凛花ちゃんの願い
ー壱ー
◇◇◇
「佐藤さん、おはようございます」
「おはようございます。今日は特段に暑いですね」
神社の階段を上がってくると僕はすでに汗だくだ。みーこさんの父親はいつものように朗らかな様子で「暑いですね」と言っているが、本当に暑いと思っているのだろうか? と疑問を呈したくなるような、いつも通りの涼しそうな表情をしている。
「そう言えば、昨日もキヨさんがここへ顔を出してくれたのですが、最近は佐藤さんのお宅へよく遊びに行かれてるのだとか言っていましたよ」
「ああ、そうなんです。祖母とも歳が近いせいか、話が合うらしくって。祖母も独り身なので友達ができたのなら僕としても嬉しい事です」
ウマが合うかどうか心配だったが、意外と二人は合うらしい。キヨさんをうちに招待した日、二人が楽しそうに食卓を囲んんで会話を楽しんでくれていたのを見て、ホッとした気持ちと、嬉しい気持ちが交錯した。
それからも二人はお互いの家を行き来する仲だ。
キヨさんに関してはこの神社にも顔を出すようになったらしい。神様を信じているかどうかは別だが、キヨさんが一人でいるよりも人とコミュニケーションを取れる場があるのは良いと思う。
「そう言えば今朝、また依頼があったそうですよ」
「えっ? そうなんですか?」
占い調べる。あやかし新聞社の出番ではないか。
いや、実際は新聞社なんて格好の良いものではないのだけれど。
「社務所にみーこがいるので声をかけてあげてください」
僕は早速そうすることにした。みーこさんの父親に軽く会釈をし、社務所へと向かう。松の木の隣に立つ社務所へ。
コンコンコンと三度ノックをしてから「おはようございます」と元気よく声をかけて扉を開ける。すると僕の声に反応したみーこさんが、興奮したように現れた。
「佐藤さん! 依頼が来ました! キヨさん以来の依頼で、あっ……!」
「危ない!」
みーこさんは興奮して廊下と部屋の間にある引き戸のレールで躓き、よろめいた。僕はそんなみーこさんを転ばせるものかと躍起になり、靴のまま玄関口に上がり抱きかかえた。
「す、すみませんでした」
「いえ、お怪我はないですか?」
みーこさんは恥ずかしそうに顔を上げた。麗しい顔がこんなにすぐそばに。はにかんだ笑顔もまた可愛らしい。
みーこさんの髪からシャンプーのいい匂いがする。肌もなんて柔らかいのだろう。申し訳なさそうに立ち上がるみーこさんを補助しながら手を離したが、もう少しこの至福を味わっていたいと思うのは、男の性というものだろうか。
「それは一般的に変態と言うんだ。覚えておくといい、変態野郎」
みーこさんの背後からぬっと現れたのは、悪鬼的存在のねずみ小僧だ。
「誰がねずみ小僧だ。祟るぞ」
ねずみ小僧は僕を睨みつけながら、部屋の中に入っていく。祟るぞとは神使が言う言葉ではないと思いながらも、殴られるよりかはましか、と思い直す。最近の左右は僕に暴言を吐くものの、殴ってくる様子はない。
もしかしたら本当に祟っているのかもしれないが、今のところ祟られている効果を実感していないから、それならこっちの方が断然いい。実際に左右の神通力とやらはチンケなものだ。だからきっと僕を祟っても大した効果は得ないのだろう。
「……お前、本当に祟るからな。怪我に気をつけるんだな」
「左右、佐藤さんになんてこと言うの! あなたあくまで神使でしょ」
みーこさんは今日も麗しく優しい女神な様子で、左右を叱咤してくれた。僕は神使ではないが、紳士だ。紳士らしく子供の言うことなど気にも止めないといった様子で「気にしていませんよ」と爽やかにあしらった。
たとえ心の中では般若のような顔をして怒り狂っていようとも。
「ところで、新しい依頼とはどういうものだったのですか?」
「そうだ! どうぞこちらに来てください」
みーこさんは僕の手を掴んでちゃぶ台のあるあの部屋まで駆けていく。不意打ちに手を握られたりすると、思わず僕の心臓が不躾にも飛び跳ねてしまう。
だけどそんなことはおくびにも出さないように真摯な表情を崩さずに、僕は案内されるがままに部屋に入った。
「今日の依頼は
「凛花ちゃん?」
「はい、村の小学校に通っている女の子です。うちにもよく学校帰りに顔を出してくれたりするんです」
「へぇ」
小学生からの依頼か。ますますあやかし新聞とは学級新聞のように思えてくるな。
「その凛花ちゃんの依頼内容はどう言うものだったんですか?」
僕が本題に入ると、みーこさんはずいっとノートの切れ端であろうメモを僕に向けて差し出した。
おみくじの紐に括り付けていたのであろうそれは、くしゃくしゃにしわがよっている。それを綺麗に伸ばして中身を確認すると——。
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神さまへ
わたしはどうしても次のテストで
100点がとりたいです。
そうじゃないとママが
みーちゃんをかってはいけないって
言うからです。
どうかたすけてください。
芝小学校 一年 はしのりんか より
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子供らしい歪な文字が並んでいる。文字の大きさも大小異なり、何度か書き直したような跡も見受けられる。
「このみーちゃんとは、一体……?」
「私が思うに、たぶん猫のことだ思うんです。先日凛花ちゃんが学校の校門で子猫を見つけたって言っていたので」
「なるほど……」
この場合はどうやって解決するつもりなのだろうか。
前回、キヨさんの願い事に関しては手伝ったが、みーこさんに新聞づくりを手伝ってと言われた件に関してはすでに断っている。だから小学生女子のお願い事は僕にとっては他人事だ。
「佐藤さん、私に力を貸してくださいませんか……?」
みーこさんは僕の手を両手で包み込むように握りしめ、上目遣いでそう言った。
まっ、まずい。みーこさん、そのお願い攻撃は僕には強力すぎる……! ほとばしる僕の血潮が、高まる心音が、僕の判断能力を鈍らせようとしているみたいだ。
「今回の依頼は左右でどうこうできるものでもないと思うんです」
確かに、今回のはひ弱な神通力でどうにかできるようなものではない。できることといえばただのアドバイスくらいではないだろうか。完全におみくじに書かれている学業部分と一致する。
努力すれば実るだろう。とか、険しい道のりだが、叶わないことはない。とか。他人事のようなコメントならば依頼などしなくともおみくじでも引いておけばいいわけで。この子の手紙の内容からはそういったアドバイスが必要というよりも、より実践的なものが欲しくて依頼しているのが感じ取れる。
これは子猫の命運がかかった真剣なお願いだ。
「その、僕にお手伝いできることなのでしょうか? この内容としては……」
「できます! 佐藤さんと私でならきっと!」
強い眼差しで力強く僕の手を握り続けるみーこさん。その麗しさに僕は完全に、ほだされた。
「わかりました。僕にできることであれば最善を尽くしましょう」
「ありがとうございます!」
みーこさんの瞳は一気に輝き、力強く握られていた手が解放されたかと思えば、今度は僕を力一杯抱きしめた。
「鼻の下が伸びてるぞ、変態」
左右の侮蔑的な目など、今はどうでもよかった。僕は未だかつて見たこともない天国というものを見たような気がしていたのだから。
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