第3話:すり替え
その言葉は案外、あっさり出た。
そして思い返せば、その言葉がここまで出なかったのが意外だった。
そうだ。
俺は逃げることができる。
ムラサメから。十二魔将から。迷宮都市トトリスから、アイオーン迷宮から。
通常、迷宮のモンスターは『スタンピード』でも発生しなければ、長時間地上にでることはできない。
バフォメットと言えども数日が限界だ。
無理して外に出れば、とんでもない激痛に襲われるんだとか。
俺はその産まれの
おそらく迷宮都市トトリス内だと危ないかもしれないが、奴らがこない遠くまで逃げ切れば――――。
………後悔はあるし、申し訳なさも少しはある。
それでもやっぱり、自分の命が一番だよなぁ!!
と自分に言い訳する。
そして肝心の逃亡資金は――――。
懐から俺はボロイ袋を取り出す。それは『マジックポーチ』にそっくりだった。違いは口の部分を赤い紐で縛っているかいないかだろう。
俺はにやりと悪い顔で笑った。
「ふふふ……」
俺は酒場に向かう道すがら、いや、ここ最近嫌な予感をずっとしていた。いつ『新月の明かり』を追い出されないかビクビクしていた。
だから。
「すり替えておいたのさ!」
俺は予めポーチそっくりの偽物を用意していたのだ。
そもそも『マジックポーチ』自体が一見何処にでもありそうなボロイ袋でしかない。だから見分けるために赤い紐をつけているんだがな。
因みに赤い紐は『不死鳥の羽紐』といい、結び付けた物体に強力な魔法の加護をもたらし、あらゆる外的要因から対象を守り抜く効果を持つ、宝箱からのA級のドロップ品である。
『マジックポーチ』が燃えたりすれば、中にある食料や予備の装備までおじゃんだからな。それを防ぐための対策だ。
そして、『マジックポーチ』に結ばれた『不死鳥の羽紐』を偽物の方に結び変えてしまえばご覧の通り。
俺がさっき酒場で渡した袋は、ただのボロイ袋だ。
『新月の明かり』の数年間の冒険の結晶、貴重な装備・アイテムはこの手の中にある。これらを売れは、俺は大陸の端まで高跳びし、そこで死ぬまで遊んで暮らせるだろう。
くくく、と俺は笑いながら俺は速足で、というか全力ダッシュしながらトトリスを駆ける。
笑ってるのは、ぶっちゃけ強がりだ。だって、いつムラサメたちがこのすり替えに気づくのか、恐ろしくてたまったもんじゃない。
もう、後戻りはできないんだ……。
俺が目指したのは、飛空艇の離陸場だ。
街と街の間に鉄道を走らせるのは、魔物の襲撃があるため、とても現実的ではない。
よって長距離を短時間で移動しようと思うなら、空路か海路に選択肢は限られ、トトリスは内陸の街だから俺は空路を選ぶしかない。
飛空艇は魔石を燃料にして大規模な風魔法を起こしそれに乗って空を渡る、いわば空飛ぶ船だ。
ちなみに料金は心臓が飛び出るほど高い。
一度の船旅で平均的な市民の生涯年収、その何倍もの魔石を使い切るからだ。
主な利用者は大商人や大貴族などの、世界でもトップクラスの富裕層となる。
俺もこんな機会じゃなければ、絶対に利用しようとは思わなかった。
飛行艇の離陸場はそれこそ、城かなにかと思うほど豪勢なつくりだった。
小市民が体の芯に染み込んでいる俺なら、平時ならあまりの場違いさにビビっただろうが、今はそれどころじゃない。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でしょうか?」
「いえ、違います」
「それではチケットをこちらで購入してください」
なんて会話を係員としていると、
「まもなく離陸します!! お見送りの方は離れてください!!」
と、飛空艇の方から大声が聞こえた。
ま、不味い!
もうチケットを買っている時間もねぇ!
「ちょ、お客さま!?」
俺は係員の静止を振り切り、あわてて走り出す。
石造りの巨大な建物の中を進むと、バルコニーのような場所に出た。そこから鉄と木でできた飛空艇に乗り込むのだ。飛空艇の周りには風の渦がでており、まさに今大地から浮こうとしているようだった。
俺は飛空艇にめがけてジャンプして、中に乗り込む。俺の足が甲板に着いた次の瞬間、ぐんと、一気に飛空艇は加速した。
……あっぶな!
ぎりのぎりぎりセーフだったみたいだな。
眼下を見るとトトリスの街が小さくなっていく。俺を閉じ込めたあの迷宮都市も空から見下ろすと、ちいさなもんだった。
脳裏をこの数年間の思い出が次々に流れていく。
最初はバフォメットに連れられ、アイオーン迷宮101層魔王城を初めて訪れた時の記憶。
異形のモンスター共に囲まれて失神した当時の俺を責められるやつはいないと思う。多分、アレでかなりの人望を失ったのだろう。そして、起きたら十二魔将の奴らが真顔でこっちを見てた時の恐怖ときたら!
それに城と呼べば聞こえはいいが、訪れたばかりの頃の魔王城はカビと埃だらけの廃墟といった様相だった。だから俺の王としての最初の仕事は、箒片手に魔王城を掃除することだった。
王なのに! 王なのに! おまけに配下の奴ら全然手伝わなかった! 人望がねぇから!
……次はムラサメの弱点を探すため地上に出たあと。とことん弱みを見せないムラサメに焦り、血迷って成功する保証もないのに、寝込みを襲って亡き者にしようとした時のことだ。
「へ、へーい。起きてるぅ?」なんて小声で確認すると、ムラサメが真顔でベッドから微動だにせず、こっちを見てた時の恐怖をきたら!! なんでどいつもこいつも真顔なんだよ!! 笑えよ!!
………碌な思い出がない気がするな。
いや、多少思うところはあるが、うん、やっぱり碌な思い出はない。
トトリスでの生活は基本的に胃が痛かった。
魔王城では常に配下の下剋上を心配していたし、地上ではみるみるうちに力をつけるムラサメたちに恐怖していた。
その2重苦からようやく俺は解放されるのだ。そう思うと、少し、いや結構気分が上がってきたな!なんだがこれからの人生にワクワクが止まらねえ!
「おいお前!」
……と、そうだった。俺はこの飛空艇にチケットも買わずに飛び乗ったんだった。係員が怒髪天で俺に近寄ってくる。他の客は何事かと俺を見ていた。
「お前みたいなやつはよくいるんだ! 一度乗ってしまえばどうとでもなると思ったのか! 空から叩き落してやる! この船はなぁ! お前みたいなガキが乗っていい船じゃあないんだよっ! 身の程を知れ!」
え、こわっ……。
「はっ! 今更後悔しても遅いんだよ、間抜けめ! 俺がお前らみたいな、無遠慮なガキを何人船から頬りだしてきたと思ってる! 」
なに、この係員のおっちゃん。滅茶苦茶怖いんだけど……。前職は街のギャングが何かだったのかよ……。
俺はちょっと、ほんのちょっとビビりながらも懐から『マジックポーチ』を取り出す。
ま、まあ、まてよおっちゃん。
俺には『新月の明かり』の莫大な財産がある。
金なら迷惑料込みで、色をつけて払ってやるから、な。
と俺は『マジックポーチ』の中を漁るが。
漁るが――――――。
漁る、が――――――。
「…………何もでねぇ」
え、ちょ、待てよ。
これは……そのどういうこと?
『マジックポーチ』は中に手を突っ込むと、中に入っている物品が分かり、好きなものを自由に取り出すことができる。
だが、今日はいつものあの、ぬるま湯に手をつっこんだような感覚がない。頭の中に、『マジックポーチ』の中身が浮かんでこない!
いや、布の感触はあるけども!
というか、これって――――。
ただのボロイ袋だ!!!!
「なんでえぇ?」
いかついおっちゃんに首根っこをつかまれて、俺は甲板をずるずると引っ張られる。
多分、いや、間違いなく、泣いてたね。
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