目で見えるものしか信じられなくなっていた

「好きよ、あなた」


 突然、妻が告白してきた。『どうしたんだい、急に』と僕がメモを差し出すと、


「んー、なんとなく。しばらく言ってなかったなぁ……って」


 彼女は歳相応の愛らしい目元のしわを寄せながらカラカラと笑った。


 僕の声が出なくなってからずっと「好き」という言葉はお互い出さなかった。彼女が口にすることもなければ、僕が文字にして伝えることもしなかった。


「それにね」


 と、彼女は続ける。


「せっかくの二人だけの人生を過ごしてるんだもの。これから残り短い時間を過ごす中で、言葉にしなきゃもったいないなぁって」


 その言葉を聞いてハッとした。


 今まで疑問に思っていたことも、悩みも、全てが繋がった気がした。




 ──あぁ、そうか──、


 ずっと不安だったのだ、僕は。


 文字でしか、君に思いを伝えられないから。

 見えるものでしか、君に想いを届けられないから。


 目に見えないものが、残らないものが、僕はとても不安で。不可視のものに意味や価値を見いだせなくて。


 声に出して「好き」と言える君に、不安を抱いてしまっていたんだ。


 君は気づいていたんだね。僕の不安を拭うために、交換日記に誘ってくれていたんだね。口にしなかったのは、気づいてくれていたんだね。


 この気持ち好きは本当は、僕の方から伝えるべきだったのに。


 このタイミングで言ったのはきっと、昨日の掃除の時に発見した、結婚式の時のビデオを観たからだろうな。


『二人で幸せになります! 好きだー! 愛してる!』


 画面越しの新郎の僕は声高らかに、妻や僕の両親、大勢の友人にそう宣言していた。新婦の妻は照れながら、林檎のように真っ赤に染めた顔を手で覆い隠していた。

 この頃は僕らは、こんな未来になるなんて夢にも思わなかっだろうな。


 でも、こんな未来でも幸せな人生だった。


 結婚して早四十年。


 老い先短いこの命だ。時間をフルに活用しなければ。

 昔の君が、そうしていたように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る