君に好きと伝えたくて

 僕はボールペンを手取ると、交換日記と向き合った。ちょうどあと二ページでこの日記も終わりを迎えようとしていた。


 僕は最後に今までの分の想いを綴った。






『僕もずっと好きだ。君の髪も、表情も、仕草も好きだ。君から発せられる声の一音、一字、一句全てが好きだ。怒った顔も、拗ねた顔も、呆れた顔も、泣いた顔も、悪戯な笑みも、嬉しそうな笑顔も全て好きだった。好きで好きで堪らなく好きだ。

 今まで、伝えられなくてごめん。不甲斐なくてごめん。君はきっと待っていたんだろう?それなのに、きっかけがないと言えないなんて僕は本当に情けない奴だ。

 こんな情けない奴に付き合ってくれてありがとう。僕を愛してくれてありがとう。結婚してくれてありがとう。ずっと支えてくれてありがとう。僕をずっと好きでいてくれてありがとう。これからもずっと君のことが、』






「好きだ」






 僕は喉を抑えた。掠れて嗄れた聞き覚えのない声。


 まさか、


 信じられなかった僕はもう一度、ゆっくりと、口を開いた。


「──好きだ……好きだ。好きだ、好きだ、好きだ好きだすきだ! 大好きだ!!」


 何度も口を動かして、喉の筋肉が動いているを確認した。次第にそれは耳の奥で、自分の身体から発せられた音であると自覚する。


「……はは、ははは! 僕のっ、僕の声だ!」


 最後に聞いた若々しく、滑舌のいい声とは程遠く、まるで別人のもののようだ。発せられる音は蝋燭を吹き消す風の如く、小さく繊細で。

 だけどそれは正しく、自分の身体が作り出したものであった。


 加齢とともに長年使われていなかった喉の筋肉は、痛くて、脆くて、あまりにも興奮して咳き込んでしまった。


 溢れ出す思いが止まらない。


 目頭が熱くなり、目には大粒の涙が溜まる。止めどなく流れ出てくるそれは、大雨が降ったあとのダムの水のように、一気に流れ出て、僕の顔を満遍なく濡らした。


 もうすぐ妻が、最後の仕事を終えて帰ってくる。 


 僕は涙を無理やり塞き止め、妻の帰りを待つことにした。これ以上泣いてしまったら、彼女が帰って来るまでに全て出し切って枯れてしまいそうだったから。


 残りの喜びは妻と分かち合いたいから。


 残りは妻が帰ってきてからだ。そして泣きながら、僕は彼女にこう言うんだ。




『好きだ』

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幸せの交換日記 鈴風飛鳥 @Ask2456

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