異形の娘

 その日暮らしの旅人が収入を得る方法は限られている。最も手っ取り早いのは、自警団だけでは対処できない魔物の討伐だ。危険だがその分報酬も高い。

 そうした討伐依頼は、村であれば村長の家に、街であれば酒場に集まってくる。

 土の中で目覚めてから、三日後。サルべの街の東にある、サフラの街の酒場に、セレネはいた。

 食堂としても利用されている酒場だ。客には旅人だけではなく、小さな子供を連れた母親の姿もある。

 昼の店内は明るい。窓には白いカーテンが掛けられ、木製のテーブルや椅子はよく手入れされていた。

 給仕の娘はくるくると元気良く働いている。カウンターの奥に立っている店主が、その様子を眩しそうに見つめていた。

 カウンターの脇の壁に、住民たちからの依頼書が貼り付けられている。

 セレネは、窓際にある二人掛けのテーブルの上に、席料代わりに頼んだ酒と依頼書を並べていた。

 依頼書は二枚。

 一つは、灰色狼の群れの討伐。

 サフラの街道から少し逸れたところで、狼の唸り声を聞いた。額に三つめの瞳を持つ灰色狼の影を見た者もいる。幸いまだ襲われた者はいないが、被害が出る前に退治して欲しいというもの。

 もう一つは、森に棲みついた角猪の討伐だ。

 肝試しと称して森の奥まで足を踏み入れた子供達が、大きな角を生やした猪と遭遇した。一人の機転で、手持ちの荷物を猪に投げつけ、猪がそれに夢中になっている間に何とか逃げ出した。今はまだ森の奥にいるが、いつ街の近くまでやって来るかわからないので退治して欲しいというもの。

 どちらの依頼書も日に焼けて、黄ばんでいた。カウンターの奥にいる店主に確かめてみると、灰色狼の方は五年前、角猪の方は三年前に貼り出されたものだと言う。

「狼は止めておけよ」

 妙に馴れ馴れしい声が聞こえた。セレネの向かいの席に、黒衣の少年が腰を下ろそうとしている。

「猪もだ。一人で倒せる相手じゃない」

 少年は、片手に大きなボウルを抱えていた。濃い緑色の葉物野菜と、茹でた人参、それから茶色の小さなキノコが入ったサラダだ。肉は無い。

(まだ育ち盛りだろうに)

 そう思いかけて、彼が神聖教会の使者であることを思い出した。

 正義の神アスタを信仰する神聖教会は、肉食を禁じている。

「お前、なんでそんな無茶な依頼ばかり引き受けるんだ。この前だって、生き返ったから良かったものの」

「お前じゃない。セレネだ」

 むしゃむしゃとサラダにかぶりつきながら説教を始めた少年に、セレネは冷ややかな声で言った。

「なあ、坊や。あんた神聖教会の使者なんだろう? だったら知ってるはずだよな。"夜の魔女キィノ浄化作戦"」

 全てを赦し受け入れる夜の女神キィノは、神聖教会によって、正義の神アスタに刃向かう愚かで淫靡な魔女だと貶められた。彼女に従う黒騎士たちは、女神の色に溺れた哀れな傀儡なのだという。

 神聖教会の使者たちは何度も改宗を迫った。それに応じなかった。

 夜の魔女キィノに魅せられた者はもう救えない。その死を持って浄化するしかない。

 次に生まれ変わった時は、きちんと正義の神アスタを信仰できるようにと、神聖教会の使者達は祈ったのだと言う。

 神聖教会にとって、あの虐殺は聖戦だった。

 心さえ折れなければ生き返ることができる黒騎士たちは、生き返るたびに殺された。

 何度も何度も。心が折れて、二度と目覚めなくなるまで。

「私は黒騎士だ。一人だけ取り残された。だから、早く夜の女神のところに行きたいんだよ。他の皆と同じように」

「…………お前、あの虐殺の」

「あなたたちですの? 仕事を探しているっていう人間は」

 高飛車な女の声が割り込んできた。

 テーブルの脇に、灰色の長衣を着た中年の男女と、まだ十代前半あたりの少女が立っている。

「光栄に思いなさい。正義の神アスタ様の忠実なる使者のこのわたくしが、あなたたちに仕事を差し上げましょう」

 女は四十代半ばあたり。白いものが混ざり始めた薄い金髪をきっちりと結い上げている。瞳は灰色。長身だが、かなりの痩せぎすだ。頬に丸みはなく、長衣の裾から出ている手は骨が浮き出ている。

 男の方は女よりもやや年長だろう。つやつやと光っている黒髪に、青い瞳。身長はセレネよりも低いが、横幅ならセレネの倍以上あるだろう。顔や腕に、たっぷりと脂肪を蓄えていた。

 男の陰に隠れるようにして、くすんだ茶髪の少女が身を縮めている。まだ十歳になるかならないかぐらいだ。灰色の長衣の裾を掴み、うつむいている。

 少女の左腕は、肘の辺りまでの長さしかなかった。本来、手や指がある部分は、丸い肉の塊になっている。

(ルナと同じだ)

 夢の中に出てきた幼なじみのことを思い出した。ルナは明るく笑っていたが、この少女に笑みはない。

「わたくしはブリジット。こちらの紳士はジェローム様です」

「我らはアスタ様のお導きにより、その忌まわしい異形の娘をメイスルの教会まで連れて行くことになった。道中、アスタ様の加護に守られた我々に嫉妬し、襲いかかってくる愚か者から身を守るための護衛が欲しい」

 ジェロームの顔がだらしなく緩んだ。ブリジットを見上げて、猫なで声で言う。

「私の可愛いブリジットを傷つけるわけにはいかないからな」

「まあ、ジェローム様ったら」

 ブリジットが小娘のような甲高い声を上げて、身体をくねらせた。ジェロームはにやにやと笑っている。

 黒衣の少年は、中年の男女のその有様を呆然と見つめていた。大きな瞳が丸くなり、点のようになっている。

「なあ、坊や。神聖教会の使者っていうのは皆あんななのか」

「そんなはずは…………おい、あれと俺を一緒にするなよ」

「わかってるよ」

 セレネは席を立ち、少女の前に膝をついた。視線を合わせて、できる限り優しい口調で言う。

「お嬢さん、お名前は?」

「…………」

「私はセレネ。旅人さ」

「…………あ、アイシャ」

「アイシャか。綺麗な名前だ。あんたにぴったりだね」

 アイシャの目が丸くなった。その小さな頭を一撫でしてから立ち上がり、自分たちの世界に夢中になっている中年男女に向き直る。

「良いだろう。引き受けてやる」

 ブリジットが身体をくねらせるのを止めて、ジェロームは緩んだ顔を引き締めた。二人揃って笑顔が消える。

「メイスルに着くまで護衛する。それで良いな?」

「ええ、その通りです。清く正しい神聖教会の使者であるわたくしとジェローム様の護衛ができること、光栄に思いなさい」

 ただでさえ高い身長を更に伸ばすかのように胸を張るブリジットを見て、セレネは小さくため息をついた。

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