ー漆ー
今時の大学生は積極的……というか、簡単にボディタッチをしてきてくれる……。さすがに年の差があると分かっていても、僕の心臓は思わず飛び跳ねてしまうのは男の
そう思っていた矢先、みーこさんは照れたように僕の腕を離した。
「あっ、すみません。つい……」
「いえいえ、気にしないでください」
みーこさんはぺこりと頭を下げて再び左右の隣を歩き出す。そんなみーこさんの隣を歩く左右は、一度だけ僕の方を振り返って、口をパクパクと動かし……。
——ヘ・ン・タ・イ。
僕にだけわかるように、口パクでそう言った。
こいつ……。やっぱりこの小僧だけは……。
そう思うと、こうして再びやってきてしまったことを後悔しそうになるが、それでもやっぱり、僕はあのキヨさんというおばあさんが気になって仕方がなかった。
「佐藤さんが今日も来てくださったのは嬉しいです。お気持ち、変わりましたか?」
今日も絶好調に麗しい笑顔を向けてくださるみーこさん。それだけで僕の心の中のマグマがどんどん鎮火されて行くように思える。
「なんていうかあのキヨさんというおばあさんは、僕の祖母と同じような年代で、僕の祖母も祖父をすでに亡くしているので重なって見えたのです。僕の両親は健在なんですが、やはり一人で暮らしているご年配の方は心配なんですよね」
僕が元彼女と別れた後、心の中がぽっかりと穴が空いたように、どこか虚しい気持ちが押し寄せてきて、一人になるのが怖かった。だからこそこうして田舎に逃げてきたのだけど……。
僕達は一緒に住んでいたわけではないが、元彼女が僕の家に通って、泊まって、一緒に過ごした時間が長い分、一緒にいたあの部屋にいるのが苦痛だった。暖かい記憶、楽しい記憶。ほんの数回だけ、とても小さなケンカだが、僕達は言い合いをしたこともある。でもそれらは全て過去を振り返るといい思い出だと言い切れる。
……家を出ている時はそう思えるのに、ひとたびあの部屋に戻れば、全ての思い出が悲しいものに塗り変わるのだ。
だからこそ僕はここへと逃げて来た。ばーちゃんを心配しつつ、自分を守るために。
「まぁこれも何かの縁ですしね」
僕があははと笑うと、みーこさんはキラキラと水面に光る眩い輝きを背負った笑顔で僕に笑いかけてくれている。
「そうですね。何がともあれ、私は佐藤さんが手伝ってくださるのは大歓迎です」
手放しでそんなに喜んでもらえると、悪い気がしないな。僕はまんざらでもない様子で頭を掻いた。そんな僕をちらりと盗む見している左右に向かって、僕は牽制をかける。
「言っとくがお前のためじゃないからな」
「俺は別に頼んでない」
可愛くないヤツめ。ついてこいって言うようなセリフを吐いていたくせに。
「ついて来いとも言ってない。ついて来たいなら勝手にしろと言ったのだ」
僕の心の声を読んだ左右は、振り返らずにそう言った。
ああ言えばこう言う、ひねくれ者だな。
「ついて来いって言ってるようなものだろう」
「お前がついて来たそうな顔をしていたからそう言ったまでだ」
こんの……。僕が再び言い返そうとしたところ、みーこさんは僕と左右の間に割って入った。
「まぁまぁ、とにかくキヨさんのお宅へ向かいましょう、ね?」
みーこさんの笑顔に誤魔化されるように、僕は笑顔を返した。
◇
「ここがキヨさんのお宅ですね」
みーこさんが元気いっぱいにそう言って、指を指し示した先には大きな大豪邸。立派な門構えに、玄関の軒先には大きな松の木まである。さすがは田舎だ。家がでかい。
だけど僕のばーちゃんちよりも倍はあるだろう、大きさだ。
「おはようございます!」
みーこさんは元気に挨拶しながら、インターホンを押した。しかし、誰も出てくる様子がない。
「あれ、お出かけ中でしょうか」
みーこさんは首を傾げて「んー?」と唸りながら人差し指を顎に当てている。今もそうだが、普段から巫女装束に身を包んでいるからかどこか大人っぽく見えるが、こうやって一つ一つの仕草を見ると、とても愛らしく年相応に見える。
「こっちにいるぞ」
そんな声が聞こえたかと思えば、左右はすでに松の木の上に座って家の中を覗いている。
「あっ、こら、不法侵入だぞ」
思わずそんな言葉をかけたが、神使にとっても不法侵入という法律が適用されるものなのだろうか、と疑問に思う。
けれどこれはモラルの問題だ。マナー違反だ。そう思って再び左右に声をかけようとしたら、インターホンから声が戻って来た。
「おはようございます。あら、昨日のお兄さん。それにみーこちゃんも」
インターホンにはカメラが付いているらしい。そこから見えた姿に、キヨさんの声は少し弾んでいた。
「ちょっと待っててね」
そう言った後、ブツリと声が切れた。するとしばらくして玄関の鍵を開ける音が聞こえたと同時に、キヨさんは顔を出した。
「二人でどうしたの?」
「あっ、いえ、昨日は依頼の手紙ありがとうございました。きちんと受け取ったご連絡です」
「あらあら、わざわざご丁寧に。せっかくだから上がってお菓子でもどうかしら?」
「えっ、でも……よろしいのですか?」
「もちろんよ」
さすがは神社の巫女さん。みーこさんとキヨさんは顔見知りの様子だ。キヨさんは昔から、あの豊臣神社へとお参りに来ていたのかもしれない。
「さぁ、佐藤さん行きますよ」
「あっ、はい」
キヨさんはとっくに玄関を立ち去っていた。僕はみーこさんの後を追って、キヨさんの家の中へとお邪魔する。玄関の庭でふと松の木を見上げたけど、左右はすでにそこにはいなかった。
「左右ならきっと、すでに中ですよ」
みーこさんは僕の行動から察して、小声でそんなことを言った。
すでに中って、本当に不法侵入じゃないか。と言うか、不躾な奴だなぁ。
なんて思いながら玄関の扉をくぐり抜けると、大きな玄関口で僕は靴を脱いだ。その先には長い廊下が続いていて、先に歩いているみーこさんの後を慌てて追う。
家の中はとても清々しく綺麗に整頓されている。これだけ広いのに埃も落ちていなさそうだ。すっきりとした廊下の壁にはビーズを縫い付けられた絵。それは花瓶に入った花の絵で、きちんと額縁の中に入っている。それを横目に歩いて行くと、僕達は畳の客間に案内されていた。
「ジュースも何もないんだけど、麦茶でいいかしらね?」
「あっ、ありがとうございます。ですが、お構いなく! 私達は本当に、散歩のついででお手紙いただいたご連絡に伺っただけですので」
僕はみーこさんにならって、隣の席に正座した。キヨさんが部屋を後にした後、裏庭へと通じる大きな窓の外をぼんやり見ながらみーこさんはこう言った。
「時々依頼くださった方のところへこうやって出向くようにしているんです」
「それはまた、なぜでしょうか?」
「佐藤さんもご存知のように、この村は小さくて、過疎が進んでいます。年配の方の一人暮らしも多くて、何かと心配なんですよね」
……なんと、なんと心優しい人なのか。みーこさんは巫女ではなく、神。いいや神ではなく女神様だ。
ちょうど僕に後頭部を見せるような形で、みーこさんは隣にある窓を静かに見つめたまま。それをいいことに、僕はみーこさんに向かって思わず両手を合わせた。と、その時だった。
「最近お菓子を買ったりしなくなったから、こんなおせんべいしかないんだけど……若い方が食べるようなお菓子を最近は用意してなくて、ごめんなさいね」
そう言いながらキヨさんは両手でお盆を持ち、その上に冷蔵庫から持って来たのであろうプラスチックのボトルに入った麦茶と、透明なガラスのコップを三つ、そして赤い大きなお椀のようなボウルに様々な種類のおせんべいを詰めて持って来てくれた。
「お構いなくと言っておきながらなんですが、私はおせんべい大好きなのでとても嬉しいです」
「そうなの? なら良かったわ」
キヨさんはみーこさんの反応を見て、嬉しそうに僕とみーこさんに麦茶を注ぎ、お菓子を差し出した。さすがは麗しの女神。キヨさんの心のケアをすでに始めているのかと思うような返答の数々。感服だ。
「ところで、そちらのお兄さんも昨日は急に無理言って悪かったわね。ちゃんと届けてくれてありがとう」
キヨさんは僕に向かって小さく頭を下げた。
「あっ、いえ、僕も神社を覗いてみようと思っていたので、ついででしたから」
「ところで今日はなんでみーこちゃんと一緒に?」
「ああ僕は……」
なんて説明しようかと考えていたわずかな時間の合間に、みーこさんはすかさず会話に割って入った。
「一時的にあやかし新聞作りのお手伝いをお願いしたんです。キヨさんが佐藤さんに手紙をうちの神社にお願いしたのも、そして佐藤さんが代わりにきちんと届けてくださったのも、きっと何かの縁だと感じたので」
「そうだったのね。豊臣神社は人助けのねずみ様が神使だから、きっとみーこちゃんがそう感じたのならばご縁だったのでしょうね」
そう、なのだろうか……。キヨさんの言葉にみーこさんは再び瞳をキラキラとさせながら大きく首を振っている。
「そうなんです。ご縁というものは目に見えないけれど、時々こうして強く感じるものなんですよね」
「そうね。今回のも神様が繋いでくださっているのかもしれないわね」
二人はほのぼのと意気投合しながら、そんな会話を繰り広げている中、僕は一体縁とはなんなのだろうと考えていた。
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