ー捌ー
僕と元彼女は一度は縁が繋がっていた。三年も一緒にいたのだから、間違いなく縁が繋がっていたはずだ。
それなのに僕達は別れてしまった。別れてからは一度もお互いに連絡を取り合っていない。彼女には好きな人がいて、僕は切り捨てられたのだ。僕と繋がっていた縁とやらは、切れてしまったのだろうか……。それとも僕が錯覚していただけで、実は僕達の間には縁など元々なかったのだろうか。
「……あの、せっかくなのでお仏壇に手を合わせてもよろしいでしょうか?」
みーこさんは部屋の中をキョロキョロとした後、キヨさんに向かってそう言葉をかけた。
この部屋には仏壇は見当たらない。けれどキヨさんの旦那さんもお子さんも無くなっているのならば、仏壇はどこかにあるはずだ。……と、みーこさんはそう思ったのだろう。
「とは言っても、本当に散歩がてらに覗きに来ただけなので、何のお供え物も用意していないのですが……」
恥ずかしそうにそう言うみーこさん。けれどとても大学生の子から出てくるような気遣いではないと僕は感心していた。僕の会社の人間にもみーこさんの爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいだ。
「いいのよ、そんなの気にしなくて。手を合わせてくれるのならきっとあの人も喜ぶわねぇ」
よいしょ、と勢いをつけてキヨさんは立ち上がった。
「じゃあせっかくなので挨拶してあげてくれるかしら? あの人はみーこちゃんの事をよく可愛がっていたものね」
ああ、やはり。みーこさんはあの神社で育ったから、お参りに来ていたキヨさんのことも、キヨさんの亡くなった旦那さんとも顔見知りだったのか。
それならみーこさんはキヨさんの息子さんのことも知っているのかもしれない。そんな事を思いながら、僕はキヨさんとみーこさんの後を追って、隣の部屋へと移動した。
ふすまを隔てた先にある畳の間。そこもきっと客間の一つなのだろう。大勢の人が来る時には、このふすまを解放して使用しているのかもしれない。
そんな隣の部屋の隅に置かれている大きな仏壇。その前には白いご飯とフルーツがお供えされている。
キヨさんは仏壇の扉を開けてその前に正座し、仏壇の中に立ててあるロウソクにマッチで火を灯した。
火がついた後、一度手を合わせて拝んでこう言った。
「おじいさん、
キヨさんはそう言って席を開けると、会釈した後にみーこさんはさっきまでキヨさんが座っていた座布団の上に正座をした。
みーこさんは一度、ろうそくの近くに置かれているお鈴を鳴らした。空気の間を縫うように、すうっと透き通った音がこの空間を浄化でもするかのように鳴る。決して主張しすぎず、決して高すぎず、低すぎもせず、チーンと鳴った音に合わせてみーこさんは手をそっと合わせた。
清彦とキヨさんは言っていた。きっとそれがキヨさんの息子さんの名前なのだろう。キヨさんの口ぶりから聞くと、やっぱりみーこさんは息子の清彦さんとも顔を合わせたことがあるのだ。
みーこさんはそっと目を開けて、仏壇の上に飾られた遺影を見上げた後、小さく頭を下げた。
飾られている遺影の中で微笑んでいるのが、きっと清彦さんだろう。写真は実際の年齢時のものかはわからないが、旦那さんはキヨさんと比べると少し若く見え、清彦さんも同じくそう見える。いや、実際の年齢を知らないのだからなんとも言えないが、清彦さんは特にお二人の年齢から逆算しても、若い。晩婚での子供だったなのならまぁ、しっくりくる年齢ではあるのだが。
「依頼内容拝見しました。万年筆を探していらっしゃるんですね?」
ちょうどみーこさんと入れ違いで僕が仏壇の前に座って、手を合わせた時だった。みーこさんは本題に触れた。
「そうなのよ。息子の万年筆を探しているのだけど、全然見つからないの。そしたらちょうど、あのあやかし新聞のことを思い出してね。神様のお力を貸してもらおうかと思って」
その後に「お願い事を人に託すなんて、罰当たりだったかしら?」と言いながら、うふふと笑うキヨさん。その笑みには茶目っ気を感じる。
「いえいえ、うちの神社を登るのは大変ですから。もう少しお金があればエレベーターでもつけたいところなんですけど……」
ご年配の多いこの村で、確かにあの急斜面の階段は大変だとは思う。
「あら、いいのよ。豊臣神社はあのままで。なんでも時代に合わせる必要はないわよ」
僕が手を合わせ終えたタイミングで、キヨさんは再び隣の部屋へと戻ろうと、僕達を促してくれた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
僕はずっと閉ざしていた口を開いた。そろそろお暇しようというタイミングでだ。
キヨさんは暖かい笑みをその顔に携えて、僕を見た。その様子は、僕が投げかけた言葉に対する答えだと思った。
「なぜ息子さんの万年筆を探していらっしゃるのでしょうか?」
万年筆が形見だと手紙には書かれていた。けれど他にも形見になるものはあると思うのだ。なぜ万年筆に思い入れがあり、なぜそれを来月までに見つけなければならないのか。僕にはそこがクリアではなかった。
「息子は、東京で小説を書いていたの」
「そうなんですか、それはすごい!」
小説家とは……だから万年筆なのか。なるほど。
今の時代、パソコンという便利なものがあるというのにペンで書いていたのだろうか。しかも万年筆ときたもんだ。清彦さんはなかなか古風だ。形から入るタイプなのか、あげたのがおじいさんだから、ジェネレーションギャップというやつのせいなのか……。
「いえねぇ、私もあまり詳しくは知らないけれど、有名な小説家ではなかったのよ」
「それでもプロとして書かれていたのでしょう? でしたら十分すごいですよ」
僕がそう率直な気持ちを口にすると、キヨさんはまるで自分が褒められているかのように嬉しそうに笑っている。
「見つかって欲しい万年筆はね、おじいさんが昔息子にあげたプレゼントだったの。小学生の頃だったかしらね、おじいさんが息子の誕生日に買ってあげたものだったのだけれど、息子が高校生の時におじいさんとケンカをして、それを取り上げちゃってね」
「それは、なんでまた……?」
「息子はずっと小説家になりたかったんですよ。大学も行かずに高校を卒業したら小説家になると言ってね、おじいさんは猛反対しちゃって。息子はその後東京の大学を受験したけれど、やる気がないんじゃね、落ちちゃったんですよ。そのまま息子もこの家には帰らずに、東京で一人で住んでいたんです」
キヨさんは仏壇の上に飾られている遺影を見上げて、切なそうに微笑んだ。二人の写真は隣同士で並んで飾られているが、実際はもっともっと距離があったのだろう。物理的な距離と、そして、心の距離と。
「その……息子さんとは連絡を取っていなかったんですか?」
恐る恐るそう聞いたのはみーこさんだ。みーこさんの快活で優しい人柄を示す眉尻と目尻が、悲しそうにうなだれている。
「ええ、私はこっそり電話をかけたり手紙を送ったりしてなんとか連絡を取っていたけれど、おじいさんはダメね。頑固な人だったから」
「そうでしたか……」
「ここに帰って来たのもおじいさんが亡くなった後だったわ。私が連絡したからね。最後のあいさつはおじいさんが亡くなった後になってしまってね。せめて来月、息子の命日にまでにあの万年筆をこの仏壇に供えてあげたいんだけど、どこへ行ったのか……」
キヨさんは首を傾げた後、この場の空気を割るように笑顔で僕たちを隣の部屋へと連れて行ってくれた。
「さぁさぁ、せっかくだからお菓子を食べて行ってちょうだいね」
そんな風に言いながら。
僕たちはその言葉に甘えるように、再び隣の部屋に移動し、少しぬるくなった麦茶を飲みながら、おせんべいをいただいた。
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