第13話 優理視点

 イートインコーナーには、誰もいなかった。

 外が見える席に腰掛け、購入したものを開けていく。

 パンを一つ、それと、ペットボトルのお茶。

 代わり映えのない店内で、代わり映えのない商品だ。

 当然、彼女の給金も、想像の範囲内のことだろう。

 パンを口に入れる。

 コンビニのパンなどそれらしく味わったこともないが、それにしたって味気ないものだった。

 人もまばらに出入りする。

 閑古鳥かと思ったらレジに列はできたり、いないと思っていた他の店員はバックヤードにいた。

『お前、何をしているのか分かっているのか』

 神様は言う。

「俺が金に困っていないってことを見せて、諦めてもらう」

『それが分かってないんだよ。そんなんで、本当に諦めると? 人目憚らず土下座するようなやつに、道理があると?』

「中野さんは言っていたんだ。まずは、その通りにやってみる」

『中野夏代の言うことを、信じるのか? まあ、嘘は言っていないだろうが、あいつに親としての資質があると思っているのか?』

「資質?」

『冷静に考えてみろ。一人娘をこんな状態にしながら放っておいて、挙げ句の果てに頼んではいけない相手に頼み事。嫌われているとかいないとか、そんな御託を並べる前にまだやることがあるはずだろ』

「……それが、無理だったんじゃないのか」

『できなかった親、なんだろ。もう一度聞くが、そんなやつの提案がすんなりいくと、本当に思っているのか?』

「……うまくいけば、儲けもんだろ」

『能天気なもんだ。馬鹿らしくて、笑えてすらくる』

「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

『簡単だろ、立川優理の素直な気持ちを伝えればいいんだよ』

「それはしてきただろ。それをしても、七香は続けた。ありえないことでもしてくる。だから、妥協点を見つけた結果だ」

『いや、まだ伝えてないだろ。立川優理の、本当の願いをさ』

 パンを完食したところで、七香はやってきた。

「申し訳ありません、お待たせして」

 まだ30分も経っていなかった。

「早くない?」

「早めに上がらせてもらいました」

 パンのゴミを丸めて片付ける。

 隣の席が空いていたから、それを引いて、座るように促した。

 でも、七香は立ったままだった。

「座って話そう」

 そう言うと、七香は座る。

 店内は、また少し人の出入りが少なくなってくる。

「……単刀直入に言うよ。お金は要らない」

「えっと、はい」

 七香は首だけ縦にふった。

「本当に? もうお金を渡さない?」

 七香は首も縦にふらなかった。

 言うだけでは無駄だと。

「お金に意味があるのは分かる。でも、今の俺たちには、本当に必要ないものだから」

 そして俺は、中野さんからもらっていた通帳を、バッグから取り出した。

 意図的に、最後だけ開いて見せた。

 相変わらず、馬鹿みたいな数字だ。こんなもの、どうやって手に入れたんだか。税金はどうしているんだか。

「お金には、困っていないから。見れば分かると思うけど」

「……それでも、お渡しするわけにはいかないですか」

 七香は、俯きながらも、応じなかった。

 ――これで終わると言う話だったのだが。

『ガハハ、俺様の言う通りだろ』

「少ないのは承知しているのですが、それでも、少しだとしても、ないよりかは」

『まあ、でも、今は立川優理の通りに、少しだけ手助けしてやるよ』

 七香は俯く。それでも逃げない。

 なら、俺はどうする?

『「それじゃあ、一体いくら払ったら、やめるつもりなの」』

 神様の言葉と、俺の言葉が二つになる。

 自然となったものでもない。

 以前にも似た感覚があった。今は手でなく、口を勝手に動かされる状態だ。

 だが、この言葉を、俺自身は否定できなかった。

 この問いの答え方を、俺は聞きたかった。

「それは、一生をかけても、払い続ければと」

『「そういうことは聞いていない。いくらって聞いているの。そんな曖昧なものだと、10円玉1枚でも答えになるよ」』

「いえ、そのようなつもりでは」

『「それじゃあ、いくらなの」』

 神様の言葉は止められない。

 それを良しともしている自分もいる。

 なら、【止められない】と思う方がおかしいのか。

『「まさか、あの額を見て、それ以下の金額のつもりはないよな」』

「それは……」

『「答えるつもりがないってことは、払うつもりがないってこと?」』

「いえ、決してそういうわけでは」

『「なら、早く言ってくれよ」』

「……10億まで、払います」

 いくらなんでも、現実離れした金額だ。

 思い詰めながら言える言葉でもない。

『「そんな金額、どうやって用意するんだよ。あてもあるのか」』

「今は、ないです。ですけど、どうにか探します」

『「どうにか、じゃなくて、できないだろ」』

「……もし、私に子供ができたのなら、その子にも背負わせます」

 ――子供だって?

 ――子供だと?

『子供にも背負わせるのかよ。というか、そんなので結婚なんかできると思っているのか? ああ、売女にでもなるのか。なるほど、一石二鳥だ。でも、問題はそこじゃねえ』

 ――確かに、そうじゃない。

 七香が結婚しようが、体を売ろうが、10億稼げようが稼げまいが、俺はどうでもいいんだ。

 関わらないでほしい。

 俺たちの世界から消えてほしい。

 でも、七香は関わってくる。

 七香は、一体なんのために。

「『お前さ、子供に返させるってさ、その子供は、誰に返すんだよ』」

「そ、それは、当然立川様に」

「『ちげーよ。長えなら、その時点で俺たちはくたばっていることだって十分あるだろ。そしたら、どうなるって聞いているんだ』」

「……その時は、立川様達の、御子息に」

 ――ああ、本当に、こいつは、赦しが欲しいだけなんだ。

 ただただ、あいつを、赦してほしいだけ――

「お前さ、俺たちが何を奪われたのか理解できているのかよ」

 神様の声は聞こえない。

「お前は、俺たちが幸せに極普通の家庭を気づけると思っているのか」

 俺だけの言葉が続く。

「たかだか親が二人死んで、一人は障害を負っただけだと思っているのか」

 気づいたら、俺は七香の胸ぐらを掴み上げていた。

「それが、金を払えば解決すると思っているのか」

 七香の目は、震えていた。

「も、申し訳――」

「謝って、俺たちが幸せになるの?」

 何をしても、もう無駄なんだ。

 奪われたものは、戻りはしない。

「俺と優希が築き上げてきたもの、なんだと思っているんだよ」

 何も分からず、こいつは俺たちの領分を犯してくる。

 同じだ。

 結局は、血を引く娘ということだ。

「も、申し訳ございません!」

 胸ぐらから手を離すと、また同じ。

 地面に頭を擦り付ける。

 だが、なんだろうか。

 イライラしない。

 なにも感じない。

 いや、むしろ愉悦すらある。

「頭を上げろよ」

 だが、上げない。

「全部赦してやる方法、教えてやるから」

 こいつは、それを聞いて、はっきりと頭を上げてきた。

 躊躇うことすらなく。

「とりあえず、座れよ」

「は、はい」

 おずおずと七香は座る。

「まずさ、その前に、俺も謝らなきゃいけないことがあるんだ」

「た、立川様に謝罪など」

「さっき見せた通帳、中野夏代さんにもらったものだよ」

 約束は破った。だが、その程度で遮れるものでもなかった。

「――え?」

「分かるだろ。お前の母親だよ」

「なんで、あの人は、関係ないのに」

「すべきことだからってよ」

「すべきこと……」

「正直さ、あの人にも言いたいことはいろいろあったんだよね。馬鹿なんじゃないかと思うこともあったよ。でも、一つ、とってもいいことを言ってくれたから」

 俺は笑った。悪意だろうが、善意だろうが、知ったこっちゃない。

「秋葉××を、殺しておけばよかったって」

 その言葉は、ただただ純粋だった。

「それを聞いてさ、俺さ、すごく嬉しくなっちゃってたんだよね。最初はなんでかよく分からなかったけど、まあ、もう理解できたよ」

 それが、今の俺たちの、素直な気持ちだったんだから。

「赦す方法、分かるだろ」

「い、いえ」

 震える言葉が、真実なものか。

「秋葉××を、殺してこいよ」

 七香は動かない。

「殺せって言ってんだよ!」

 七香は、走り去った。

 殺しに行ったわけではあるまい。

 豚箱にいるあいつを殺すのは難しいだろうし。

 本当に殺してくれるなら、大歓迎だが。

 それとも、また、俺の前に現れるのか。

 だが、その時はその時だ。

 迷いなく、踏み潰してしまえばいい。

 秋葉七香は、もはやその程度の存在だ。

 ――中野さんには悪いことをした。

 後で謝って、お金は返しておこう。

「これでいいか、神様」

『聞かないでも、分かるだろ』

 コンビニの外は、相変わらず雨が降っている。

 赤い傘は、雨を弾く。

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