第2話 転移者
「で、どうだった」
訪問するなり、そう聞かれた。無理もない、その男も超越者と直接会ったことなどないのだ。
俺は案内された居間のソファに座ると、ヴィサロから渡された資料を男に渡した。
「標的だ」
「お前の予想通りだったか」
言いながら、男は資料を覗き込む。そんな男の様子を俺は見つめた。
短く刈り込んだブロンドの短髪。白い肌。顔には眼鏡をかけているが、その片目は義眼だ。
かなりの高齢で、顔にも皴が目立つ。髪にも白いものが混じっている。
両足は義足で、車椅子での移動が欠かせない。
この男がヴィサロにも話した、元アメリカ軍技術部所属の男、マーカスだ。
「それぞれ全く離れた地域だな」
「能力もそれぞれ違う。恐らく試験みたいなものだろう。この仕事がうまく行けば、継続して依頼が来るかもな」
資料をテーブルに置いて、マーカスは腕を組んだ。
葉巻を取り出して口にくわえ、先端を切り落として火をつける。
一頻り一服した後、やがて彼は言った。
「それで?どの標的から行くつもりだ」
「まずは写真付きのこいつだ」
そう言って、俺は資料の一つに付いていた写真を指差した。
「こいつの能力の対策に使えるものはあるか」
マーカスは、その口元に笑みを浮かべた。
「とっときのがあるぞ」
数週間後、俺は南米のとある地域にいた。
時刻は深夜。蒸し暑い夜で、月が街を照らしている。
崖の上から、その街を見下ろした。
トタン屋根の簡素な民家が幾つか手前にあり、奥側には土壁の頑丈そうな建物が幾つも並んでいる。
超越者に反抗する意志を持つテロリストの拠点がここだった。
俺はマーカスから渡された装置が正常に動くことを確認し、他の装備を粗方点検すると、暗視スコープの内蔵された双眼鏡で様子を見る。
あと2~3時間もすれば夜明けだ。そして、奴らが最も気を休める時間でもある。
そろそろだ。
俺は様子を見ながら携帯の番号を押し、電話をかけた。
サイレンの音が鳴る。最初はかすかな音だったが、次第に強くなってくる。
異変に気付いた兵士達が、大声で言葉を交わし始める。
やがて、軍用車に乗った大勢の正規軍が、街の反対側から現れた。
途端に銃声が鳴り響き、悲鳴と怒号が響き始める。
俺も身を起こし、予め崖の下へ渡してあったワイヤーを伝って下り始めた。
手前のトタン屋根。今にも崩れ落ちそうなほど簡素な民家の中へ、身を滑り込ませる。
家の中には誰もいない。事前にリサーチ済みだ。
室内には色褪せてすり切れたカーペットが敷かれ、古びた鍋やフライパン等の日用品、朽ちたテーブルや椅子等が散らばっていた。
その時、近くから兵士の走る息遣いが聞こえ、俺はナイフを手に取る。
扉の陰で待機し、息を殺した。
すぐ近くから、兵士の声がする。声の大きさと響いてくる方向からして、俺の隠れている民家の方を向いて何事か言っている。
このまま室内まで踏み込んできたら殺すしかない。しかしそうなれば、任務の達成は難しくなるだろう。俺は緊張のまま待った。
やがて、兵士の足音が聞こえ、遠ざかっていった。
幸いだった。予想より早くこちらへ来るのかと思ったが、思い違いだったようだ。
だがそれでも、今にも来る可能性は高い。周りに兵士がいないことを確認すると、俺は民家内の床を叩き始めた。
やがて見つけた。1か所だけ、叩いた音が反響する地点が。
俺はその箇所のカーペットをひっくり返した。
予想通り、その下には取っ手の付いた蓋が存在していた。
蓋を開けると、深い所まで穴が開き、梯子が伸びている。
目を凝らしてみても、暗闇に閉ざされた穴の底は見えなかった。
事前に持ってきていた両面のテープを蓋の表面に張り付けると、俺はその上にカーペットを貼り付けた。こうしておけば蓋を閉めると同時にカーペットもその上に戻り、俺が来たことが一目で悟られずに済む。
とはいえ、カーペットを捲れば細工はすぐにバレるのだが、一目見ただけでは気づかれない程度の時間稼ぎだけでも貴重なのだ。
そうして、暗闇の広がる穴の方に目を向けた。
頼むから、誰も居ないでくれ。そう祈り、梯子に足をかける。
できるだけ音を立てないように、俺は暗闇の先へと降りて行った。
降りている間に、徐々に暗闇に目が慣れてきた。
やがて底まで辿り着くと、周囲を観察する。
そこは、木箱が並んだ倉庫のようだった。
ここのテロリストはあまり金を持っているわけじゃない。
だから地下室と言っても、大層な設備のものではないだろうと踏んでいたが、予想通りだ。
室内を進み、自分以外の気配が無いか確認する。やはりまだ人はいない。
それでも、最初に俺が下りてきた梯子の先からは轟音や銃声がかすかに聞こえ、テロリストが追い詰められつつあるのが分かった。
そして確信した。ここでなら待ち伏せができる。
いくら政府軍が優勢でも、ここのテロリストが有する獲得者だけは、捕らえるのは至難の業だ。ヴィサロの説明から、俺はそれを理解していた。
「この獲得者の能力は、
資料のうち一つを広げながら、ヴィサロはそう俺に告げた。
「現在潜伏している拠点も判明している。しかし、難しいのはここからでね」
資料のページを捲り、彼は説明を続ける。
「この獲得者を擁するテロ組織は、これまで幾度も政府軍と交戦を行い、幾度も追い詰められた。だがその度にこの獲得者だけは逃げおおせて、生き残った者と合流すると再び組織を立て直してきた。捕まらない、というのがこの獲得者の厄介な所なのだよ」
能力が転移なのだから当然だろうな。胸中でそう俺は呟いた。
不意にヴィサロは資料から俺の方に目を向けて、問いかける。
「これまで君が殺した獲得者の中に、
その答えはとっくに知っている筈だ。胸中で毒づきながらも、俺は首を振った。
「いえ」
「だろうね。獲得者の中でも、この能力を持つ者は稀だ」
言いながら、ヴィサロは目を細める。
「だが、脅威であることは確かだよ」
言いながら、彼はテーブルの上にあったリモコンでモニターを点灯させる。
画面には、混乱状態の人々と破壊された建物が映っていた。
「1年前。我々と君たち人類との親交を記念するパーティで、テロ組織による爆弾を使用したテロがあった」
「ええ。大々的に報道されてましたね」
ヴィサロはパーティと言ったが、実際はパレードだ。超越者は姿を現さないから、我々人類が歓迎する様を頭上の浮遊物に見せつけるしかない。
そんなパレードの最中、政府関係者の集まるビル内で爆弾が爆発した。死者・重軽傷者が数十人は出たという話だ。
ヴィサロは俺の言葉に頷くと、言った。
「その犯人が、この獲得者だと推測されている」
その情報は初耳だった。確かに、1年経った今でも犯人が捕まったという情報は無い。てっきり俺は、テロリストの自爆テロかと思っていた。
「分かるだろう。転移者ならば、爆弾を設置して即座に離れた場所へ離脱できる。設置・起動の手順であれば獲得者の年齢でも理解できるだろう」
そう語るヴィサロはモニターに映った映像を見つめたままだが、その顔にはこれまでにない真剣さが宿っていた。
「我々と人類の親交、ひいては君達人類の進歩のためには、このような能力をテロ組織に悪用させるのは絶対に許すべきではないのだ」
その言葉に、俺は頷いた。
テロリストの拠点を徹底的に調べ上げ、政府軍への連絡手段を確認し、彼らの準備から急行までの時間を調べ上げるために近隣の別のテロリストの拠点を通報して摘発させるまでした。リハーサルのために。
標的は10歳に満たない子供だ。政府軍と相対すれば直接戦闘などできる筈も無く、即座に撤退に回るだろう。
そうなれば、一時的にでも身を隠す場所を確保している筈だ。
その予想通り、事前にこの地域を徹底的に調べ上げた結果、普段は不自然に人が寄り付かず、有事の際にだけ熱源が集合している地点が、先程俺が訪れたトタン張りの民家だった。
その下にあるこの地下室こそが、獲得者の避難場所だろう。
俺はマーカスから渡された装置のスイッチを入れ、待機した。
腕に取り付けた装置に付いているモニターが、数メートル先の地点を青く表示する。
俺は生唾を飲み込んだ。
やがて、モニターに青く表示されていた地点が、赤く変わった。
いよいよだ。そう思ったと同時に、微かな高周波が辺りに響く。
同時に地下室内の一角から、一瞬青い光が収束した。
次の瞬間、浅黒い肌に黒髪の少女が、何もない空間から現れていた。
その姿を確認すると同時に、俺は背中に装備した、マーカスから渡されたもう一つの機器のスイッチを入れる。
そうしてから、腰のホルスターから消音機付きの拳銃を抜いた。
地下室は静まり返っている。
俺が拳銃を抜く僅かな音に反応して、少女がこちらを振り返った。
まだだ。装置が効いているかどうか確認しなくてはならない。
次の瞬間、少女の瞳に驚愕の色が走る。
俺は銃を向けたまま、待った。
そして、彼女の表情に更なる驚愕と、困惑と、そして恐怖が浮かぶのを見た。
「…どうして…」
そんなポルトガル語での囁きを、俺はかすかに耳にした。
その瞬間にはもう、俺は引き金を引いていた。
標的の暗殺自体は、今まで相手にしてきた獲得者の中でも容易な方だった。これもマーカスから渡された装置のおかげだ。
だが脱出となると話が違う。地下室という袋小路が出発点である以上、ここからがより困難であると言えるだろう。
少女がこの地下室に避難するのはテロリスト達の共通認識である筈で、そうなると転移した彼女の保護役が地下室に急行する筈だ。
俺は少女の死を確かめた後、即座に梯子を昇り始めた。
上の民家に上がると同時に、目についた兵士に向けてライフルを掃射した。
少女の避難先である地下室から、見慣れない大柄の男が出てくるのは予想外だったのだろう。呆然としていたその兵士はライフルの弾を諸に浴びて倒れ、動かなくなった。
そのまま民家を抜け出し、俺は近くの森の中へ身を躍らせる。
先程射殺したのが恐らく保護役の兵士だろう。政府軍も既に近くまで来ており、テロリスト達が応戦する銃撃音が近づいてきているのが分かる。
俺が発したライフルの掃射音に、テロリスト達は益々混乱状態に陥ったようだ。
そのまま森林の中を走り抜ける。俺を追ってくる者はいなかった。
「俺が退役する直前にはもう、獲得者の能力の、根本の部分は解明できていたよ」
任務の前、俺に渡す機器をテーブルに置きながら、マーカスはそう呟いていた。
「獲得者が能力を使用する際、その周囲と、能力を作用させる対象の周囲に、未知の元素が発生するのが確認されていた。それまでは、地球上で全く検出されなかった元素だ」
「それが獲得者の能力の根本?」
俺の言葉に、マーカスは頷いた。
「これを発見したのは技術部に協力してた外部の科学者だったんだが、そいつは『ソラリス元素』と仮称してた」
「…変わった名前だな」
「あぁ。この科学者が、先立たれた妻の名前から取ったらしい。もっとも、当の科学者はこの元素の存在を実験で証明した翌日に、自殺しちまったがね」
過去を懐かしむように、遠い目でマーカスはそう呟いていた。
「このソラリス元素は、空気中に発生した瞬間には不安定だ。常に振動していて、そのままなら空気中に拡散し、やがて消滅するのが確認されている」
「じゃあどうやって獲得者はそれを利用しているんだ?」
俺の疑問に、マーカスは葉巻を吹かしながら言った。
「そこまでは解明できていない。獲得者が直接的にどうやってソラリス元素に影響を与えているのか、まではな。ただ一つ分かったのは、獲得者が意識を集中させることにより、ソラリス元素は安定するということだ。空気中での振動が収まり、拡散することも無くなる」
そこまで語ると、マーカスはテーブルに置かれた機器のうち一つを手に取った。
腕時計より一回り大きいくらいのその機器は、側面にON/OFFのスイッチがあり、表面には2次元の観測用モニターのようなものが付いていた。
「これは、そのソラリス元素を観測する装置だ。元素の発生が確認された場所を青く表示する」
「なるほど。じゃあそのモニターに青く表示された地点が」
俺の言葉を遮るように、マーカスは片手を上げた。
「説明は最後まで聞け。獲得者が能力を使用するため、ソラリス元素を発生させると青く表示される。だがそれではまだ能力は使用されていない状態だ。そこから元素の安定が確認されると、表示が赤く変わる。それが能力使用の合図だ」
そこまで説明すると、マーカスはその機器を俺に差し出した。
「ただし、使用中は電力を非常に食う。満タンに充電した状態でも、ずっとONにしておけば約30分で電池切れだ。使う際には気を付けろ」
「分かった。協力に感謝するよマーカス」
俺の言葉に、マーカスは不愛想に頷いた。
そして彼は、もう一つの機器を手に取った。
こちらはもっと大型で、両手で抱えるライフル並みの大きさの機器だ。
こちらにも側面にON/OFFのスイッチが配置されていた。
「こっちは、さっき言ったソラリス元素の安定化を阻害する装置だ。ONにしている間、その場にソラリス元素が発生していた場合、それを意図的に振動、拡散させる機能を持つ」
「何だって…!?」
その説明に、俺は少し興奮していた。
先程の説明と、この機器の機能の説明が確かならば、即ち。
「そうだ、獲得者の能力の使用を封じることができる」
「凄いな。あんた一人で作ったのか、そんな代物」
マーカスは、俺の称賛の言葉にもあまり得意そうにはしない。偏屈な気質なのだ。
「退役する時にちょろまかした軍の機材を使ってる。これ以外には無いし、量産も不可能だ。お前のように獲得者だけを狙うような任務には使えるだろうが、テロの鎮圧を目的としたアメリカの軍隊では使えないだろうよ」
「何故だ?」
「テロリストの大半は獲得者じゃないからだ。普通の軍隊は、テロリストの摘発中に獲得者に出会うなど稀なことだ。費用対効果が薄過ぎるんだよ」
言いながら、マーカスはその機器に手を置いた。
「そして何より、まだ実戦で使える代物なのか分からない。獲得者のソラリス元素を安定させる力が、この機器の出力より強いことだって十分考えられる」
そうして、マーカスは真剣な目で俺を見た。
「できれば、お前にはこの機器が使える物なのかどうか確かめてほしい。そうすれば、退役した俺でもまだ軍に協力できると証明できるんだ。ただ、使えなかった場合も想定して行動しろ。難しいと思うがな」
俺は頷き、その大型の機器を手に取った。
「分かったよマーカス。あんたの努力を無駄にはしない」
マーカスは、若い頃は最前線で戦う兵士だった。伴侶もその頃の同僚だったらしい。
だが、人類が超越者と遭遇し、親交が始まった頃だ。テロリストの起こしたテロにより伴侶は命を落とし、自身も片目と両足を失った。
それからは技術部に転属し、対テロ用の機材の開発や、テロリストの擁する獲得者の能力解明に全霊を尽くしたという。退役するまで。
今も、時折マーカスの元には、職場の同僚だった人達から連絡が来る。対テロのための助言を求めに。
そんな男と関係を持てたのは、俺には運の良いことだった。だが、彼にとっては良かったことなのだろうか。そんなことを、時折俺は考えるのだ。
今のように、テロリストに協力していたとはいえ、まだ10歳に満たない少女を殺した時などは。
『今しがた連絡があったよ。無事に最初の任務を達成できたようだね』
ノートパソコンから送ったメールに対して、1分もしないうちにヴィサロの返信が届く。
南米のあるホテルの中で、俺は事後報告を出していた。
勿論、ハッキングに対策して暗号化されたメールだ。しかしその対策もヴィサロには信用ならないものらしい。彼の返信の内容はあまりにも簡素だった。
続きはこれだけだ。
『今後の活躍も期待しているよ』
それで終わり。どうやらそれ以上の言葉は必要無いらしい。
俺はノートパソコンを閉じると、ヴィサロから渡された資料を取り出し、捲った。
残りの標的は東欧と、インドにいる。東欧の標的は写真が付いていなかった。
事前のヴィサロの説明を聞いた時から、順番は決めていた。
そうして、翌朝に出る飛行機に備えて、ベッドに横になる。
少女を射殺した時の感触を、頭から振り払いながら。
恐らく、自分は碌な死に方はしないだろう。そんな確信を抱いて。
夢を見た。
傭兵と獲得者が対峙する夢。
周囲のものを浮遊させ、ぶつける獲得者。拳銃でそれに応戦する傭兵。
獲得者は能力を使いこなせておらず、それでも傭兵は苦戦している。
その時、傭兵の撃った拳銃の弾が、壁を跳ね返って獲得者の頭に命中した。
倒れて頭から血を流す獲得者を、傭兵が見下ろす。
それで、夢は終わりだった。
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