

「ちゃんと美味しいですよ」

 餃子をパクり。

「それとも、すごくお疲れ?」

「まあ、少しは」

「なら、やっぱりいっぱい食べなきゃ」

 そういって、先輩は餃子を箸で掴み、前のめりにこちらへ差し出してくる。

「はい、あーん」

 また、パクりと。

「おお、案外素直」

 今日の終わりは、そんな気分だった。


 そして、予想通り、半分近く残った。

「うう、お腹ぐるじい」

 テーブルにもたれる先輩。

 俺は残った料理をラップで包んだり、タッパに移したり。

「明日も美味しく食べますよ」

「うん、ありがどー……」

 もはや喋るのすら辛そうだった。

「帰るの、辛い……」

「休んでいっていいですよ」

「お言葉に甘えて。ああ、いっそ泊まっていい?」

「いいですよ」

「はは、冗談だって」

 いきなり、国立先輩はガバッと起きた。

「え、いいの!?」

「一人ですし、明日は日曜ですから。俺の方は構わないですけど」

「いや、でも、だって、これでも、年頃の女の子と、男の子だよ。この、一つ屋根の下でっていうのは」

 先輩がエロいかエロくないかはともかく、確かに15や16にでもなれば、気にすることではあるんだけど。

「でも、国立先輩ですから」

 他意も何もなく、それだけの事実。

「――ふふ、そうだね。ゆうちゃんだもんね、ね」

 また、先輩もテーブルに伏せた。

「ああ、でも、いきなり泊まるっていうと、準備がなあ」

「ウチにあるもの使っていいですよ。色々と余ってますし」

「流石に下着はなあ」

「優希の借りればいいんじゃないんですか」

「サイズ、合う?」

「ギリギリいけるんじゃないんですか。無理そうだったら、真奈のありますし」

 またまた、先輩はガバッと起きる。

「え、なんで真奈ちゃんの下着がゆうちゃん家にあるの」

「なんでって、真奈はよくウチに泊まっていましたし。あまりにもよく泊まるんで、そこら辺の必需品は常に置いてあったんです。歯ブラシもウチには5つありますよ」

 ついに、先輩は立ち上がる。

「あまりにもよく泊まっていたって、そっちの方が驚きだけど。え、そんなにゆうちゃんと仲良かったの。もしかして、付き合っていたの?」

 もうそんなに苦しくなさそうだった。

「いや、違いますけど」

「……もうよく分からない」

 空気の抜けたように、また椅子に座り込んだ。

 俺は残った空の皿をまとめて、シンクに運ぶ。

「真奈が泊まっていたのは、全部陸上の日ですよ。優希のワンマン練習に付き合わされて、疲れたー、電車で帰りたくなーいって言って、ウチに寄るんです」

 食器を洗いながら続ける。

「父さんも母さんも、真奈が電車で1時間以上かけて通っていたのは知っていましたから。心配して、夕食をご馳走して。そしたら、今の先輩みたいになって」

「……私、別に運動してない」

「つまり、先輩の方が自堕落ってことです」

「――え、そんな話だったっけ?」

「そんな話です。先輩も真奈も泊まる分には何も構うことはないって」

 蛇口を捻り、水が止まる。

「まあ、無理に泊まれなんていうつもりはないですよ。お好きにしてください」

「――うん、お好きにしちゃうねえ」

 食器は全て洗い終わる。

 水切りカゴに、いつもよりたくさん飾られていた。

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