第一章 富む者は魔を擁せず ~ノーマネーノーライフ~(1)
知識欲旺盛な魔術師たちが一心不乱に書物を読み漁る姿は死体に群がる屍人(グール)みたいだと揶揄されることがあるが、そんな魔術師たちにとってここは楽園のようなものなのかもしれない。
初等部から高等部まで、魔術師および魔術関係の職を志す数万人の生徒を抱える学院の広大な図書空間。図書館、ではなく図書空間である。
外観は通常の構造物だが、その中身は幾重にも重なった大規模な空間魔術によって理論上無限に膨張し続ける―――ひとまず難しいことはさておいて。
とにかくここは学院の蔵書全てを詰め込むために、本棚本棚本棚本棚の繰り返し。それだけではどこにいるのかわからなくなるので、一応魔導書が並べられた本棚には分類と番号が振られている。
魔導書を閲覧するための長机はもちろんどこを使おうと自由だが、既に使われていなければこの番号を頼りに毎回同じ場所を使い続ける生徒も多かった。広すぎるが故に適当なところを使うとふとした時に軽い迷子状態に陥るのと、広すぎるが故に混雑とは無縁なのがその理由だろう。
古代魔術科三年のサチカと学友たちもその例に漏れず、『古代魔術487』と『古代魔術488』の間にある長机を馴染みの場所としていた。
古代魔術科は高等部の学科の一つで、現代魔術が普及した今ではほとんど使われることのない、魔術師たちの祖が生み出した古い魔術群を専攻とする。
「最近じゃあ、”魔力”っていって一緒くたになってるけど、厳密にいえば私達の身体には魔力は宿ってないの。あるのは、魔力の素になるものだけ。魔力はそれ自体が力を持っていてそこにあるだけで何かしらの影響を及ぼすから———」
サチカも学院の中では最高学年なので、後輩に請われればこうして熱心に指導することもあった。
メガネを押し上げて”魔力”に関する講義を続けるその背丈は、聞いている後輩の胸のあたりまでしかない。なので自然とサチカが見上げることになるわけだが、これについてサチカは、生徒側が教卓と黒板を見下ろす教室で教鞭を取っているようなものだとして自分を納得させていた。
「———というわけ。わかった?」
「はい。ありがとうございました、サチカ先輩。すいません、課題でお忙しいところに……」
「いいのよ、どうせ長丁場になりそうだから。いい気分転換になったわ」
「お礼といってはなんですけど、お疲れの頭に糖分はいかがですか?」
「そうね……まぁ、くれるっていうならもらおうかしら」
返事を聞いて、後輩は嬉しそうにべっこう色をした飴の封を切る。
図書空間は飲食禁止だが、この程度なら見逃してもらえるだろう。
サチカは差し出された飴を受け取ろうとして、
「これ、私好きなんですよねー。はい、あーん」
「………」
一瞬迷ったが、後輩の顔に悪意を感じなかったのでそのまま口に入れた。
「んむんむ……というか、貴方(あなた)。現代魔術の子でしょう? 私じゃなくて、同じ科の先輩に聞いた方が良かったんじゃないの。たまたま私がわかるところだから良かったけれど」
「それはあの……先輩って入学式の時に科の代表として壇上に立たれてましたよね……?」
「そうね。そんなこともさせられたわね」
「その時のサチカ先輩がすっっっっごく!! 可愛かったのでッ!!」
言葉と共に撫でられる頭。
「是非お話してみたくてッ!!」
「そ、そう……」
鼻息の荒い後輩に若干引き気味のサチカだったが、こういった愛玩動物扱いはサチカが中等部の頃からよくあることだった。
昔は一々舐めんじゃねーと猛獣さながら怒りを示していたサチカだったが、今となっては為すがまま。甘さの中に少しある苦みが味わい深いなあなんて舌で飴を転がしながら、自分は大人になったと悟りを感じていた。実際は反応することにさえ疲れただけだったが。
後輩を見送って、サチカは魔導書が積み上がった長机の自分の席へ戻る。
「サチカさんってなんだか……丸くなったよね」
「何いってるのよ。私達はもう最高学年なのよ? ヒース、貴方の方こそ少しは頼りがいを出したらどうなの」
気弱そうに笑う線の細い青年を、サチカはジト目で見やる。
「さっすが姉御。現代魔術のことまで守備範囲とはね」
「といっても、基礎中の基礎だもの。貴方たちでもきっと分かったわ。……というか無意味に胸筋ピクピクさせるのやめなさいよウィルッ!! ひたすらに気持ち悪いから!!」
「悪いな、姉御。俺の胸筋ピクピクは息をするみたいなもんでよ」
長机にだらしなく足を乗せて魔導書に目を落としているのは、トサカの様に髪を逆立てて、やたら胸元の開いた服を着た大男。そのドギツイ風貌も、元々変わり者の多い魔術師の中ではそれほど目立つものではない。学院でも初等部から中等部には制服があるが高等部にはなく、どんな姿で講義を受けるかは各々に委ねられている。
とはいえ、わざとらしく見せつけられた逞しい大胸筋が跳ねる様子はなかなかに気色が悪かった。
「昨日だってすれ違った初等部の子泣かしてたじゃない!」
「でも俺のこのぶ厚い胸板で抱きしめたら泣き止んでたぜ?」
「気絶しただけでしょ!! 迫りくる筋肉の恐怖に!!」
「そっかぁ……? というか、姉御。俺のことばっかりいうけど人のこといえんのかよ。普段から学院支給の魔装具なんてダサいぜ? いつも魔術のことしか考えてねぇヒースでさえ、ちっとはマシな格好してる」
サチカが身にまとっているのは明らかに大きさの合っていないぶかぶかのローブに、童話に出てくるような魔女を思わせるトンガリ帽子。
魔装具と呼ばれる魔術を行使する際に補助的役割を持つ装いで、学院の生徒たちは実技の試験を受ける時などに着用する。
申請すれば学院から支給される他、自ら用意しても良いとされているため、当然ほとんどの生徒は様々な型の中から自分好みのモノを選んで使用する。
ところが、サチカ達古代魔術科においては事情が少し異なっていた。
現代魔術向けに作られた魔装具は、古代魔術に用いてもその効果を発揮しないのだ。
現代魔術が広く普及した一方で、今や過去のモノとなった古代魔術。
わざわざ古代魔術のためだけに魔装具を作ろうなんて職人は少なく、そのため値が張る。学生では手が出ないほどに。
そんなわけで一部を除いた古代魔術科の生徒は、安っぽくてダサいと評判の支給された魔装具を使うことを強いられており、その分それへの憎しみが強いというかコンプレックスみたいなものがある。
そういう意味では、その上で普段からもっさいローブを着て過ごしてるサチカの方が、全体的にギラついたウィルよりも異質だった。
「う、うっさいわね。いい感じによれよれでラクなのよこれ」
「僕は服なんて着れればなんでもいいと思うけどなぁ……。前にサチカさんと同じように魔装具で過ごしてたらミーシャにすごい怒られたから、もうやらないけど」
「ははっ、超こえーもんなおめぇの妹」
サチカが魔装具を好んで着ている一番の理由は体のラインが出にくいからというものだったが、自尊心の人一倍強いサチカが口に出すはずもなかった。
「でもぉ、わたしはセンパイに似合ってると思いますよ~。センパイってやっぱり魔術使ってる時が一番カッコイイですからぁ。ずっ~とこの格好ならぁ、ずっ~とカッコイイってことじゃないですかぁ」
「確かに魔術ぶっ放してる姐御がイカしてるってのは同意だけどよ……」
「だね」
「なら問題ないでしょ。気を抜いてるんじゃなくて、私は常に勝負服ってことよ。はい、この話はおしま———ん?」
「セ~ンパイッ♡」
瞬間、座っていた椅子ごと抱き締められて、サチカは勢いのまま背もたれに頭をぶつけた。
「イッタイわね!! なっ、貴方!? 工房に籠りきりだって話じゃ……」
「はぁ~い、愛しのミトラですよぉ~。さっき出てきたばっかりなんです。お風呂に入る時間も惜しんで駆けつけました!!」
「惜しむんじゃないわよきったないわね!? こら、くっつくな!!」
「い~や~で~す~。はぁー久方ぶりのセンパイのオミグシ‼」
嫌がるサチカの髪に顔をうずめるのは、黒ずんだ作業服に身を包んだ栗毛の少女だった。
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