第8話

 桜が満開だから。

 家族で花見に行った。

 俺は優希に付き合わされて、河川敷まで30分走らされた。

 父さんと母さんは車で来た。

 4人で集まった。

 俺は疲れた。

 優希は余裕そうだった。

 携帯が鳴った。

 国立先輩からだった。

 電話に出た。

「あ、もしもし、ゆうちゃん」

 長くなりそうだった。

 みんなと離れて通話した。

「ミシンって、何台いるかな?」

 2台と答えた。

 悲鳴が聞こえた。

 振り向いた。

 車が突っ込んでいた。

 3人が消えていた。

「ゆうちゃーん?」


 ※


「足、動かないって」

 優希は飄々と言った。

「無理、なの?」

 一方で、俺の言葉は、気迫が抜け、ショックを隠しきれていなかった。

「まあ、リハビリすれば、なんとか車椅子生活にはならないとも言ってたけど。元には戻らないでしょ」

「――嘘でしょ」

「さあ。知らないけど。今はピクリともしないね」

 俺は一人で咽び泣き始めた。

「なんで優理が泣いてんの。――あ、違うか。なんで泣いてないんだ、私」


 ※


 で、なんだ。こいつは。

 目の前にいるこいつ。

 あれの娘だと名乗った。

「申し訳、ありませんでした」

 頭を深く下げてくる。謝罪しているんだ。

 なんで謝罪?

 謝罪してどうなる?

 俺たちに、なんの意味がある?

 なにもない。

 なにも意味がない。

 元に戻るわけもない。

「消えてくれよ、頼むから」

 彼女は頭を上げない。

 だから、俺は胸ぐらを掴んで無理やり引き上げた。

「消えろって、言ってんだろ!」

 夕闇の病院に、俺の言葉は響いた。否が応でも周りの注目を集める。それは、きっと背後の病室にだって。

「――こい!」

 仕方なく、俺は彼女の手を無理矢理取って、その場を後にした。

 優希とは、絶対に会わせたくなかった。

 彼女はなにも言わずに、俺に引っ張られた。

 病院の外まで、連れ回した。

 そこで彼女を離した。

「ほら、帰れよ」

 しかし、彼女は乱れた衣服を気にすることもなく、また頭を下げた。

「父の行為は許されるものではありません。私が代わりに謝ったところで、立川様のお気持ちが晴れることなどないのも承知しております。ですが、なにもしないままというわけにはいきません。本当に、申し訳ございませんでした」 

「どーでもいいよ。あんたの気持ちなんか。謝ろうが、泣こうが、笑おうが。ただ、俺たちのことを少しでも気遣ってくれているんだったら、もう二度と目の前に現れないでくれ。不快なだけだ」

 言ったところで、彼女は動かなかった。警察でも呼べばいいのか。加害者家族が、遺族にしつこくつきまとうとでも言えば、動いてくれるかもしれない。なんなら、親子ともども塀の中で過ごしてもらうのがいいか。

「あのさ、なに。俺が許したって言えば、もうやめる? やめてくれるなら、何回でも言うよ。それとも、警察呼んだ方がいい?」

 そこで彼女は、ようやく頭を上げた。だが、その場から立ち去る気配はなく、懐から茶封筒を取り、差し出してきた。

「少ないのは分かっています。そもそも金額の問題でないことだって分かっています。ですが、受け取っていただけないでしょうか。勿論、これで終わりではありません。今後も、ずっとお支払いします」

 俺は、茶封筒を地面に叩いた。

「今も、今後もいらねえよ」

 彼女はそれを拾うためにしゃがんだ。

 しゃがんだまま、立ち上がらない。

「おい、なにをしてんだよ」

 聞いたところで、動かない。いや、少しずつ、わずかに震えながらも、彼女は動いていた。

 上ではなく、下へ下へ。

 彼女は立ち上がることもせず、そのまま膝をついた。

「どうか、お納めください」

 頭を地面につけ、両手で持った茶封筒を、天に掲げてみせた。

 俺を一瞥もせず、ただそれだけのために。

 病院に出入りする人は少なくない。それでも彼女は、ただ続けた。

 ふざけているとしか言いようがなかった。

『どうしようもないだろ、こいつ』

 神様が言った。

『踏み潰さばいいんじゃねえの。そしたら、流石にもう来ないだろ』

 ああ、その通りだ。それでも続けるなら、また潰していけばいい。また続けるなら、また潰す。何度繰り返したって、潰す方が楽だから、最後には俺が残るだけだ。

 でも、どうして、なんで、なにも失ってないはずのやつが、こうして地面で小さく丸まっているんだ。

 俺はお前に、なにをしたっていうんだ。

「なんなんだよ、お前」

 気迫のなくなった言葉が漏れ、俺は力なく彼女の持つそれを受け取った。

 彼女はなおもその格好のまま。

「もう、立てよ。ここでそんなこと続けられても、本当に俺が困るんだから」

 それを聞いて、ようやく彼女は立ち上がり始めた。

 泣いてるようにも見えたけど、涙は流していなかった。

「ありがとうございます」

 立たせてくれて?

 受け取ってくれて?

 もうどちらでもよかった。

「今回は、受け取るから、もう、関わらないでくれよ」

 彼女は、はいとも言わず、首を縦に振ることもなかった。

 ただ、申し訳なさそうに、じっと俺にだけ向き合っていた。

 あくまで我を通すつもりか。できなければ、同じことを繰り返す。

 俺も全く、馬鹿にされたもんだ。

「――優希には絶対に会うな。この金は責任持って、俺が管理して、優希のために使うから」

 認めたくもないことだった。

 俺は、あれの娘に押しきられた。

 耐え難いことを、永遠と付き合い合わせ続ける。

 彼女が飽きるまで? こいつは途中でやめるのか?

 ――だから、せめて、俺だけにしなくてはならなかった。

 彼女は、また頭を下げた。

「本当に、ありがとうございます」

「これでいいだろ。もう帰れよ」

 頭を下げ続けた。

「……帰れよ」

 仕方なく、俺から彼女の元を離れた。

 優希の病室に戻る中、一度だけ振り返ると、まだ彼女は頭を下げ続けていた。

 ――封筒の中には、44800円が、ジャラジャラと入っていた。


 ※


 病室に戻ると、国立先輩は帰り支度をしていた。

「ゆうちゃん、なんかすごい声あげてなかった?」

「ああ、ええと、いろいろあって」

 どう誤魔化せばいいか、なにも考えていなかった。

「誰か女の子と行くのが見えたけど、どうしたの?」

 影は見えていたのか。あの場から去って幸いだった。

「えっと、あれですよ。なんか、中学時代の友達が、いきなり優希の見舞いに来たいって言い始めて。流石に時間を考えろって言ったんですけど、なんか突然来ちゃって、それで怒ったんです」

「あ、そうなの。まあ確かに、今はもう遅い時間だからね」

「誰それ、優理」

 優希は聞いてきた。

「優希は知らないやつ」

「知らないやつ? あ、なに、もしかして、やっぱりラブレターをもらっていたの?」

 44800円ならもらった。

「え、そうなの。ゆうちゃんが、あんなおっぱいが大きい子と」

「違いますよ。というか、どこ見てたんですか」

「しょうがないよ、国立先輩、えっちだもん」

 優希はやれやれと言った。

「ちち、違うよ。たまたま目に入っただけで。別に、そんな、やましい気持ちがあったわけでは、ございません」

「もういいでしょ。国立先輩、帰りましょう」

「うう、違うけど、おやすみなさい、ゆうくん」

「おやすみなさい、国立先輩。優理も」

「ああ、うん」

 鞄を持って、俺は一度立ち止まった。 

「――優希、なんか欲しいもの、あるか」

「欲しいもの? なに、いきなり」

「いや、ちょっと気になって」

「うーん。特に、ない、かな」

 知っていた。

 俺たちの、手に入れたいものは、もう壊されていた。

 俺と国立先輩は、優希を一人残して、病室を去っていった。

 

 ※


「なんで、わざわざ裏口から帰るの?」

「俺の、得意技ですから」

 俺は逃げた。

 どうせ、また来るのだろうが。

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