第一章 富む者は魔を擁せず ~ノーマネーノーライフ~(5)
存外、主人としてのロアは人望があるようで、カーラ以外の使用人たちに協力を取り付けるのは容易かった。カーラの婚約を知ってか複雑な表情をする者もいたが、結局断る者はおらず、これによりほぼいつでもロアが告白できる状況を作り出すことができる。
「とまぁ……ここまでは良かったわね」
窓枠に肘をついて顎を乗せたサチカの視線の先、屋敷の庭園で話す二人が小さく見える。
水やりをするカーラに話しかけるロアの後ろ手には、見慣れた安っぽい装飾の魔術杖があった。
しかし、そのオープンハートは止まったままで動く気配はない。
そうこうしているうちに水やりを終えたカーラが手を振って、二人は別れた。とぼとぼと屋敷に引き返してくるロアを見て、サチカは頭を抱えた。
「ヘタレ……」
『キミ想フ杖』に仕込まれた感応術式は、相手を強く想うだけで発動する。だが、その先を恐れて想うことさえためらっていてはその装飾が動き出すことはない。
使用人の一人が、ロアが親しまれている理由を話していたのを思い出す。あの尊大な態度は全て後付けで、臆病で優しい少年が厳しい商いの世界を生き抜くために身に着けた殻でしかないという話だ。たまに言動の裏から生来の優しさが垣間見える主人を、多くの使用人が慕っているという。
古い間柄であるカーラに対してはそんな側面が強く出てしまうのか、今朝から数えて2度目の失敗だった。成功報酬ではないので今日が終われば支払いは要求するつもりだが、それではなんとも目覚めが悪い。
サチカが発破を掛ける機会を得たのは、そこから更に失敗を重ね、日が傾き、橙色の光が落ちる書庫でのことだった。
「貴方、どうして告白しようとしているの?」
「な、何を今更。それは、俺様がその……カーラを……」
「そうではなくて。だって、上手くいかないのは分かってるって自分でいってたじゃない」
書庫は古い本の香りで満たされていた。棚に収まっている本は本家に古くからあったものを運んできたものが多いらしい。ちらっと背表紙を見て回った限りでは大半が交易にまつわる本で、ロアが学院に通っている影響か少しだけ魔導書が混ざっていた。
時間的にも後がないと判断したサチカはもっと直接的な状況を作り出すことにした。「ロアから話がある」と呼び出しているので、カーラはじきにこの書庫へ来るだろう。
「一方的に伝えたいだけの自己満足なら、そんなに躊躇う必要ないでしょ。だから純粋になんで? って思っただけよ」
「……」
自信たっぷりの様子はなりを潜め、意気消沈のロアは俯いたまま言葉を探すように話始める。
「最初にカーラから結婚の話を聞いた時……言葉が上手く出なかった。……寂しくなるってそれだけは伝えられたけど……それだけじゃないって今は思ってる」
これは確かに商人には向かないとサチカは思った。ふてぶてしさを演出していたその太り気味の体型が霞むくらい、今のロアは幼く頼りなさげに見えた。
「でもこの気持ちがどんな形をしてるのか……わからないんだ。ひょっとしたらこれを伝えることでカーラを傷つけるんじゃないかって……怖い。……そう、怖いんだ」
初めて気づいた感情を確認するみたいに、ロアはそう繰り返す。
「ふーん、じゃあやめる?」
「嫌だ!……伝えずに離ればなれになるなんて、考えたくもない‼」
「答え、出てるじゃない。なら気張りなさいよ。大体、一緒でしょうが」
「え?」
「傷つけたくないなら、このまま別れればいい。伝えるって決めたなら、それがどんな形であれ、傷つけるわ。だったら迷うことなんてないじゃない」
「……」
顔を上げたロアが不思議そうな顔でサチカを見ていた。
「なによ」
「いや、女にしておくには惜しいなと……いたぁ⁉何をする⁉」
「気合‼ 入ったでしょう‼」
背中を思い切り叩いた手をヒラヒラと振って、サチカは本棚の陰に引っ込んだ。途端に疲労を感じて、少し積もった埃など気にせず腰を下ろし息をつく。
(少し偉そうだったかしら……。まぁ、あれだけいっておけば大丈夫でしょう……)
「セ~ンパイ♡ お疲れですかぁ? 膝枕してあげましょうか~?」
「遠慮するわ。寝るなら全部終わってから……って」
「じゃあ私が膝枕してもらいます~♡」
座ったサチカの下腹部あたりにぐりぐりと栗毛頭が押し当てられる。
「貴方、なんでここに……」
「お掃除任されたんですけどぉ、飽きたのでご本読んでました~」
見れば棚の一角だけ本が抜き取られ、床に積み上げられている。魔導書かと思いきや逆にそれ以外ばかりだったので感想を聞いたところ、様々な国の風土や文化が記されていて面白かったという。
「で、膝枕だっけ?……まぁ、それくらいならいいわよ」
「え!? センパイが優しいです!?……じゃあこのまま手を繋いだりなんかしちゃったり~?」
「調子に乗るな。……なんというか、今回だけだから」
ミトラがあまりにけろっとしているから忘れてしまうが、誰かに想いを告げるのは相応の勇気が必要だ。中途半端に優しくするのは良くないことだとサチカにもわかってはいる。それでも最初の一回分、特に勇気を出したその一回分だけは、誰かに優しくされるべきだとサチカは思ったのだ。
正座に座り直したサチカは、恐る恐るといった感じでその足に頭を載せたミトラの第一声「……思ったより固いですね?」には額への手刀で答える。赤くなった額を抑えつつもだらしなく緩んだ頬をみて、サチカも表情を緩めた。
「ロア、いるの?」
そこへ、書庫の扉がノックされる音が響く。
途端にロアが緊張するのが見なくともわかった。その手にある魔術杖は必要以上に強く握りしめられていることだろう。
「……あぁ」
震える声でロアが返事をすると、扉が開いてローラが顔を見せる。
「今日はなんだかよく会うなって思ったんだー。あはは、話があるならいってよねー」
「……」
ロアが纏う重苦しい雰囲気にカーラは不思議そうに首を傾げる。
沈黙は続いて、魔術杖の装飾も動かない。
サチカが諦めかけたその時、カーラの方がこともなげに話し出した。
「ここも、懐かしいよね。よくここの隅っこでさ、泣いてたもんね。泣き虫ロア?」
「お、俺様は泣き虫じゃない‼」
「今はそうだけど、昔はよく泣いてたでしょー。かあさま、かあさまって。あーあ、昔の方がかわいげあったのになぁ」
懐かしむように語りながら、カーラは近くにあった棚の本の背表紙を撫でる。
「いつまでも子供扱いするな! 俺様はな、もう一人前の商人なんだぞ‼」
「わかってるよ。……言ったことなかったけど、私ね、一度だけお仕事してるロアを見たことあるんだよ?」
「え?……いつだ?」
「少し前かな。お使いに出たとき、偶然ね」
ロアの方に向き直って、カーラは悪戯っぽく微笑んだ。
「カッコよかったよ、ロア。立派になったんだなぁって、もう泣き虫じゃないんだなぁって思った」
おもちゃみたいな魔術杖のその先端、魔力結晶が発光しオープンハートはゆっくりだが確かに回りだす。
きぃんと鳴った感応術式特有の高音は、注意していなければ聞き取れないほど小さなものだったがサチカの耳には届いていた。
「……そうだよ。泣き虫だったんだ、俺様は」
「……うん」
「しきたりだと教えられてはいたが、見捨てられたとしか思えなくて、ただただ寂しかった。泣いてどうにかなるわけでもないとわかっていても、そこから動けなかった」
それは話しかけるようでいて、独白のようでもあった。自分の口から出る言葉を自分で反芻するように、ロアはゆっくりと話す。
「誰かさんが根気強く『そうじゃない』って言い聞かせてくれなかったら、俺様は泣き虫のままか、両親を憎むかのどちらかだったに違いない」
相槌を打つカーラが優しい表情で目を細めるのは、書庫を染める橙色の眩しさのせいではないだろう。
オープンハートが、くるくる回る。想いの強さを表すようにくるくると。
「その誰かさんも親元を離れて1人だっていうのに、情けない俺様をずっと笑って励ましてた。その強さに憧れた。強くなろうって思えたんだ。だから———」
苦しそうに言葉は途切れる。
その先を絞りだしたのは、きっと、魔術の力だけじゃない。
憧れて手に入れた強さで、その意志で迷いを乗り越え、想いは告げられた。
その声音は、生来の優しさが滲むようで、暖かいものだった。
「だから———」
「—————今までありがとう。幸せを願ってる」
『キミ想フ杖』に仕込まれた「最も強い想いを口にする」という感応術式は、
確かに、その効果を発揮したのだった。
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