ー漆ー
僕はさっきから怒りのボルテージが上がりまくっているせいで、冷静な判断が難しくなっていたが、それを差し引いても左右の言動や行動はどう考えても僕の言葉を読んでいるとしか思えないからだ。
僕がうっかり声に出して言っていなければ、の話だが。
だがこれだけ何度も本人の意識もなく独り言を漏らしまくっているとしたら、僕は相当頭がおかしいことになる。それはこの左右の事実を受け入れることよりも、もっと重大で、もっと受け入れ難い事実となる。
「ぷっ」
僕の隙をついて、僕に掴まれていた足をするりと抜け出した左右は、何やらまた、僕の思考を読んだようだ。胸糞悪い笑みを僕に向けている。
「左右、何がおかしいの?」
麗しいみーこさんは小首を傾げながら左右を見ているが、みーこさんの父親はまだ、僕のすぐそばに視線を向けている。すぐそばに向けているものの、僕に向いている視線ではない。
さっきはなんだかんだと言って、みーこさんの父親が左右の姿を認識していると思っていた。その理由が父親の視線だ。明らかに僕が掴んだ左右の足元に目線を送っていたからだ。
けれどそれも見えていたわけではなく、単に屈みながら僕が左右の蹴りを受け止める様子を”左右が見えない”状態でそれを見ていたとしたら、そりゃあ変な動きをしているやつだと思うだろう。
視線も自ずとそこへ向けるに決まっている。そこに何かあるのだと思わせるには、十分な出来事だったのだろうと僕は推測をはじめていた。
「この男、相当頭が硬そうだと思ってな」
「頭が硬い?」
なんてことを麗しの女性に向かっていうのだ。失礼ではないか。僕のイメージをことごとく悪くさせるのは許せない。
何もやましい意味で言っているのではない。麗しのみーこさんは会ったばかりの巫女さんだ。別にイメージが悪かろうがどうでもいいことなのかもしれないが、やはり好印象を抱いてもらいたいと思うのが、男の性というものではないだろうか。
「こいつどうやらみーこによく思われた……」
「だー!」
黙れ小僧! この
僕は慌てて左右の口を塞ぎにかかった。けれど左右は鳥の羽のようにふわりと僕の腕からすり抜けて、再び僕の泣き所であるスネを蹴り上げた。
「……っ!!」
声にもならないほど痛い。同じところを三度も蹴られれば、さすがに被害は甚大だ。
瞼をぎゅっと閉じたその裏側に、僕は広大な宇宙を見た気がした。それくらい意識が飛びそうに痛い。
「こら、左右!」
怒りに満ちた麗しい声が、僕の荒れ狂っている心を癒してくれる。
いや、正直それでも、僕のいつもの穏やかな心は戻ってこないのだが。
普段は温厚だと定評があるこの僕でも、気持ちのコントロールが難しい。それほどこの左右という少年は悪魔的だ。これでこの神社の神使だというのだから世も末だろう。
「お前、もう一度蹴られたいのか?」
そんな言葉に、僕はとっさに足をかばった。けれどみーこさんが左右を捕まえてくれていたおかげで、ことなきを得ていた。
だが、左右の背中から抱きつくように抱えているその様子に、僕は別の怒りを覚えそうになった。
お前、みーこさんに抱きつかれてなんて役得な……!
「突然煩悩丸出しだな、お前」
「何の話?」
麗しのみーこさんはつるつるとした若々しい肌の上に、眉と眉の間にしわを寄せながら左右の顔を覗き込んでいる。
「何でもないです! とにかくその小僧……じゃない左右の言葉に耳を傾けないでください。どうやら彼は僕のことを嫌っているらしいので」
これ以上僕の心証を悪くさせるのは許さないからな!
「事実だろ」
「事実だろうが何だろうが、僕の心の声を読むのはプライバシーを大きく侵害しているぞこのやろう!」
思わず叫んでしまった後、左右は相変わらず目を細めて冷たい視線を送りつけ、麗しいみーこさんとその父親は驚いた顔を僕に向けている。
そこで初めて気がついたが、今度こそ僕は、間違いなく、言葉を声に出して言ってしまった。
おっとしまった、そう思った時にはもう遅い。僕は口を押さえたものの、そこから飛び出してしまった言葉を戻すことなどできはしない。
「コホン、それでは僕はそろそろこの辺で……ちょうど祖母に頼まれて買い物の途中だったものですから」
帰れ帰れとでも言いたげに、左右の足は地面を蹴り、砂を僕に向けて巻き上げている。
どこまでも躾のなっていないクソガキだ。だけどまぁいい。僕はもうここには用がない。本殿にも手を合わせたし、見知らぬおばあさんに頼まれた願い事の紙も渡したのだ。
「あっ、そうだった。これも……」
僕はズボンの後ろポケットから50円玉を取り出し、みーこさんの父親に渡した。
「その願い事を僕に託したおばあさんからのお賽銭です」
「ああ、そうでしたか。ありがとうございます」
優しそうに微笑むその姿は、やはり麗しいみーこさんのお父上と言ったところだろうか。
その顔に刻まれたしわの様子が、とても穏やかなものだ。僕の元上司であるストレスにまみれた男どものそれとは、逸脱したものだと僕は感じた。
「せっかくですから、社務所でお茶でも召し上がって行かれませんか? この間いただいたばかりの茶菓子もあるんで、よろしければどうでしょう?」
「ですが〜……」
僕は再び左右に目を向けると、クソガキはみーこさんの腕にぶら下がるような形で、今度は両足をバタつかせて砂を巻き上げている。
嫌がらせに残ってやろうかという気持ちが湧いてこなくもないが、こんな奇妙なやつに関わっていても、ろくなことにはならないだろう。
というかならなかった。だから僕はきっぱりと断ろうと再び口を開いた、ちょうどその時だった。
「私もこれから少し休憩にしようと思っていたところなんです。ですから一緒にお茶をしませんか? 美味しいお茶を入れますから!」
みーこさんの麗しい言葉を聞いて即刻、僕は自分の意見を180度変えた。
「わかりました。そこまで皆さんがおっしゃってくださるのであれば、少しお邪魔致します」
キラキラと弾けんばかりの笑顔。お天道様よりも煌めいたその暖かな笑顔でそんなことを言われてしまっては、引き下がるわけにはいくまいて。
「いや帰れよ」
そんな雑音が聞こえたけれど、僕にはそんな騒音は届かない。
「ええ、是非! 私以外に左右のことが見える人に会うのは初めてなので、とても嬉しいんです。是非色々お話ししましょう」
僕はこの笑顔を見るためにここに留まったのだと確信を得た。左右が神使だというのであれば、彼女は神様なのではないのだろうか。
そんな風に思いながら、左右のことは無視して、みーこさんの父親に案内されるがままに社務所の中へと入って言った。
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