第12.1話

「七香、高校に行ってないって、どういうつもり」

 あの人が私たちの家の前にいた。

 随分と厚化粧な顔だ。

「やめますから。別に、貴女には関係ないですよ」

 素通りしたところで、腕を掴まれた。

「七香に考えがあってやめたなら、それでいい。なにも学校に通うことがベストだとも思わない。だから、せめて理由を教えて」

「教えたら、帰りますか?」

「理由による」

「――犯罪者の娘だからですよ。犯罪者の娘が、そんな普通に学校に通ってどうするんですか」

「なに、言ってるの」

「二人の命を奪って、一人に怪我を負わせた犯罪者の娘ですよ。それらしくみすぼらしい生活をして、しっかりと贖わなければいけないでしょう」

「そんなの、七香には関係ないでしょ!」

「関係ない? 親子なんだから、関係ないわけないでしょ。それとも、親子をやめろって言うんですか。さすが、家族を辞めた人の言い分ですね」

「……そうね。でもね、こんなことになるなら、家族を辞めていて正解だったし、七香を無理矢理にでも連れてくるべきだった。あんなクズみたいな男なんか」

「――っ!」

 ――私は、あの人に手をあげていた。人のことを叩くなんて初めてだし、ましてや、この人は……

 頬は手形の跡で、赤くなっていた。

 それでも、ずっと、この人は、怒ることもなく、私のことを見つめ続けて。

 私は、玄関の中に逃げていた。

「七香がそうしたいなら、本当にその覚悟があるなら、止めないわ。でも、何か困ったことがあるなら、なんでも頼って。自分の都合で手段を狭めちゃダメでしょ」

 それから、声は聞こえなくなった。

 私は家の中で、一人だった。


 ※ 


 梅雨の冷たい空気を、自動ドアがまた遮った。

 立川さんがいた。

 見間違うわけもない。

 この前見た時の学生服姿と違って、今はヨレヨレのジャージ姿にトートバッグを持っているけど、草臥れた様子なのは変わらなかった。

 ポケットから、小さなクマのぬいぐるみが顔をのぞかせているのも。

 入り口近くで止まったまま、私の方を凝視している。

 この前と、同じような視線だった。

 居た堪れもなくなるものだ。

 逃げてはいけない。逃げたらなにも意味がない。

 ――また、ドアは開いた。

 誰かお客が入ってきたわけではない。

 雨降る外に、立川さんは出て行こうとしていた。

 私がいたから?

 きっと、私のせい。

 憎むべき相手がいるのだから、そんなところには近づきたくもないのだろう。

 でも、握り拳のできた緊張感は、解けていて。

「お待ちください!」

 私は走っていた。立川さんは止まったが、振り返らない。

 今ここで出て行かせるわけにはいかない。入りたくて入ったのに、私がいたから出ていくなんて、それでは、ただの疫病神だ。

「待ってください!」

 その腕を掴んで、呼び止めたところで、ようやく振り向いてくれた。

「はあ、なんのようですか」

 激しい雨音の中、微かなため息まじりの声が聞こえた。

「帰らないでください」

「……なんで」

 ――私を疫病神にしてほしくないから。

 そんなことを言葉にすることもできず、立川さんの腕を掴み続ける。

「帰るなって、そんなこと言われる理由あるの」

「帰ってほしくなくて」

 同じ言葉が続く。

「だから、その理由はなんだっての」

「申し訳、ございません」

 謝ることしかできなかった。

「はあ、帰らないとして、なにをしたらいいの」

 また、ため息。

 結局私に、ため息。

「立川様の、お好きなようにしていただければ」

 ……なにを言っているんだろう、私。帰るなって言ったり、好きにしろって言ったり。好きにしろって言うなら、帰るに決まっている。

 また、謝らなきゃいけない。

 また、邪魔者のように扱われるんだ。

「あのさ、七香は、いつバイト終わるの」

 でも、なんでか、あまり怒った様子ではなかった。

 こっそりと、立川さんは、私を覗き込むようにしている。

 質問の理由も分からない。

 ――それより、どうして、私の名を呼んでくれたんだろう。

「いやさ、だから、いつ終わるの」

「ええっと、私のこと、ですよね」

「七香に聞いているんだから、七香のことを聞いているの」

 ああ、やっぱり呼んでくれている。

 ただ名前を呼んでくれているだけなのに、妙に私は舞い上がっている。

 赦されているわけではないの分かるけど、ほんの少しでも、立川さんに近づけている気がして。

「はい、あと1時間ほどです!」

 自分でも恥ずかしくなるような、上擦った声が出てしまった。

「1時間なら、バイトが終わるまで待っているから。終わったら、声かけて」

「声を、かければいいんですか」

 少しだけ、わざとらしく声のトーンが落ちた。

「うん、声をかけて。話があるから」

 立川さんは、それだけ言って、また雨音の鳴る外に出ようとした。

「お待ちいただくなら、店内をお使いください」

「いいよ。邪魔でしょ」

「そんなことありません。今は空いていますし、イートインコーナーなら少しはゆっくりできると思います」

 私の名前が緊張感を解いてくれたのか、言葉は自然と流れ出てきた。

「外で何か御用があるのでしたら、無理にというわけではないですが」

「……いや、中で待つよ」

 立川さんは、入ってくれた。

「いらっしゃいませ」

 ――そういえば、立川さんがコンビニ来た理由、なんだったのか。

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