第2話:逃亡への決意

 迷宮がいつからあるのか。

 それは誰にも分からない。


 少なくとも、人の歴史が壁画や紙面に記録され始めた頃には、もう既に迷宮は当たり前のものとして世界に点在していた。


 迷宮は下に下に続く巨大な構造物で、各層には危険なモンスターが徘徊する。命に関わるトラップも各所に設置されている。


 それでも迷宮に足を運ぶ者は後を絶たない。何故なら迷宮は宝の山だからだ。モンスターが死ぬと落とす魔石は様々なマジックアイテムの材料や燃料になるし、設置されている宝箱からは地上ではお目にかかれないマジックアイテムやマジックウェポンが入手できる。迷宮があるかないかで、国力に大きな差が生じるほどだ。


 だが、迷宮は常に宝石を運んでくる従順な飼い犬という訳ではない。


 迷宮は常に『スタンピート』を起こす危険性を孕んでいる。


 迷宮のモンスターは原則として外に出ることはない。

 しかし、迷宮の機能に狂いが生じモンスターが大発生し、許容量を超え外に群れを為して出てくる場合がある。それが『スタンピート』だ。


 一度『スタンピート』が発生すれば、自然に治まるのは待つしかない。『スタンピート』により、近隣の村や町が滅んだ話は各地に幾つも残っている。時には小国すら飲み込むらしい。


 『スタンピート』を防ぐ確実な方法は、その迷宮の最深部にいる特別なモンスター、『魔王』を殺すことだ。とはいえ『魔王』を殺すのは並大抵のことではない。


 まず第一に『魔王』は他のモンスターと隔絶した力を持つ。


 第二の理由として、『魔王』はその身に纏う『闇の衣』というオーラによって、『勇者』が扱う『聖剣』以外のダメージを一切受け付けない。


『聖剣』は迷宮の入り口の前の台座に、抜けと言わんばかりに刺さっている。


 誰にでも抜けるわけではない。素質ある者だけが『聖剣』を引き抜く『勇者』となることができる。


 ちなみに『勇者』以外の者が『聖剣』を扱おうとすれば、電流がながれたような激しい痛みに襲われるのだそうだ。だから『聖剣』は『勇者』にしか扱えない。


 つまり、だ。


 『勇者』さえなんとかすれば、『魔王』を傷つけられる者は誰もいない!


 俺はそう考えたわけだ。『聖剣』の方は破壊不可能だからな。


 そして数年前、『勇者』が現れたという情報を得た俺は、地上に出て『勇者』ムラサメに接触した。そして同じパーティーに入れば奴を観察し放題だと考えてわざわざ自分で『新月の明かり』を立ち上げたりもした。


 全てはムラサメの弱点を探るためだ。


 だが結論から言うと、人類にとっては喜ばしいことに、俺にとっては最悪なことに、ムラサメに弱点など欠片もなかった。


 ムラサメは完全無欠であり最強の『勇者』だった。


 更に誤算は『新月の明かり』の他のメンバー、ギルベルトとリーゼリアまでもがムラサメに追随するほどの勇者の器を持っていたということだ。


「なんだよ、この前の迷宮探索は……。ノーダメージとかビビるわ! 『魔王』か、あいつら!っ!! ありえんだろっ!?」


 俺は叫ぶ。幸い周りに人影はない。


 トトリスに存在するわが実家、アイオーン迷宮は10層ごとにボス部屋が設置されている。


 そこでは、普通のモンスターとは比べ物にならないほどの強さをもつボスモンスターが待ち構えているのだが、そいつらでさえムラサメたちの敵ではなかった。


 おまけに60層のボスモンスターは2体。アイオーン迷宮の最高幹部、十二魔将のオロバスとケルベロスだ。アイオーン迷宮の主の俺から言わせてもらえば、迷宮中盤の壁と言ってもいい。



 しかし―――。


 脳裏に浮かぶのは2匹の無残な最期だ。


 俺がなけなしのバフ魔法をかけた直ぐ後、ムラサメたちはボス部屋に侵入した。


 まずケルベロスの3つの頭の真ん中が『聖剣』で叩き潰された。次いでムラサメ目掛けての噛みつき攻撃をギルベルトが盾で弾き返し、その衝撃で左の首がへし折れた。『え、マジっすか?』みたいな顔をした最後の一つはリーゼリアの火炎の魔法で消し炭にされ、ケルベロスは戦闘開始10秒も経たないうちに沈黙した。


 残ったのは『あ、次は俺なんスね、魔王様……』みたいな哀愁漂う視線で俺を見てくるオロバスだけだ。俺はいたたまれず目を合わせることができなかった。


 オロバスは馬の頭に筋骨隆々の人の身体を持ったモンスターだ。主な戦闘手段はその巨体による肉弾戦と風属性の魔法だ。


 近・中距離共に隙のないモンスターなのに加え、特殊能力として限定的に未来を見通す力もある。


 オロバスは未来視で巧みにムラサメたちの攻撃をかわしていたが、それでも多勢に無勢だ。致命傷はギリギリ避けれても、攻撃を完璧に回避することは不可能に近い。俺はなぶり殺しにされていく部下を眺めることしかできなかった。


 『なんで見てるだけで助けてくれないんスか…』と恨みがましい視線を向けるオロバスはやがて魔石を残して、塵となった。


 俺は多分涙目だったと思う。


 オロバスとケルベロスが死んだから?


 いいや。それは違う。


 そもそも、迷宮のモンスターであるあいつ等は不死だ。死んでも塵となっても、いずれ蘇る。あの一方的な攻められ方はトラウマになって暫く夢に出るだろうから、そこは同情するが……。


 涙目になったのは、俺の番はそう遠くないことを理解したからだ。


 アイオーン迷宮は全100層。

 もう折り返し地点は過ぎている。


 そして俺の戦闘能力は正直高くない。ぶっちゃけ、部下の十二魔将の足元にも及ばない。そもそも強さに自信があるなら、地上に出て『勇者』の弱点を探ろうだなんて思わない。オロバスたちは30秒ほど持ったが、俺なら数秒で負けるだろう。


 そして、『魔王』は不死ではない。

 皮肉なことに、不死たる迷宮のモンスターの頂点に立つ『魔王』だけが、死んでも復活しないのだ。


 死んだらそこまで。魔石を残して塵になって、それで終わり。


「仲間のフリをして実はっ!ってキャラはさぁ! 大体真の実力を隠してるわけだけどさあ! 別に俺はそんなんじゃないからっ! 普通にまじめに全力で『新月の明かり』のリーダーやって、普通にまじめにクビになったから! ちくしょうがっ!」


 『ふふふ、まさかの俺の本気をあの程度だと思っていたのか? 魔王としての俺の真の力を見せてやろう……!』的なこともできやしない。


「ああ、死にたくない……」


 そもそも、俺は別になりたくて『魔王』になったわけではない。


 俺の父親が『魔王』をやっていて、その縁で後を継いだだけだ。


 部下からの人望もあるとはいいがたい。


 この間の迷宮探索の後、久しぶりにアイオーン迷宮の最下層にある魔王城に帰ったんだが、十二魔将の一人、ヤギの骸骨の頭に真っ黒な襤褸絹を纏ったモンスターであるバフォメットは、


「今回のご帰還は、前回に比べて随分と期間が空きましたね。魔王様は地上での生活が大変お気に召したご様子。どうでしょう? いっそ、こんなジメジメした薄暗い空間から抜け出て、戦いとは無縁な場所にいくというのは? なに、後のことはご心配なく。この不詳バフォメットめが魔王の座を譲り受けましょう」


 と、武器である大鎌を撫でながら、おどろおどろしい声でそんなことを言うのだ。


 彼の言う『戦いとは無縁な場所』とはイコール天国の事で、『いく』イコール『逝く』なのは間違いなかった。


 バフォメットは特に態度が嫌味で露骨だが、他の十二魔将の多くは似たようなものだ。


 俺の『魔王』の地位を虎視眈々を狙っている。


 オロバスとかは俺に対してもフレンドリーだったが、この前彼がリンチに合っているのは見守るだけだったのが、流石に頭にきたのか、城への帰還時には目も合わせてくれなかった。


「ああ! 嫌だ! 城に帰りたくない! 帰りたくないよ! 今更ながら『魔王』になったことへの後悔がすげぇ!」


 戻れるなら、あの日、バフォメットが家を訪ねてきた日に戻りたい。


 想像してみてほしい。


 突然、邪悪なオーラを放つヤギの骸骨頭に襤褸絹衣装、手には大鎌まで持った見るからにやばい奴が玄関の軒先に立っている。


 そして突然「魔王になって頂きたい」なんて言われる。


 大概の奴は、己の保身のため、とりあえず「はい」と頷くんじゃあるまいか。少なくとも俺はそうだった。


 しかし、アレは間違いだったのだ。

 あの日、俺は「NO!」とはっきり自分の意思を表す必要があった。


 きっと彼らはさぞ落胆しただろう。俺は余りに弱かった。それでも、俺なりに『魔王』として頑張ってきたつもりだ。


 しかし。


「このまま城に帰ったら俺、殺されるんじゃないか……? 結局ムラサメに弱点なんかなかったわけだし……。数年の潜入作戦も無駄に終わっったて分かったら、あいつ等どんな行動にでるか……」


 俺という『魔王』がいる限り、次の『魔王』は産まれない。一つの迷宮に対して『魔王』も『勇者』も常に一人、それが迷宮のシステムだ。逆に言えば、俺という『魔王』が死ねば、次の魔王がモンスターの中から選ばれるのだろう。


「どうする?」


 俺は自問する。答えは最初っから決まっていた。


「―――――――逃げるか」


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