ー拾弐ー
「あと、今日は父が留守をしているため私は行けないのですが、こちらのお饅頭をキヨさんに渡してくださいませんか?」
「これは、かりんとう饅頭ですね」
未開封な包み紙。表にかりんとう饅頭と書かれてある。今までかりんとうなんてものはおじいちゃんやおばあちゃんになってから食べるものだと、たかをくくっていた僕の思考を覆す事件を起こした、あの饅頭ではないか。
「はい。先日のは頂き物だったのですが、私もこのお饅頭が大好きなので買ってきていたんです。昨日キヨさんにおせんべいをいただいたので、こちらをお礼としてお裾分けして来てもらってもいいでしょうか?」
な、なんと気の利く女神であろうか。僕は感動して思わず目頭を押さえた。
……い、いやいや、待て待て。そうなると僕は手ぶらじゃないか。むしろ僕の方が大人なのに手ぶらで出向くとはどういう了見か。行く予定ではなかったとはいえ、昨日僕もお菓子をご馳走になったというのに。
これどうにかして僕とみーこさんからという風には出来ないものか……。
「このお饅頭おいくらですか? 僕が支払います。昨日は僕もお菓子をご馳走になっていますので」
ポケットの中から財布を取り出す。僕は長財布が好きではない。いつも二つ折り財布を使用しているが、あまりお金を入れておくと分厚くなりすぎてポケットに入れた時に違和感を感じてしまう。だから今日もあまり手持ちはないのだが、饅頭代を支払うくらいは持っているはずだ。
「いえ、気にしないでください。私がキヨさんにもこのお饅頭食べてもらいたいって思っただけなので」
みーこさんは慌てて両手をブンブンと左右に振っている。気を遣わせてしまったのは間違い無いだろう。分かってはいたが、直接的に言う以外に良い方法が見つからなかったのだ。
「それにキヨさんはうちの神社を昔から利用してくださっている馴染みの参拝客なのです。ですから普段からの馴染みというものもあるので、本当に気にしないで下さい」
そうは言われてもこちらとしても大学生が菓子折を用意しているというのに、大の大人が菓子折一つ用意していないという現実もどうかと思うのだ。それに一度言ってしまったことにより引くにも引けない。
「あっ、私台所でお湯を沸かしていたんでした。火を止めたかどうか不安なのでちょっとここで失礼いたします!」
「あっ、ちょっ……」
「それではまた! もしお時間ありましたら、また帰りに寄って下さい」
みーこさんは僕を振り切るようにして、駆けて行ってしまった。僕の手に一枚の紙切れと、かりんとう饅頭を持たせて。
……大学生の女の子に気を使わせてしまった。僕は大人らしくスマートに事を運ぶ術を覚え直さなければならない。そんな風に心に誓いを立てた瞬間だった。
みーこさんが逃げるようにして社務所の中へと帰ってしまったので、僕は気を取り直し、キヨさんの家へと一人で向かうことにした。手土産と学級新聞のようなあやかし新聞を手に、再び神社の玄関口である鳥居の下をくぐった。
急な斜面の階段を軽やかな足取りで降りて行く。上りは大変だが、下りは軽い。階段の両サイドには手すりが設置されている。それはこの神社の様子から見て少し新しいもののように見えた。
石畳の階段でこの急斜面だ。手すりでも無いと年配の多いこの村ではこの神社に来るのはなかなか難しいのだろう。降りる時も然り、足腰の弱ったご高齢の方や子供達には手すりがなければ危険極まりない。
けれど僕はまだまだ脂が乗る20代。こんなもの手すりがなくともへっちゃらだ。
そんな風に軽々と階段を駆け下りていたその時だった。
「あっ……」
僕は階段下にいる人物が目に止まり、その人物と目が合った。そんな気を許した瞬間、僕は足を滑らせてしまった。
「大丈夫!?」
「……はっ、はい……なんとか……」
手すりに寄りかかるような体制で、僕は階段を転げ落ちるという惨事はなんとか逃れることができたようだ。手すり様様だ。
「びっくりさせないでね。心臓止まるかと思っちゃったじゃない」
そう言いながらホッと胸を撫で下ろしているのは、僕が会いに行こうとしていた人物である、キヨさんだった。
「すみません。僕ちょうど今からキヨさんに会いに行こうと思っていたんです。それなのにキヨさんがここにいたので驚いてしまって、つい……」
「あら、そうだったの? それって、この新聞のことでだったのかしら……?」
キヨさんの節くれた指は掲示板を指差した。昨日の今日で新聞が出来上がってるとも限らないのに、キヨさんはわざわざ確認しに来たのだろうか。しかも昨日みーこさんの言い方だと今日には仕上がってるようには思えないと思うのだが。
だからこそ僕がこうして新聞を届けようと思っていたのに。
「毎日家にいても暇だからね。こうして散歩するようにしてるのよ。そのついでにここまで足を伸ばしてみたのよ」
少し言い訳がましく、キヨさんは笑ってそう言った。その様子から、僕はキヨさんが新聞が出来上がるのを心待ちにしていたのだろうと感じていた。
やはり左右の考えは間違っていたのだろう。キヨさんがこんなに占いの結果を心待ちにしていたということは、本当に万年筆の在りかを知らなかったことになる。
やはりあいつは口が悪く、凶暴な、ただのねずみ小僧だ。
そんな風に思いながら、僕は立ち上がり階段を下りきった。
「もうご存知であれば話が早いですね。キヨさんが一刻も早く結果が知りたかったのではないかと思って、みーこさんから新聞を一部いただいて来たのです」
「あらま、ご丁寧にありがとうね。私の代わりに手紙を括り付けに行ってくれただけじゃなく、こうして結果まで……これも何かの縁だったのかしらね」
そう言いながらキヨさんは神社を仰ぎ見た。斜面の階段を上った先にある朱色の鳥居。その頭がちょこんと僕たちが立つ位置からも見えた。
「あっ」
思わず声を上げてしまった。するとキヨさんが首を傾げて僕の顔を覗き見ている。
「どうかしたの?」
「あっ、いえ……」
僕は鳥居の上に座る人物が目に飛び込んで来て、思わず声を上げてしまった。遠目からでもわかる。あれはねずみ小僧である左右だ。あんな高いところに座れるのは鳥か左右くらいだ。
僕はきちんと立ち直し、階段を下り切った。この階段を下り切ったここなら、僕が何を考えてもきっと左右にはわかるまい。5メートル外だし、神社の敷地の外だ。これで僕のプライバシーは守られる。
「そうだ、キヨさんにこのお饅頭をって、みーこさんから預かったんでした」
滑った時もしっかりと手に握りしめて落とさなかった僕の運動神経を褒めつつ、みーこさんから預かった饅頭を死守できたことに誇りを感じながら、それをキヨさんに渡した。
「昨日のお菓子のお礼に、とのことです」
「あら、そんなのいいのに……」
キヨさんはかりんとう饅頭の箱を受け取り、包み紙を見た瞬間、優しい眉尻はハの字を描いた。
「かりんとう饅頭……懐かしいわね。息子が好きだったお菓子の一つだわ」
「そうだったんですか」
キヨさんはかりんとう饅頭のパッケージを懐かしむように撫でている。そんな様子に僕としてはしまった、という気持ちにさせられた。
僕は結婚もしていなければ子供だってもちろんいない。だから息子に先立たれたキヨさんの気持ちは僕が想像するよりも辛い出来事だったのだろうし、そもそもキヨさんは旦那さんも既に他界している。きっと一人でさみしい思いをしているに違いない。
このかりんとう饅頭はむしろそんなキヨさんの悲しみのスイッチを押してしまったかもしれないのだ。
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