第13話 七香視点

 立川さんは、パンとお茶を買った。

 250円。

 二つ合わせた代金。

 千円札を頂いて、お釣りは750円。

 たったそれだけだけど、私はこの前、44800円渡した。

 なんのために渡したのか。

 すごく、むず痒かった。

 なんとか返そうと考えたけど、立川さんはこの前、「優希さんのために使う」とおっしゃっていた。

 それなら、無理矢理お返ししても、失礼なんじゃないかと、思ってしまって。

 立川さんは、何事もないようにお金を払った。

 でも、私はあまり納得できていなかった。

 ――バイトは、早めに上がらせてもらうことにした。

 元々そのつもりだったけど、バックヤードにいた店長の困り顔もあまり気にならなかった。

 イートインコーナーに戻ると、立川さんは角の席にいた。

「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」

 電話をしているのか、何か話している。

「それはしてきただろ。それをしても、七香は続けた。ありえないことでもしてくる。だから、妥協点を見つけた結果だろ」

 私の話を、しているのか。

 私の、ありえないこと。

 それと、妥協点。

 少し窺ってみたのだが、言葉以外に電話らしい素振りは見えない。

 単なる独り言なのだろうか。

 立川さんは、パンを食べている。

「――申し訳ありません、お待たせして」

 ちょうどパンを平らげた頃、私はそっと近づき、声をかけた。

「――早くない?」

「早めに上がらせてもらいました」

「……ああ、うん、そう」

 立川さんは、隣の椅子を引いた。多分、座るよう促しているのだけど、私は立ったままだった。

「座って話そう」

 その言葉に、私は座った。

 立川さんは、私の方に向いてくる。

「……単刀直入に言うよ。お金は要らない」

「――はい」

 それは、以前も聞いたことだった。

「本当に、もうお金を渡さない?」

 渡さないわけには行かなかった。私にできるのは、それが唯一の方法だったから。

「お金に意味があるのは分かる。でも、今の俺たちには、本当に必要ないものだから」

 立川さんは、バッグを漁り始める。

 無造作に出てきたのは、通帳だった。

 パラパラめくると、その中身を私に見せてくる。

 ――私が何人集まれば、これになるのか。

「お金には、困っていないから。見れば分かると思うけど」

 私のような端金はいらない、らしい。

「それでも、お渡しするわけにはいかないですか」

「……はあ」

「少ないのは承知しているのですが、それでも、少しだとしても、ないよりかは」

 俯き、仰ぎ、立川さんは、不服さを隠そうともしない。

「それじゃあ、一体いくら払ったら、やめるつもりなの」

「それは、一生をかけても、払い続ければと」

「そういうことは聞いていない。いくらって聞いているの。そんな曖昧なものだと、10円玉1枚でも答えになるよ」

 早口で捲し立てるような物言いで、怒っているのは明らかだった。

「いえ、そのようなつもりでは」

「それじゃあ、いくらなの、まさか、あの額を見て、それ以下の金額のつもりはないよな」

「それは……」

 今の私では、不可能だった。

 家にある資産だって、そう多くはない。

 そもそも、食べて生活しようとすれば、それだけで渡せるお金は雀の涙になってしまう。

「答えるつもりがないってことは、払うつもりがないってこと?」

「いえ、決してそういうわけでは」

「なら、早く言ってくれよ」

「……10億まで、払います」

 いくらなんでも、現実離れした金額だった。

 でも、桁を一つでも増やさないと、私の誠意は伝わらない。

 お金ではどうにもならない問題なんだから、それを金額で表すなら、そうせざるをえない。

「そんな金額、どうやって用意するんだよ。あてもあるのか」

「今は、ないです。ですけど、どうにか探します」

「どうにか、じゃなくて、できないだろ」

 これは、覚悟の問題なんだ。

 金額の大きさでもない。

 時間の長さでもない。

 私たちが、背負うべき宿命の。

「もし、私に子供ができたのなら、その子にも背負わせます」

 残酷かもしれない。

 正しくないかもしれない。

 でも、今私が出すべき答えは、全て差し出さなければ。

「お前さ、子供に返させるってさ、その子供は、誰に返すんだよ」

「それは、当然立川様に」

「ちげーよ。長えなら、その時点で俺たちはくたばっていることだって十分あるだろ。そしたら、どうなるって聞いているんだ」

「……その時は、立川様達の、御子息に」

 ――そう、答えた、瞬間だった。

 私は、立川さんに首元を掴み上げられていた。

 息すらおぼつかないほど、首は締め上げられる。

 目を見開き、真っ黒な眼に凝視される。

「お前さ、俺たちが何を奪われたのか理解できているのかよ」

 敵意だらけに、【お前】と言われた。

「お前は、俺たちが幸せに極普通の家庭を気づけると思っているのか」

 不幸になってほしいとは思っていない。

「たかだか親が二人死んで、一人は障害を負っただけだと思っているのか」

 家族が消えたら、悲しいに決まっている。

「それが、金を払えば解決すると思っているのか」

 思っていない。

 でも、それしかない。

「も、申し訳、ありま」

「謝って、俺たちが幸せになるの?」

 分からない。

 でも、何もしないわけにもいかない。

「俺と優希が築き上げてきたもの、なんだと思っているんだよ」

 私の家族が壊したもの。

 だから、直さなきゃいけない。

「も、申し訳ございません!」

 拘束は解かれた。

 私は、また土下座していた。

「頭を上げろよ」

 ここで上げては、誠意が伝わらない。

「全部赦してやる方法、教えてやるから」

 それを聞いて、私は頭を上げてしまった。

「とりあえず、座れよ」

 立川さんは、また椅子を差し出した。

「は、はい」

 私は、言われるがままに。

「まずさ、その前に、俺も謝らなきゃいけないことがあるんだ」

「た、立川様に謝罪など」

「さっき見せた通帳、××夏代さんにもらったものだよ」

 立川さんは、ニヤつきながらなぜかあの人の名前を口にした。

「分かるだろ。お前の母親だよ」

「なんで、あの人は、関係ないのに」

 関係ないのに、私より数千倍のお金を立川さんに渡した。

「すべきこと、だからってよ」

 それは私の役目だ。

「正直さ、あの人にも言いたいことはいろいろあったんだよね。馬鹿なんじゃないかと思うこともあったよ。でも、一つ、とってもいいことを言ってくれたから」

 あの人の言葉に、立川さんは笑っているのか。

「秋葉月軌を、殺しておけばよかったって」

 あの人の、いいそうなことだ。

「それを聞いてさ、俺さ、すごく嬉しくなっちゃってたんだよね。最初はなんでかよく分からなかったけど、まあ、もう理解できたよ」

 それが、立川さんを喜ばせた。

「赦す方法、分かるだろ」

 分かれない。

「秋葉月軌を、殺してこいよ」

 殺せるわけない。

「殺せって言ってんだよ!」


 ※


 私は、逃げていた。


 立川さんは、ただ父さんが死ぬことを望んでいた。

 父さんが壊したものは、直らないから。

 でも、私は直さなければいけない。

 その直せないものを。

 私の家族を直すために。

「――ああ」

 傲慢すぎる選択。

 なんで、雨は降っているんだろう。

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