ー拾参ー

「神様は本当にいるんだね」


 キヨさんは息を吐くように、ごくごく自然な様子でそんな言葉を吐き出しながら「よっこらしょ」と声を出して階段の端に腰を下ろした。


「占いで調べるなんて、当たるも八卦、当たらぬも八卦と思ってはいたけれど、こんなに的確な答えをもらえるとは思ってなかったわ」

「じゃあ……?」


 それってやっぱり、キヨさんは左右が言っていたように、はなから万年筆のありかを知って……?

 そんな言葉が口をついて出そうになったが、その言葉が僕の口から解き放たれる前に、キヨさんはゆっくりと一度だけ首を縦に振った。


「もちろん知ってたわ。息子の万年筆がどこにあるのかはね」

「それならなんで、依頼なんて出したんです?」


 疑問はそこだ。僕はキヨさんの隣に腰を下ろし、続きの回答を待った。

 目の前に広がる田んぼを見つめながら、キヨさんは物思いにでも耽るような目をして、静かに言葉を紡いだ。


「神様なんて本当はいないんじゃないか……なんて思ってね」


 ぽつり、と静かに僕の頬を何かが駆け落ちていく。さっきまで晴れていたはずが、僕らの頭上には灰色の分厚い雲が覆っていた。視界に入る田んぼの向こう側ではまだ青い空が見えているのに。

 僕は後ろポケットに入れていたばーちゃんから借りた折り畳み傘を取り出し、そっとキヨさんの頭上にかかるようにかけた。

 キヨさんはありがとうと言いたげに僕に微笑みかけながら、再び口を開いた。


「おじいさんが亡くなって、息子までいなくなってね。あの家は私一人には大きすぎるのよ」


 パラパラパラ……一定のリズムで僕の傘を叩く。雨は縦にたなびくように僕の視界を埋め尽くしていく。


「何度かこの神社にも足を運んで、息子の健康祈願してたのに、神様は息子を連れてってしもうた。おじいさんはとっくに亡くなってしまったけれど、子供に先立たれることほど辛いことはないよ」

「だから、依頼をして試したんですね?」


 ——神様が本当にいるのかどうかを。キヨさんは神様を試したんだ。


「ははっ、そうそう。毎年この神社で引くおみくじはよく当たるって息子が言ってたんだよ。私はあんまりそういうの気にしないからあれだけど、やっぱり本当なんだね」


 ああ、なんだ。そういうことなのか。

 僕の中で色々と物事が繋がっていく。さっきまでは点と点だったものが、繋がって、線になる。

 僕の中で覚えている記憶や、僕自身でも気づかないうちに疑問に思っていたことが、線になって、胃の中にすっと落ちて行った。それはまるでこの雨のように。

 雨はただの水の粒。それなのに落ちる速度に僕に目が追いつかないから、落ちているその様子はこうして線に見える。僕の疑問もこうして胃の中に落ちているのだろう。


「いいんだと思います。神様なんて存在はいると思えばいるし、いないと思えばいない。そんなものですよ」


 無理に信じる必要もないし、逆に否定する必要もない。雨がそこにあるのが真実なように、見て触れて感じれていると思う時にだけ、それを信じればいい。

 だから信じたくなくなったなら、それは信じなくてもいいじゃないか。

 だってこの世は、理不尽なことだらけなのだから。信じる者だけが救われる世界なんかじゃないって、僕たちはとっくに気がついている。

 それでも神様を信じたければ信じればいい。だけど、信じて裏切られることだってある。それがこの世というものなのだと僕は27年生きて来て、そう思うんだ。僕よりももっと長い時間を生きて来たキヨさんは、もっとたくさんそんな経験をして、感じて来ているはずだ。


「僕は見えるものしか信じられません。だから天国や地獄なんてものがあるのかどうかも僕には判断できないです。死んだ時に僕は初めて知ることになると思います。そんな世界があるのかどうか。そして、神様というのが存在するのかどうかも」


 あの日、左右は僕に言った。


『キヨの依頼を運んでくれて、ありがとうな』


 憎まれ口ばかりを言う左右が、僕にお礼を言ったのだ。それは左右がすでにこのことを知っていたからなのだと思えば、つじつまが合う。

 キヨさんは僕に依頼の手紙を託した。その理由は腰の曲がったキヨさんにとってこの急斜面の階段がキツイからではなく、もしかしたら神社に顔を出したくなかっただけなのかもしれない。

 神様がいるとされるこの場所に。神様を信じられなくなったキヨさんは、もう足を踏み入れたくないと思っていたからなのかもしれない。


「お兄さんの名前、そういえば聞きそびれていたね」

「あっ、そうでした。僕は佐藤雅人と言います」


 また僕は目上の人に挨拶を怠ってしまっていた。田舎での休暇により僕は社会人としての常識をすっかり忘れてしまっているのかもしれない。

 まだ僕の休暇は始まったばかりだと言うのに、これでは社会復帰が難しくなるぞ! と自分を律する。そんな僕に向かってキヨさんは朗らかな笑みでこう言った。


「佐藤さん。ありがとうね」

「いえ、僕はなにも。手紙のことだって僕はただ神社に顔を出すついでだったのですから」

「それでもよ。ありがとうね」


 ……なんだろう。キヨさんが笑ってくれているその様子に、僕はなんだか胸が踊るような、満足したような、なんとも言えない嬉しい気持ちになった。

 人にお礼を言われて喜んでいるんじゃない。お礼を言われるようなことをしたって思って、勝手に満足しているわけでもない。

 ただ、僕は……僕は多分、ご年配の方に悲しい顔をして欲しくないだけなのかもしれない。

 自分が歩む道を行く人だから。自分の未来の姿を勝手に重ねているのかもしれない。たくさんのことを経験して来た人達が、心も体も衰えている時に、悲しみと言う攻撃にも似た衝撃を受けて欲しくないと思う。

 だって僕なら耐えかねない。

 彼女と別れただけで僕は虚無感に襲われた。悲しみに明け暮れた。だけど、キヨさんはもっと悲しい出来事をもっと親しい人達で経験したのだ。これ以上傷を受けて欲しくないと思うのは、人としての道理だ。

 うちのばーちゃんと同じような歳だから余計に、ばーちゃんとも重ねて見てしまって、余計に同調してしまっているのかもしれない。

 全ては憶測だが、全ては全く外れているとも思えない。


「僕、普段は東京に住んでいるんです」

「あら、そうだったの。そう言えばここで会った時も、この村の住民じゃないようなことを言っていたね。みんな若い人は外に出て行ってしまうわよね」


 キヨさんはどこか寂しそうにそう言った。キヨさんの息子さんも東京に行ってしまったっきり、長いこと帰ってこなかったのだ。それを思い出しているのかもしれない。


「今は長期休暇をもらって祖母のいるこの田舎へと来たんです。家はキヨさんの家とは反対側になるのですが、今度うちへ遊びに来ませんか? 一緒にご飯を食べましょう」

「あら、そうなの? でもいいのかしら?」

「お構いなく。ぜひ来てください。祖母も喜びます」

「そう、じゃあ今度行ってしまおうかしらね」

「ぜひ」


 祖母とキヨさんは歳が近いが、祖母とウマが合うかどうかが心配だ。キヨさんはお上品な家柄な気がするし、祖母はあんな感じの農家の嫁だ。

 だけどまぁ、合う合わないは本人達に決めてもらおう。僕が決めることではないし。


「雨、上がったわね」

「あっ、本当だ」


 さっきまで上空を覆っていたあの厚い雲は、いつの間にやら西の空へと消えていた。僕は雨の雫がキヨさんにかからないようにそっと傘を閉じた。


「せっかくだから、久しぶりにお参りしに行こうかしらね。佐藤さんもご一緒にどうかしら?」

「いいですね。ご一緒いたしましょう」


 キヨさんは手すりを使いながら一歩一歩階段を上がり始めた。上りやすいようにと思って、僕はキヨさんに渡したかりんとう饅頭を代わりに手に持ち、キヨさんのペースに合わせて、キヨさんと一緒に上り始めた。

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