ー陸ー
「それでばーちゃんは結婚を承諾したんだ?」
「そんな事くらいで簡単に承諾なんてするかいなぁ」
そう言いながら、ばーちゃんは再びかっかっかと笑って僕の秋刀魚にコメの水玉模様を描いた。
「百回なんかで足りんから、千回して来たら考えてあげるって言ったんよ」
……お、鬼だな。なんて孫の僕は思った。しかも千回したところで結婚できるわけでもなく、考えるだけというところが鬼だ。
「結局じーちゃんは千回お参り行ったの?」
ばーちゃんが結婚を承諾したのだから、きっとそういう事だろう。千回もお参りした根性を認めたとか。そう思っていたが、どうやら僕の考えは甘かったようだ。
「するかいな。けどじーさんはばーちゃんに嘘ついて千回したって言ってたけどなぁ。それが嘘か本当かはばーちゃんには分かるのに」
「なんで分かるの?」
「千回お参りしておいでって行った後、次の日に千回済ませたって言ってたからねぇ。そんな一夜でできるもんかいね」
なるほど。ばーちゃんも無茶だけど、じーちゃんもなかなかだ。
「じゃあなんでばーちゃんはじーちゃんと結婚したの?」
ばーちゃんはお味噌汁を一口すすった後、少し懐かしむような様子で味噌汁に視線を落とした。
「じーさんは長男で下の子達の面倒を見ながら、病気がちなおっかさんの面倒もよく見てたからねぇ。畑仕事もちゃんとして、よく働く人だったんよ。そんなじーさん見てたら、きっとばーちゃんが年取って動けんようになってもじーさんは良くしてくれるかもなぁって思ってなぁ」
ばーちゃんとじーちゃんの馴れ初めを聞くのも初めてだけど、こうしてばーちゃんの考えを聞くのも初めてだった。初めはじーちゃんと結婚を考えてなかったかもしれないけど、僕は孫として二人の様子をみてきた。阿吽の呼吸とでも言うのだろうか。培った年月は二人の歴史そのものなのだと、二人の様子から見て思ったことがある。
なんて言うか、僕もばーちゃんとじーちゃんみたいな夫婦に憧れる。
「けど、じーさんはばーちゃん置いて先にさっさと死んでもーたけどなぁ」
そう言って、ばーちゃんは再びかっかっかと口を開けて笑った。
「……旦那に先立たれるのと、子供に先立たれるのは、どっちの方が辛いんだろう?」
ばーちゃんと会話をしていて、ふとあのキヨさんの手紙のことを思い出した。キヨさんは旦那さんにも子供にも先立たれたと手紙には書いてあった。
長年連れ添った相手、そして死ぬ時まで一緒に連れそうだろうと思って結婚した相手と、腹を痛めて産んだ子供。子供は旦那よりも先に巣立つ。
それは家を出るだとか、人生の伴侶を見つけて、別の人生を歩むだとか言う意味で。一緒にいる時間は旦那よりも短いけれど、濃厚な時間を過ごしたのも間違いないだろう。
だからどちらか優劣をつけるなら、どちらの方が悲しいのだろうか。そんな素朴な疑問だった。
子供は自分の遺伝子を受け継いでいて、旦那はそうじゃない。だからこそ子供の方が大切だと思う人は多いのではないかと思う。
特に女性は子供を産み育てる存在だ。余計にそう思う人が多いのではないかと思うが、自分は男で、子供もいなければ、生涯を共にする伴侶もいない。そう考えると、純粋に女性の意見が聞いてみたくなったのだ。
「そりゃあ、子供じゃろうねぇ」
ばーちゃんはあっさりと子供だと言った。迷いのない回答だった。
「年功序列やね。子供は自分達より長生きするって思ってるだけに、余計辛いわなぁ」
「なるほど……」
僕が考え込んでいる間に、ばーちゃんはすっかりご飯を食べ終えて、「こちそうさんでした」と言って手を合わせている。
僕は宙に浮かせたままだった箸を動かし、残りのご飯を駆け込んだ。
「それで雅人くんが今日神社でお願いされたことってなんじゃったの?」
ばーちゃんは食器を片付けながら僕の話の本題をつついた。僕も手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った後、食器を片す手伝いをしながら、こう答えた。
「人助け、してみようと思って」
ばーちゃんの返事というよりも、僕は頭の中にあるモヤモヤとした感情を消化するかのように、そう言った。
◇◇◇
次の日の朝、僕は散歩に出かけると言いながら、昨日来たあの豊臣神社の階段下で僕はウロウロと右往左往していた。
みーこさんの依頼を断っておいて、今更のこのことやって来てやっぱり手伝いますとは言い難い。その上、そうすると左右の反応も想像しただけでなんていうか、腹が立ってくるし。
だけど、ちょと気になってしまったのだから仕方がない。あのキヨさんというおばあさんの願い事、ちゃんと叶うのだろうか。
いや、左右は曲がりなりにも神使だ。神の使いだ。サイキックパワーだってある。いくらへぼい力だとしてもあるものはある。
「誰がへぼい力だって?」
鋭利なナイフが飛んで来たかと思うほど、殺人的な冷たい声が僕に向かって飛んで来た。それはもちろん左右のものだ。神使なのに殺人的な声ってやばいな、なんて思いながらも僕は声のした階段上へと視線を上げると——。
「あっ、佐藤さん! おはようございます」
僕の癒しの巫女、みーこさんが手を天へと突き上げてブンブンと僕に向けて振ってくれている。そんな無邪気な姿を見ただけで、ここへ来て良かったと思えてならない。
「今日もお参りに来てくださったのですか?」
「あっ、いえ、それが……」
なんて説明しようか。僕は昨日の手紙の内容が気になってやって来たのだが。
「今からキヨの家に行く。ついて来たいなら勝手にしろ」
そう言って、左右は僕の横を横切って行く。言っている会話の内容がよくわからないと言った様子のみーこさんは、僕の顔を何度かチラチラと見つつ、左右の背中へと視線を向けている。
「えっと……あんなこと言ってますけど?」
みーこさんは首を傾げながら左右の背中に向けて指を指した。その様子に僕は頭を掻いて苦笑いをこぼす。
「せっかくなので、行ってもいいですか、ね?」
「はいぜひ!」
みーこさんは瞳をキラキラと輝かせてくれている。その様子だけが僕にとって救いだった。
昨日の今日で意見をコロッと変えるなど、なんて意志薄弱な大人なんだ……なんてみーこさんに思われてはいないだろうか。僕がみーこさんくらいの頃、27歳とはかなり大人だと思っていた。大学生の自分とは違う、アダルトな世界に片足どころか両足をぶっ込んだ大人だと思っていた。そんな大人になった僕はきっと意志薄弱などではなく、スマートで卒なくこなす人間になるのだと思っていたし、そうなると心に決めていた。
きっとみーこさんから見た僕はそういう大人なのだと思う。だからこそそんな大人ではないと思われるのは、葛藤する気持ちがむくむくと……。
「ああ、左右を見失っちゃう。私達も急ぎましょう!」
みーこさんは僕の腕をぐいっと掴み、駆け出した。
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