第4話
『おいおい、学校なんて行くなよ。今すぐ引き返せよ。病室でぐうたらしようぜ』
自称神は、俺に語りかけてくる。神と言う割には退廃的な勧めばかりのそれを、俺は無視していた。どうしてこれがこんなことになっているのか。ぬいぐるみがどうして喋るのか。国立先輩に聞けばすぐ分かることだろうけど、今更どんな顔をして戻ればいいのかも分からない。
『あ、それともあれか? 乗っちゃう? 反対方向の電車? 海まで一直線?』
当然のように、改札を抜け、自宅また学校の最寄り駅方向のホームに向かった。
『なんだよ、素直に登校か。つまらねえな』
電車はすぐに来る。だが、自称神は喋るのをやめることがない。
「……ちょっと黙れ」
朝のこの時間帯となると、通勤や通学の人で混み合っている。そんな中で、喋るぬいぐるみなんて手にして電車に乗るのは、ノーマナーと言わざるを得ない。
『あ? 黙れ? なんでそんなことをしなくちゃいけないんだか。まあ、お前の心配は、する必要もねえことだよ』
話が通じたのか、電車がホームにやってくると、自称神はぱたりと静かになった。話が通じるなんてのも、おかしなものだが。
そして、人波にもまれて、もみくちゃの電車の中に閉じ込められ、扉が閉まった瞬間だった。
『あー! あー! 国立瑞穂を泣かした立川優理くん!』
頭にも響くような声で、そんなことを言い始めたんだ。俺は慌てて自称神を手で覆うが、それでも突き抜けるように声は響き続ける。
「電車の中で、何大声上げてんだ」
俺は声を殺して、ぬいぐるみに語りかける。
『へ、別にこんなの、構いやしねえよ。おい、そこのおっちゃん、お前もそう思うだろ』
たまたま隣にいた男性に向け、自称神は声をかける。
「す、すいません。このぬいぐるみ、なぜか勝手に音が鳴って」
「は、はあ」
どこか訝しそうに、男性は反応する。
『おいおい、姉ちゃん。そんなおかしなやつを見る目で立川優理を見ないでやってくれよ』
また今度は、近くにいる女性に声をかける。
「す、すいません。本当に」
女性はわざとらしく視線を外してくる。
間違いなく、おかしな奴として見られている。こんなぬいぐるみ、引きちぎってしまいたかったが、国立先輩からの貰い物なのだから。
『へっへ。全く、電車の中では大人しくしような。変なやつとして見られちまうぞ』
「誰のせいだ」
『立川優理のせいだろ』
「お前のせいだろ」
『いいや、ちげえよ』
「なにがだ」
『そりゃあな、聞こえちゃいねえからだよ』
「は?」
『だからな! 俺様の声は! 立川優理にしか! 聞こえないんだよ!』
耳も塞ぎたくなるような騒音だった。
だが、確かに響いたはずの言葉に、反応のそぶりを見せる人は確かにいなかった。聞こえぬふりをするような、わざとらしく無視するような気配もない。むしろ、その周りの反応を探る俺が一番浮いているようにすら見えるほどに。
『ははは、だから、心配するな。これが聞こえるのは、お前だけだからな』
そのふざけたことを自称神が言う。だが、その後も2駅ほどの短い電車道を、想像するのさえ憚られるような言葉を連呼したところで、それに惑わされているのは俺だけだった。
『これで分かっただろ、俺様が神様だってことが』
神はともかく、今俺におかしな出来事が降りかかっているのは間違いなかった。
ここまで来て、まさか夢でもあるまいし。
「それで、お前が神だとして、一体俺になんのようだよ」
相手にするのもばからしいが、聞こえてしまっている以上、何か探るほかなかった。
『いやいや、俺様は神様だぜ? 欲に塗れて動くような概念じゃねえぞ。ただ俺様は、神様らしく、立川優理を導こうとしているだけだぜ。どうだ、優しいだろ』
「いや、意味分からんが」
『ま、いいさ。これは挨拶みたいなもんだ。これから俺様は、必要に応じて立川優理に生きていく上でのアドバイスをしてやる。ただ、それだけさ』
「なんのために」
『だから、同じ質問をするなよ。まあ、もう一度答えてやるが。俺様が神様だからさ』
「それが意味分からんが」
『ま、これ以上の押し問答を続けるつもりはねえな。次の機会が来たときは、また出てきてやるよ』
「は?」
『――』
それ以降、自称神のぬいぐるみが喋ることはなかった。不審に思いつつも、他にもやるべきことはある。1日放ってしまった家のこと。1日忘れた学校のこと。
足を回してその遅れを取り戻そうとしていたが、結局家に戻り、片付けを済ませ、また家を出れたのは朝のHRも終了する頃の時刻で、そこから走って登校しても、ぎりぎり1限に間に合う程度の時刻だった。
そんな遅刻ぎりぎりアウトに教室にやってくると、クラスメイトは微妙な視線を集めてくる。まあ、気にすることもないし、気にしてもいけない。すぐに目の前に集中しなければ……
「ゆうちゃんいるー?」
だが、その名を呼ぶのは、マリア。教師が入ってくるはずなのに、なぜかそのモンスターが代わりにやってきていた。
「どこー、ゆうちゃん。あ、いた」
できる限り目をそらしていたが、あっさり見つかると、マリアは机をかき分けどしどしと俺の側までやってくる。そして、クラスの生徒たちは、モンスターと「ゆうちゃん」に、気を引かれていた。
「無視はよくないぞー」
「授業が始まる寸前に下級生のクラスにどしどし侵入する方が悪いと思いますよ」
「そんなのどうでもいい」
「あ、そっすか」
相変わらず会話を受け取ってくれない。もうしないものはするべきでもないのか。
「今日はお礼しに来た。一昨日は協力ありがとう」
その一昨日という言葉はやはり重い。
「勝手に巻き込んだんでしょ」
「で、これ上げる」
マリアは机の上にぽとんとそれを落とした。
「自由に使っていいし、使えるから、それ。それじゃあ、アディオス」
それだけ言い切ると、チャイムが鳴る中、のっそりと教室を去って行った。
クラスの生徒のほとんどは、俺とマリアを交互に見渡していた。
俺は、机の上に落ちた、『屋上』とシールが貼られたキーホルダーがついた鍵を見た。
そっと、ポケットに閉まった。
*
授業間の休みは、できる限り教室を避ける。
昼休みになると、鞄を持って、最上階の更に上、屋上前の踊り場まで来た。
ドアノブに手をかけると、堅い手応えだけで扉は開こうとしない。
そこで、ポケットに放り込んでいた鍵を使うと、カチッと音がして、ドアノブは簡単に回る。再び鍵をポケットに入れて、屋上に出た。
そこは、当然だが屋上。初夏の空気はまだ少し冷たく、だが日向に寄れば体は温まる。ベンチもあって、古くなって使われなくなったような机も何個かあった。
「ま、十分だな」
机を一個、ベンチの側に持ってきた。机の上にノート、教科書を広げれば、勉強するのに十分な環境だった。
クラスにはいたくないので、これは非常に助かるものだった。
俺を取り巻く環境は、一昨日、おそらく昨日と、そして今日で大幅な変化を遂げている。それが悪いか良いかは分からない。だが、俺は変わる気もないので、それを避け続けなければならなかった。
マリアも、役に立つことをしてくれるのか。
この状況も、半分以上マリアのせいだろうけど。
「はろはろー」
だが、その功績をわざわざ打ち消すように、マリアは屋上へやってきた。寒いのが苦手なのか、制服の上に1枚カーディガンを羽織っていた。
「屋上まできて勉強、律儀だねえ。ま、ゆうちゃんが決めたことなんだから、好きにすればいいけど」
「好きにさせずに、強制してきたのはどこの誰ですか」
「別に今は、邪魔しに来たわけじゃないよ。少しだけ、ゆうちゃんのことが気になったの」
マリアは本当に、なにも言わずにじっと俺を観察してきた。視界にちらつくが、それでも集中力が削がれるわけほどでもなかった。
校庭の桜は、もう完全に散って、夏支度を整えていた。
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