第5話_回想

 桜が散っていく。入学式の時は満開だった。それから3日経って、あの頃の晴れやかな景色はなくなっている。

 校門の側には、部活勧誘とおぼしき影があった。勢いよく声をかける先輩たちに、少し引き気味の新入生。そんなのを見ると、自分も中学生になったのかと自覚する。まあ、周りの環境が変わっただけで、自分が何か変わったわけではない。

 ――元々部活に入る気もない。やることはもう決まっている。余計なことなどしない。一瞥もせず早足で過ぎようとすれば、先輩たちもそれを察して俺に構おうともしないでくれる。

「あ、あの」

 の、はずだった。そんな空気も察せられない誰かが、校門も過ぎて、昇降口前にたどり着きそうなタイミングで声をかけてきた。

「部活、もう、決めました?」

 そう言って、自作だと思われるちらしを手に、温和しそうな女子が、声をかけてきた。たぶん、先輩なんだろうけど、背丈は俺より一回り小さく、小学生と思えてしまうほどだった。

「ごめんなさい、俺、そういうの興味ないんで」

 なぜ俺に目を付けたのかもよく分からないが、これ以上纏わり付かれるのも面倒だったので、一瞥もせず足蹴にして立ち去ろうとした。

「そ、そうだよね。男の子だもんね、手芸部なんて」

「――」

 少しだけ、興味はあった。でも、俺は結局、一度すまして断ったのが恥ずかしかったから、振り返りもしなかった。

 それに、服飾など今までずっと一人でやってきた。誰かと集まったからって何かが変わるとも思えないし、そもそもこれからも一人でやろうとしていたんだ。

 ただ、その日の昼休み、一人校舎を散策している中、特に意識していなかったのに、掲示板の部活勧誘のチラシが目に入り、手芸部が第二家庭科室で、月、水、木曜日に活動しているのが分かった。

 ただ、それだけだ。

 次の日、朝、同じ場所で彼女を見つけても、俺はそれを避けていた。遠くわざわざ上級生の昇降口など使って、おかしな風潮をされながらも、そっちの方がまだマシだった。

 彼女と目を合わせない方がずっと良かった。

 その次の日も、またその次の日も、俺は同じことを繰り返し、仕舞いには彼女がチラシ配りを始める時間まで把握して、わざわざそれより早く登校するまでになっていた。家族みんなに不思議がられても、ずっと続けていた。

 でも、嫌なドキドキは、ずっとしていた。

 家に着いても、何も作ろうと思えなくなっていた。

 それでも、同じことを繰り返す。

 少しずつ勧誘を行う生徒は少なくなってくる。

 周りの同級生も皆入部届けを提出していた。

 手芸部の話など何も聞かなかった。

 桜はもうほとんど散っていた。

 勧誘最終日、朝、その日はいつもいない時間に、一人だけの彼女がいた。

 他の部活はもういない。彼女の仲間であろう他の手芸部員も目にできない。

 彼女の境遇を想像しそうになって、それも止める。

 何も考えず、前と同じように彼女を避ければいいと思った。

「なに立ち止まってんの、優理」

 だけど、優希にそれは遮られた。

 何も知らずに、能天気な様子で。

「なんで、優希がこんな朝早くに来てるの」

「それはこっちのセリフでしょ。毎日毎日何してんの」

 優希に話しても無駄なことだ。優希なんかに、何一つ理解できるわけもない。

「関係ない」

 そういって、立ち去ろうとする俺に、優希は手を取り阻止してくる。

「どこいくの。昇降口はあそこでしょ」

「いや、離してよ」

「いやだって、怪しいし」

 怪しいからって、なんだっていうのか。気になるからって、それを全部吐けというのか。

「あ、あの」

 そして、最悪なことに、一人勧誘をしている彼女は、一悶着している俺たちのところへやってきてしまった。

 優希はそれに反応したが、俺は露骨に目線を逸らす。

「手芸部、入りませんか?」

「え、無理です。私、陸上部に入っているんで。そもそもこれから朝練ですし」

「え、あ、そうなんだ」

 彼女はちらりと俺を見てくる。でも、その次の言葉はなかった。俺の顔を見て、何かに気づいたのかもしれない。

「あ、でもさ、優理が入れば? 優理はまだ部活入ってないし」

 優希は変わらず、軽口でそんなことを言う。

「え、あ、いいの、その子は」

「なんでですか?」

「もう、断られているから」

 忘れてくれていれば良かったのに。 

「そうなの? なんで? 優理って、そういうの好きでしょ?」

 本当に、優希は余計なことしか言わない。

「え?」

 その一言に、彼女は俺に目を向けてしまった。希望なのか、それとも疑念なのか。

「なんだっていいだろ」

「なんだっていいってなによ」

「だから、なんだっていいだろ!」

「あー、なんだ、そういうこと。優理はようやくその女々しい趣味をやめる気になったってこと?」

「――は?」

 優希はヘラヘラしながら言ってきた。

「子供の頃からずっとだったよね。それ好きだったの」

 ああ、そうだ。ずっとずっと好きだった。今も変わらず、デザインを考えては作ろうとしている。

「まあ、でもいいんじゃん。そろそろ卒業してもさ。なんなら、優理も陸上部入る?」

 結局優希は、何も分からず、何も尊重する気もないってことか。

「……ふざけんなよ」

 小さな震えた声だった。

「ん、何?」

 優希にも聞こえないような声だった。

 でも、それは続いた。

「ふざけたこと言ってんじゃねえよ!」

 怒りに満ちた声だった。

 優希の胸ぐらを掴み、優希に迫った。

 自分でもここまでするとは思わなかったが、体が戸惑うことも何もなかった。

 しかし、分かっていたはずだ。優希なんてこんなやつだって。人の本性を理解しようともせず、尊重する気もなく、簡単に踏みにじってしまう。家族なんだから、もう散々理解していたはずだったのに。

 結果、押し倒され、地面に倒れたのは、俺だった。

「は? 意味分かんないんだけど。と言うか、喧嘩でもすんの? 勝てないくせに」

 同い年の女子とはいえ、ずっと運動ばかりしていた優希の力には、なすすべもなく、押さえつけられた俺は立つことすら叶わなかった。

 でも、怒気は収まる気配がなく、延々と漏れ出していた。

 それを感じ取っていたのかは知らないが、優希はさらに拳を作り出した。

「喧嘩はダメー!」

 そして、そこに彼女が割って入ってきた。それを聞いて、優希も拳を解いていく。

「いやいや、喧嘩売ってきたのは優理ですからね」

 とは言いつつも、優希は落ち着いてきたのか、押さえつけるのをやめてきた。

 俺は相変わらず、優希を睨み続けていたが。

「なに、優理。言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「あー、あるよ。でも、優希なんかには言っても無駄だろうけど」

 また、優希は襲い掛かろうと踏み出したが、それを庇うように彼女が俺の方に来てしまった。

「大丈夫? 保健室行こう」

「気にしないでください。それより先輩は、勧誘を続けていてください」

 手を振り払い、立ち上がっても、彼女は離れない。

「大変なんですよね。部員集めないと」

 こんなときまで、たった一人でいなきゃならないほどなんだから。

「え、なんでそれを知っているの?」

 彼女はさも驚いた様子だった。

 ――俺は口にしてはいけないことを口にしたようだった。

「ん、それ知って優理は入部しないの? 性格悪くない?」

 耳聡く、優希も反応を重ねてくる。

「い、いや、そんなことないよ。それぞれに事情ってあるから」

 彼女はそれを庇うように言ってくる。

「ないですよ、優理にそんなの」

「そ、そんな断定しなくても」

「しますよ、家族ですから」

「え?」

「私たち、双子ですから。だからどうしたって、これは優理の性格が悪いです」

 優希なんかに言われたくないことでも、否定までできなかった。

 彼女は難しそうに俺と優希に目配せしていた。

「優希、そろそろ朝練行ったらどうだ」

「ああ、そうだった」

 優希は、そう言えば簡単にここからいなくなってしまった。

 優希がそう言うやつだって、初めからわかっていたはずなのに。

 その単純で振り返らない背中が、疎ましくなるほど羨ましかった。

「ええっと、本当に気にしないでいいから。人にはそれぞれ事情っていうのがあるから」

 俺と二人になったのに、彼女は続ける。

 それはさっき聞いたことだった。

「入ります」

「え?」

「手芸部、入ります」

 どういうわけか、すんなりとその言葉が口に出ていた。「見学します」とか、「仮入部します」とかそんなものをすっ飛んで。

「そ、そんな、無理しないでいいの。本当に、人には人の事情があるんだから」

 3回目だ。

「俺はそんなに性格悪くないですから」

「そ、そんなことないから。入りたくない事情があるなら、それは仕方のないことだから」

 執拗に彼女は俺を否定してくる。でも、仕方のないことかもしれない。結局は、俺が最初に恥ずかしがって戸惑ったせいなのだから。

 だから、俺はもっと言わなければならないことを言わなくてはいけないのだろう。因果応報ということなのか。そこから先は、少し早口だった。

「最初、先輩を無視したのは、手芸部だって気づかなかったからです。無碍にしたあとそれに気づいて、でもそこから振り返るのも気恥ずかしくてできなくて。ずっと気になっていはいました。第2家庭科室でやっているんですよね。俺は元々、優希のいう通り、服とかそういうのに興味があって。だから、入りたい理由は十分にあって――じゃなくて、ええっと、入りたいんです。手芸部に。だめですか」

 我ながら、よくもまあ、こんな台詞を吐けたものだ。

 幸いか、不幸か、それは彼女に伝わって、

「本当に?」

「本当です」

 はっきりと言い切ると、彼女はチラシを一枚手渡してきた。

 入部すると言っているのだから、こんなものはいらないのだけれど、なんとなくそれを受け取ってしまう。

「よろしくお願いします」

 中学3年間、長いであろう部活動の始まりは、こんな勢いのものだった。

 まあ、彼女の少し喜んだ顔を初めて見て、これでよかったのだと思った。

 ――手芸部の去年までの、あまりにも酷い活動実績を見るまでは。

 それが、彼女――国立先輩との出会いだった。

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