第5話 繁栄の代償

再び着慣れないスーツを着て、エレベーターでビルの最上階へ向かう。

面倒な認証を経て、エレベーターの扉が開く。

その先の部屋は前回と全く変わっていなかった。


「無事に全ての任務を達成したそうじゃないか、おめでとう」

ヴィサロは、前回とは違い最初から実体化していた。

俺に背を向けて、大きな窓から大都会を見下ろしている。

昼間の喧騒はこの階までは届かない。

「えぇ。それで、詳細を話せばいいですか?それとも、続けて任務があるとか?」

達成報告だけなら、電話かメールで済む筈だ。報酬は事前に連絡した口座に振り込んでくれればいい。

わざわざ俺を呼び出したのなら、何らかの理由がある筈だった。

見ていると、ヴィサロは窓の外に目を向けたまま、両腕を広げる。

「見たまえ、素晴らしいと思わないか」

窓の外の景色に変化は無い。俺にとっては見飽きた大都会だ。

ヴィサロは演説するように語り始めた。


「透き通る空。光輝く太陽。澄んだ空気。いずれも、私の母星ではとうに望めなくなったものだ」


「高次の存在に昇華する以前、気の遠くなるほど過去の話だが…」


「私が生まれた頃、我が母星ではもう、このような景色は見られなくなっていた」


「長い間の戦争で、空は黒雲に覆われ、太陽の光は届かず、空気には毒が含まれるようになってしまったのだ」


「私達が高次の存在に昇華しなければならなかったのは、それが理由でもある」


「それに比べてどうだ、この星は。私の母星に比べれば、ここは楽園だよ」


俺は呆気に取られていた。

急にヴィサロがそんなことを語り出したからだ。

超越者の母星の話など、政府の人間達は聞かされているのだろうか。もしかして、今の情報を聞いたのは俺が初めてなのでは。

そんな俺の心情を他所に、ヴィサロは話を続けていく。


「だからこそ、私はこの星を、私の母星と同じ状況にしたくないと思った」


「このまま獲得者との戦争になれば、この楽園には悪影響が出るだろう」


「君には感謝している、ジェリコ」



「だからこそ、残念だ」



そう言って、ヴィサロは俺の方を振り返った。

何かおかしい。肌の色が薄く、白人と黒人の中間くらいに見える。体格も俺より少し大柄だ。口の周りには中途半端に生えた髭。黒髪も少し長い。

そして、頭の手術跡は片側分しか見えなかった。

その姿は以前会った時のような、俺と全く同じ姿ではない。


この前の、ヴィサロの言葉を思い返す。


『すまないが、こうして二人だけで話そうとすると、比較対象が無くてね。相手と同じ顔にならざるを得ないのだ』


なのに、目の前のヴィサロが俺と同じ姿をしていないということは。


「っ!?」

振り返りざまに、ジャケットの内側に吊っていた拳銃を抜く。

だが、その引き金に指をかける前に、銃は弾き飛ばされていた。


そこにいたのは、俺より体格の大きな白人の男だった。


長い黒髪に口の周りを覆う髭。この男と俺の特徴を混ぜたのが、今のヴィサロの姿なのだろう。

男は俺に、拳銃を向けている。両手でしっかりと照準を合わせて。

明らかにプロの軍人か、傭兵だ。

「どういうことだ…ヴィサロ!!」

「紹介しよう、彼が君の前任者だよ」

声を荒げる俺とは対照的に、ヴィサロは冷静そのものだった。

白人の大男は、敵意の籠った眼で俺を睨みつけている。

「前に話したろう。君が殺した標的の少年、彼に返り討ちに遭ったが、かろうじて生きていた。今日こうして復帰し、君と顔を合わせたというわけだ」

「そんなことを聞きたいんじゃない!!」

言いながら俺は、弾き飛ばされて遥か彼方へ転がった拳銃を一瞥する。

一息で跳躍して届く距離じゃない。目の前の男が相当大きな隙を見せない限り、取り戻すことは難しいだろう。

そして、見る限り相手も俺と同じ手練れだ。そんなに大きな隙を見せるとは思えない。

そんなことを思考していた時。


『これで、理由が分かるかな?』


頭の中に、声が聞こえた。

俺の声に似ている声。先程窓際で演説していたのと同じ、ヴィサロの声だ。

俺は愕然として、ヴィサロの方へ視線を向けた。


「そう、私だよ」


そう言って、ヴィサロは笑みを浮かべる。


『純粋に疑問なんだが、私が何の保険も無く、君を自由に行動させると思っていたのか?』


今度は頭の中からだ。緊張に、額から脂汗が噴き出すのが分かる。

「…どうなってんだ。頭がおかしくなりそうだ」

「じゃあ分かり易く言おうか」

そう言って、ヴィサロが俺に近づいてくる。

白人の男は俺から遠ざかるが、その銃口は油断無く俺の方を向いていた。


そうしてヴィサロは右手の人差し指を、俺の額に指した。


「この任務を依頼した際、私は私の身体の一部を君の脳に侵入させた」


『そうして、この任務を行う君の行動を、五感を、思考を監視してたんだ』


目の前の実体のヴィサロが喋り、脳内のヴィサロが言葉を引き継ぐ。

本当に、頭がおかしくなりそうだった。


「だから、君とあの精神感応者の老婆との会話も、私には筒抜けだったよ」


『それを、君が確かめようとしていることもね』


ゾクリと、悪寒が全身を駆け抜ける。

言葉を紡ごうとして、声が震えるのが分かった。


「…ヴィサロ。俺への仕打ちは、それが理由か…?」


ヴィサロは目を瞑り、残念そうに頷いた。

老婆の言葉が出鱈目なら、否定すれば済むことだ。しかしヴィサロはそうしない。

それが意味する所は、つまり。


「おい!あんたはいいのか!?こいつらは地球を」


最後まで言えなかった。俺が呼びかけようとした白人の男、その当人に拳銃のグリップで殴られたからだ。

大理石の床に顔面を強かに打ち、自分の口から呻き声が上がるのが分かる。

口の中が切れ、鮮血が飛んだ。


「この世界はクソだ。滅茶苦茶になっちまえばいい」


吐き捨てるように、白人の男がそう言い放った。

駄目だ。コイツは思った以上に頭のネジが飛んでる。超越者がこの地球を滅ぼすのに、喜んで力を貸すつもりだ。


味方はいない。どうにかしてここを脱出しなければ、超越者がこの星を滅ぼすのを、誰も止められなくなる!


やっと上体を起こした俺の頭に、再びヴィサロの声が響いた。


『あの老婆の推測は概ね当たりだ。確かに私達超越者の身体を構成しているのは、君達の言うソラリス元素だ。そして、獲得者の能力の源も同じ元素のようだな。だから獲得者は、私達と人類が接触したことで生まれたものと言えるだろう』


一泊の後、宣告するように、頭の中のヴィサロが声を響かせる。


『故に、一人たりとも逃せないのだ』


そうしてヴィサロは俺から離れていき、代わりに白人の男が近づいてきた。

ふと何かに気づいたように、ヴィサロが足を止めて振り返る。

「それと、君に協力していた車椅子の男だが、今日中に始末させてもらう。彼も我々にとっては危険人物のようだ」

「この…クソ野郎!!」

「残念だよジェリコ。君とは良いビジネスパートナーになれそうだったのに」

白人の男が近づいてくる。銃口をこちらに向けて。


死が、眼前に迫ってくる。死の恐怖が。


転移者テレポーターの少女に。

精神感応者テレパスの老婆に。

念動力者サイキックの少年に。

そしてそれ以前の大勢の人間に、俺が与えた時のように。


「待て…やめろ、嫌だ、やめろ、やめろ!!」


その瞬間、発砲音と共に俺の視界は暗転した。



ああ、やっぱり碌な死に方しなかったな。最後に思ったのは、そんなことだった。

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