ー陸ー

「ですが、左右が人ではないということにすぐに気づきました」

「それはどうやって?」

「私以外の家族には左右は見えていなかったからです」


 すっと立ちあがり、みーこさんは左右を探す。けれど彼はいつの間にか、今度は鳥居の上に座っている。

 どうやってそんなところに? そしていつの間に?

 僕の全ての疑問に対する回答を僕の脳が勝手にはじき出した。


 ”それは彼が神使だから。”


 いやいや、バカバカしい意見だ。そう思う一方で、この今の状況を説明できる他の言葉は見つからない。


「満己、こんなところにいたのか。って、あれ……?」


 社務所の扉が開き、その中から出てきたのは、同じく袴姿の男性だ。その姿からこの人もみーこさんと同じく神職者なのは明らかだ。

 背は僕よりも高く、歳も上だろうことは、その顔に刻まれたシワが物語っている。


「ああ、参拝者の方がいらしていたのか」


 男性は頭を下げて、朗らかな笑みを僕に向けている。そんな彼に向かって僕も頭を下げた。


「こちらがこの神社の宮司で、私の父です。お父さん、この方は依頼の手紙を持ってきて下さったの」

「依頼ですか。それはそれは」


 みーこさんは宮司の父親と僕に向かって手短に紹介してくれた。ただ父親はみーこさんの反応に比べるとやや淡白なように見える。そんなみーこさんの父親に対し、僕はなんとなく「はぁ」などと曖昧な相槌を打ってしまった。


「あまりお見かけしない顔のようですが、この街の方ではないのでしょうか?」

「よく分かりましたね。実は休暇中に年老いた祖母の家に遊びに来ているのです。祖母も一人で住んでいるもので、少し心配でして」

「そうでしたか」


 「それはそれは」と言いながら、朗らかな笑みを浮かべなて、首を何度か縦に振っている。どこかこの宮司はみーこさんよりもゆっくりとした人だな、なんて思いながら、彼が話し始めた言葉に耳を傾けた。


「街もこの神社も小さいので、ある程度の人の顔は覚えているものなのですよ」

「そういうものなんですか」


 確かに田舎住まいだとそなるのかもしれないな。

 少し遠出するにも車移動で、歩いてくる人など顔見知りであって当たり前だろう。

 それに神社は七五三や正月などのイベントごとに人が集まる。このサイズの規模であれば来る人も知れているだ——そこまで思った時だった。


「……っ!」


 再びあの小憎たらしい左右とか言う子供が、僕の脛を蹴り上げた。さっき痛めた方とは別の足だ。僕は再び地面に蹲ることになったのは言うまでもない。


「たかが知れていて悪かったな」

「こっのっ!」


 さっきから甘い顔をしていればいつまでも……! もう頭に来た! 許さん!

 そう思い、涙を必死になって堪えながら、この子憎たらしい少年を睨みつけようと顔を上げた、その時だった。


「お父さん、この方も左右が見えるの!」


 嬉しそうに弾んだ声が、僕の耳に淀みなく届いた。と同時に、麗しいみーこさんの顔が、弾けんばかりに華やいで父親の服の袖を掴んでいる。


「なんと、それは本当ですか!?」


 どこかぼんやりとしていそうなみーこさんの父親の表情が、まるで今目を覚ましたかのようにツヤを出し、輝き始めた。


「え、ええ、まぁ……」


 本当にこの子が見えないのだろうか。こんなにそばにいて、こんなにはっきりとした口調で、声で、話をしていると言うのに。

 足だってちゃんと二本生えているし、体も透けたりなどしていない。至って普通の子供だ。小学生だ。クソ生意気なガキである。


「クソ生意気は余計だ」


 そう言って左右は再び僕の脛めがけて足を蹴り上げた。

 が、そう何度も蹴られてたまるものか。僕は単細胞ではない。ちゃんと復習ができ、危険を予知することもできる、危機管理能力に長けた大人だ。

 だから僕は左右が僕の脛を蹴る前に、脛を腕でガードした。しゃがみ込んだままだったのが功を奏した。

 その上、僕の腕に当たった左右の足を、今度はしっかり捕まえてやった。


「そんな何度も蹴られてたまるか!」

「すごい!」


 僕が左右の足を掴んだままでいると、その様子を見ていたみーこさんの父親は瞳を輝かせながら僕を見下ろしていた。


「本当に神使の姿が見えているのですね」


 そんな場違いとも取れる言葉を受けて、僕は思わず眉根を寄せてしまった。

 だって、どう考えてもこの人にも左右の姿が見えていると思ったからだ。今この少年は僕たちの目の前で片足を上げて立っている。片足を上げている理由は僕が掴んでいるからだけど、とにかく僕とみーこさんの父親との間に左右はいる。


「今、この方は左右様の腕か何かを掴んでいるのかい?」


 みーこさんの父親は興奮した様子で、みーこさんに向かって握りこぶしを作った。穏やかな様子だった父親が見せた、子供のような様子に、僕はたじろいだ。


 いや、本当に言ってるのか? あなたもこのガキが見えてるんでしょ? 本当は見えているのでしょう?

 僕がそう言おうとした、その瞬間だった。みーこさんも興奮した様子で、こう答えた。


「ううん、今この方は左右の足を掴んでるの。なぜかは知らないけど、左右がこの方の足を二度も蹴ろうとしてたから」

「おおー! そうだったのかー」


 ……いや、そうだったのかー。という状況ではないと思うんだけど。

 なんて僕は冷静に心の中でそう突っ込んだ。口に出さなかったのは呆気にとられて言葉が出なかったせいだ。


「あの、本当に見えてないんですか?」


 僕は疑惑の念を胸にそう問いただすが、みーこさんの父親は恥ずかしそうに、さらに切なそうな表情で頭を掻いた。


「はい、神社の宮司をしているのになんともお恥ずかしい話ですが……」


 恥ずかしいことなのか? 確かに娘であるみーこさんは見えているのであれば、父親が神や神の使いである神使が見えないのは世間体としてあまりよくないのかも知れないが。

 そもそもそうなると、僕が知らなかっただけで神職者は神が見えて当然なのだろうか……?


「満己の母親は姿は見えなくても声だけは聞こえていたのですが、私は一切何も見えなければ聞こえもしないのです。ですから満己が見えると知った時はそれはそれは驚きました」

「そうなんですか……」


 他に良い返しの言葉を模索してみたが、結局のところ「そうなんですか」としか返しようがない。

 そもそもなぜ僕に神使の姿が見えているのかも謎なのだ。言葉に詰まって当然だ。


「僕はてっきりこの子はこの神社の跡取りか何かだと思っていました。小学生くらいの背格好に、袴を着ているのですから」


 僕は懲りずに食い下がる。リアリストな僕はやはりこの突拍子もない出来事をなかなか受け入れることができないようだ。

 かと言って、左右の言葉やこの麗しいみーこさんの父親の様子を冷静に見ていると、正直このふざけた出来事を受け入れざるおえない気持ちにもなっていた。

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