第一章 富む者は魔を擁せず ~ノーマネーノーライフ~(3)

 魔術師である限り、一人前であろうが学生であろうが、常に付きまとう問題がある。

 それは、金欠だ。

 魔術師というものは、とかく金の掛かるものなのだ。魔導書や魔道具は集め始めればキリがないし、魔術の探求にはどうしたって資金が必要となる。

 金に困った魔術師が貧乏生活から抜け出すために副業を始めて、いつしかそっちの方が本業になってしまうなんてよく聞く笑い話だが、それでもここ数十年、学院の新入生の数が減らないのは、やはり魔術というものに人は惹きつけられるからなのだろう。

 さて、サチカのお財布事情はというと、学院の他の学生と比べても、いつだって寂しい状況にある。

 学院の学生は図書空間があるため魔導書を個人で買う必要はなく、講義で使用する魔道具は貸し出されるので出費はかなり抑えられる。とはいえ、結局のところ魔術の習熟には自己鍛錬が一番重要となるので、学生の主な資金の使い道はここだ。魔術を行使するための魔術触媒は消耗品であることが多く、それでいて単価も安くはない。

 サチカはこれに加えて毎年の学費を自ら払っているので、懐には年中隙間風が吹いているのだった。


「うふふっ……ぬふふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ!!」


 そんな生活を何年か続けていれば、壁を三枚隔てたところで硬貨が落ちた音にも反応できるようになるし、こうやってお金を数えるだけでだらしない笑みを浮かべるようにもなる。


「いや、姐御は絶対、性根から金の亡者なだけじゃねえか?」

「うっさいわね!! いいでしょうっ、貴方達だってまとまった資金ができるんだから」

「それは毎回ありがたいんだがな……」


 サチカの金銭に対する感情は、そう、愛といってしまっても過言じゃない。

 もはやそれは通貨以上の意味を持っていて、それ自体がたくさんあるのを見るだけで多幸感がサチカの胸を満たすのだ。


「1枚……2枚……うふふっ、3枚……4枚……」

「こんなセンパイは初めてです……」

「姐御の商魂が燃え上がったのも久しぶりだしな。どうしたよ、百年の恋も冷めるってか?」

「いえ、いつものキリっとしたセンパイもいいですが、お金でホニャホニャになったセンパイも実にイイですね~。略してホニャパイ。ホニャパイ、いい、とても良い……。ハッ!? わたし、すごいこと思い付いちゃいましたよセンパイ!!」

「何よ、今忙しいんだけど」

「お金が交換条件ならどうですか? 毎月お金をお支払いするので、わたしとお付き合いするというのは!!」

「……………………………………………………駄目に決まってるでしょ」

「ギリギリのところで踏みとどまったか。さすが姐御だぜ」

「わたしぃ、これでもいいところの子なのでぇ、お金ならたくさんありますよぉ?」

「……………………………………………………」

「早くも折れかけてるなぁ…」

「サチカさーん、お客さん連れてきたよ」


 そんな年中財布が軽い状態のためか、金のにおいに関してのサチカの嗅覚は確かなものがあり、サチカが2人に資金調達を持ち掛けることはこれまで幾度もあったが、安定して黒字を叩き出していた。

 時には青田買いした鉱石を売り捌いたり、時には富裕層に人気があるという毛皮の主を乱獲したり、学生受けする食べ物を開発して学院で大流行させたこともあった。

 これによって一時的に潤った懐も全て学費に消えてしまうという悲しい事実はさておいて、そんなサチカが今回満を持して始めた商売というのが、


「聞きましてよ、『絶対に告白ができる』って……」


そう、『絶対に告白ができる』と謳った、なんとも荒唐無稽な商売である。

 一見して何をするのか分からないながらも、既に2週間先まで予約はいっぱい、近い内に1月先まで予約が埋まってしまうのではないかというほどの繁盛ぶり。

 気になるその商売を支えるのが、ミトラが生み出した『キミ想フ杖(本人命名)』と、『感応術式』である。

 感応術式とは紙などに描かれた魔術式を後から発動させる陣式魔術の一つで、その最大の特徴は、あらかじめ設定しておいた発動条件(トリガー)によって自動的に魔術が発動することである。また、陣式魔術共通の特徴として、魔素(マナ)から魔力への変換が魔術式側に取り込まれており、使用者が意識的に魔力を練り上げる必要はない。

 『キミ想フ杖』に仕込まれた感応魔術の効果は、使用者がその時の「最も強い想いを口にする」というもの。発動条件は使用者の魔素が高まることで、これを握って想い人のことを考えれば、正直に想いを吐露できるという仕組みになっている。

 この感応魔術が仕込まれた『キミ想フ杖』を貸し出すことで告白の後押しをするというのが、今回サチカが考案した商売の概要だった。


『勉学以外にうつつを抜かす恋愛脳たちにも、たまには役立ってもらおうじゃない‼』


と息まくサチカの笑みは悪魔の様だったとウィルとヒースは語る。


「ちょっと聞いてますのサチカさん!! 無視するなんて、わたくしを誰だと思ってますの⁉ 名家フォルラグナの長女ですのよ‼」

「12枚……13枚……うふふっ、14枚……15枚……」


 ミトラの誘惑を断ち切って再び紙幣を数え始めたサチカの肩をガクガクと揺するのは、全体的に派手な出で立ちの金髪二つ結び。

 本日の講義を全て終えた空き教室の隅っことはいえまばらに生徒は残っていたが、サチカ達の騒がしいやり取りを目に留める者はいない。これまでも何度も繰り返されてきた光景だからだ。


「この状態のサチカさんを止めるには、別のお金の話をするしかないから諦めたほうが……」

「この女はいつもそうじゃない‼ いいわ‼ 通常の2倍、いいえ5倍払いますわよ‼ それでいいんでしょう⁉」

「あら、シアじゃない。生憎だけど、2週間先まで予約が」

「ようやくこっちを向きましたわね!! ここまで来たら5倍でも10倍でも構いませんわ!!  その『絶対に告白できる』魔道具とやらをすぐに私に貸しなさい!!」

「……」


 サチカは思案顔で頭の中の計算器を弾いて、


「私と貴方の仲じゃない!! もちろん1番に貸し出しましょう!!」

「この女……どういう神経してますの……」


 眼前の青筋ビキビキの表情を意に介さず、とてもいい笑顔でそう告げた。

 現代魔術科3年メルシルシア・フォルラグナとサチカの因縁は、中等部の頃まで遡る。

 中等部は学科を分けることなく全生徒混合でクラス分けが行われ、2人は同じクラスで魔術を学んでいた。サチカは平民の出だったが、幼い頃から祖母の教えを受けていたおかげで筆記実技共に成績優秀、事あるごとにそれに張り合っていたのが名家フォルラグナの長女というわけである。

 今となっては切磋琢磨し高め合えたとサチカがむしろ好感を覚えている一方、シアは現在でもこうしてサチカに何かと突っかかってくるのだった。それが彼女なりの親愛表現なのかもしれないが。


「でも貴方、相手ってエルクでしょう。許嫁じゃない。今さら告白なんて必要?」

「そ、それは……」

「姉御よぉ、許嫁だからこそってこともあるんじゃねえか。特にエル公とシア嬢はちいせえ時からって話だから、逆に言いずれえこともあるだろうよ」


 窓枠を逆手で掴んで懸垂していたウィルが、額に汗を輝かせながら言う。


「筋肉達磨が恋愛の機微を語ってるのぉ、気持ち悪いですね~」

「ウィル君これでもまぁまぁモテるからね」

「えっ……全く理解できません。センパイのがカッコよくてかわいいのにー!!」

「はいはい商談中は邪魔しないのッ!!……っと」


 後ろから覆い被さろうとするのを背負うようにブン投げて撃退する。ミトラが床で伸びたのを確認してから席へ戻ると、シアは目を回す栗毛の少女の方を見ながら複雑な表情をしていた。


「どうしたの? この子は案外丈夫だから心配しなくても……」

「い、いえ、なんでもないですわ……。話を戻しますけど、その『絶対に告白できる』魔道具をわたくしに———」

「ふはははははっ‼ その話、待ってもらおうか‼」


やたら偉そうな笑い声と共に、勢い良く教室の扉が開かれる。


「誰ですの⁉」

「俺様を知らんのか?」


やたら不遜に胸を張るその立ち姿は、サチカより少し高いくらいの低めの身長と対照的に立派な腹の出っ張り。背後に執事らしき男を従えて、腹を上下に揺らしながらサチカ達に歩み寄る。


「ロア・ギュスターヴ様だ。覚えておけ」

「あぁ、商家の一人息子……」

「そっちの平民は知っていたようだな。身なりがいい女は浅慮とはいったものだ」

「なんですのこの失礼な男は⁉」


 魔道具科に商人の家に生まれながら学院に通う生徒がいるとサチカは聞いたことがあった。魔術師の素質があったため学院に入ったが、才はなく成績は散々。対して、父から任されたいくつかの事業では大きな成果を上げているため、卒業後はそちらに専念することになっているとか。


「で、何の用なの?」

「なかなか面白い商いをやっているそうではないか」


 その物言いに、サチカは露骨に嫌そうな顔をした。


「……一枚噛ませろとか?」

「それも魅力的だが、今回はただの客だ。学院が休みとなる明日から2日間、その魔道具は俺様が借り受けよう‼」

「あら、仰々しい登場したと思えば、普通のお客さん? 残念ながら先約が———」

「100倍だ」

「は?」

「通常の100倍だそう‼」

「貸します」

「ちょっとサチカさん⁉ 先程と言ってることが違いましてよ⁉」


 焦った様子のシアの肩に手を置いて、目が座ったサチカは深く頷いた。


「ねぇシア、少し聞いて欲しいの」

「な、なんですの改まって……」

「私と貴方の仲じゃない!!」

「ぶちのめしますわよ?」

「……で、だ。100倍の料金を支払うからには、別途やってもらいたいことがある。なに、大したことじゃない。まず———」


 取っ組み合いの末に旧友を黙らせたサチカは、肩で息をしながら、ロアが告げた追加の依頼を快諾したのだった。

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