土の中の目覚め

 目が覚めたら、自分の手の影すらわからないような深い闇の中にいた。

 左肩を下に、横になっているようだった。固く冷たく湿った大きな何かに挟まれているようだ。

 息苦しい。少しでも楽な姿勢になろうともがいた時に、右肩の上に被さっていたものがぼろぼろと崩れていくのを感じた。

(土? …………生き埋めにされた?)

 何故そんなことになったのか、わからない。

 肩の上の土を押しのけるように、右腕を上へ上へと押し上げて行くと、指先が冷えた空気に触れた。

 手を少し下に下ろすと、乾いた砂の感触がする。

(外に出た。これなら)

 右手は土の外に出したまま、何とか姿勢をうつ伏せに変えて、両手で地面を押すようにして起き上がる。背中の上で、ゆっくりと土が崩れていくのを感じていた。

 額に風を感じる。ようやく顔が出た。上半身を土の中から引きずり出したところで、セレネは大きく息をついた。

 やっと呼吸がまともにできるようになった。ほっとして息を吸い込んだ時に、土の欠片まで吸ってしまったらしい。激しい咳の発作に襲われる。

「い、生きてる…………っ!?」

 地面の上に突っ伏したまま、呼吸が整うまでひたすら耐えていると、怯えたような少年の声が聞こえた。

 何とか顔を上げて、声の主の方を見る。涙で滲んだ視界の中で、黒髪黒瞳の少年が、大きく目を見開いてこちらを凝視していた。

 年齢は十代半ば。さすがにセレネよりは背が高いだろうが、同年代の少年たちと比べれば小柄である。

 顔は可愛らしい部類だろう。髪と同じ、黒い長衣に身を包んでいた。正義の神アスタを信仰する神聖教会の使者が身につけるものだ。

 少年の姿を目にしたあたりで、何故こんなことになってしまったのかを思い出した。周りを見る余裕も出てくる。

 森の中の、少し開けた場所だった。もう日が暮れて、辺りは夜の闇に包まれている。

 月が大きく、明るかった。おかげで、黒衣の少年の驚いた顔も、自分の状態もよくわかる。

 土に塗れた黒の革鎧。その下に着ているシャツに、大きな血の染みが広がっていた。

 身体には傷一つない。激しく咳き込んだせいで、胸の奥に鈍い痛みが残っているが、それだけだ。

 埋まったままの下半身を引きずり出し、片膝を立てて座る。まだまともに立つ自信は無かった。

「…………驚いた?」

「多少は」

 掠れた声が返ってくる。セレネは口元に、うっすらと苦笑を浮かべた。

「そりゃそうか。普通は生き返ったりしないもんな」

 サルべの街の酒場で、巨人の討伐依頼を受けた。

 商人が利用する街道付近に巨人が棲みつき、不幸にも巨人と遭遇した商人が殺され荷物を奪われるという事件が起きた。被害がこれ以上広がらないうちに討伐して欲しいというものだ。

 依頼が出されたのは三年前。依頼主でさえ、そのことを忘れかけていた。

 巨人を討伐するには腕の良い戦士の他に、攻撃魔法を使える者が最低でも三人は必要だと言われていた。一人で受けるのは自殺するようなものだ。

 セレネはそれを一人で引き受けて、死んだ。そして、生き返った。

 夜の女神キィノの"祝福"────"呪い"。そのおかげで、セレネは心さえ折れなければ何度死のうとも生き返ることができる。

(生き返るつもりなんかなかったんだけどな、私は)

「生き返って良かった」

「…………」

 黒衣の少年は、今度ははっきりとそう言った。

 彼は、巨人討伐に向かったセレネを追いかけて来た。今にも巨人に踏み潰されそうだったセレネの前に立って、たった一人で巨人を倒してみせた。

「死ななくて、本当に良かった」

 ────駄目だ…………駄目だ、駄目だ! 死ぬなよ! 死んだら駄目だ!

 意識を失う直前に、少年の泣き声を聞いたような覚えがある。

 セレネの死を見届けた少年は、その後に丁重に弔おうとしてくれたのだろう。だから、土の中で目覚めることになった。

 懐に手を突っ込んで、仕舞いこんでいた依頼書を引っ張り出した。黄ばんだ紙は、半分以上血に染まってしまっている。

 これじゃあ渡せない。依頼書を懐に戻して、セレネは少年に声を掛けた。

「なあ、坊や。あんた、あの巨人倒したんだろ?」

「あ、ああ」

「あの巨人の指とか切り取って、サルべの酒場の主人に見せてごらん。賞金、貰えるから」

「俺は別に賞金なんて」

「いいから。貰えるものは貰っときなよ」

 膝に力を入れる。何とかふらつかずに立ち上がれた。これなら歩けそうだ。

「手間掛けさせて悪かったね。それじゃ、私はこれで」

 少年に背を向けて、夜の闇の中へと踏み出した。

 まずは荷物を取りに戻らなければ。それから着替えて、別の街に行って、今度こそ。

(次は、必ず)

 ────今度こそ、生き返ることなく、二度と目覚めぬ眠りにつきたいと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る