ー伍ー

「みーこの言う通りだ。俺はこの神社が出来た時からここにいる」

「みーこ?」


 僕が復唱すると、麗しの巫女の可憐な細腕がすっと天に伸びた。


「私です。ひいらぎ満己みこと言います」

「ああ、だからみーこ……」


 なんてあだ名はどうでもいい。巫女の神職に就きながら名前もみこさんとは。

 そんな風に偶然の出来事に思わず唸り声をあげそうになっていたが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。

 今気にするべきなのは、この少年がこの神社の神使だと言う言い分だ。あからさまに小学生な見た目をしているが、それはこの少年が神使だから。

 だから僕よりも年上を気取り、この神社が出来た時からここにいる……などと言う意見が出てくるのだろう。


 けれどそんなものはでっち上げた設定に他ならなければ、なんの捻りもない。何か物や神様を擬人化したこの感じは、最近のライト文芸にありそうな設定ではないか。


 ただひとつ気になるのは、麗しの巫女であるみーこさんまでもが僕を騙そうとしていると言うことだ。純真無垢そうな彼女が、そんなつまらない嘘をつくのだろうか……?

 嘘とまではいかなくとも、これはきっと、この小生意気な小学生に頼まれでもした”ごっこ遊び”と言うものなのかもしれない。

 もしくはこの神社の名物にでもするつもりで、練った”設定”か。


 どちらにせよ、僕はそんな遊びに乗ってあげるつもりなはないのだ。

 ここで僕が大人の威厳を見せないと、この少年は一生僕のことを見下すだろう。

 もう二度と会わない間柄かもしれないが、それでもこの少年の仕打ちに僕は、怒り心頭を発していた。


「ふん、信じる信じないはお前次第だが、俺はお前に頭を下げるつもりも、へり下るつもりもないぞ」


 そう言って少年は僕の前で腕を組みながら、僕をにらみ倒している。なんとも憎たらしい表情だ。


「人の顔のことを言えた義理か? お前の顔もなかなかだぞ」

「黙って聞いてれば、この……!」


 僕が少年を捕まえようと手を伸ばしたその時だ。僕はその手を空中でピタリと止めた。

 少年まであともう少しという距離で、あと拳二つ分手を伸ばせば届くという距離で、僕はその行動を止めたのだ。


「……って、あれ?」


 僕、黙って聞いていればって言ったよな……?

 これは単に表現として言ったわけではなく、実際僕の口は、真一文字に閉ざしていたはずだ。

 それなのにこの少年はそれを知ってるかのように話していた……?


 また僕は気づかない間に口を開いていたのだろうか? 今日はやけに多い。ここに着いてから何度かそれをしているから、気をつけていたはずなのに?


「当たり前だ。お前の声はダダ漏れているのだ。この俺にはな」


 僕はそんな少年の言葉を無視して、すぐ後ろに立つみーこさんに視線を投げた。みーこさんは首を傾げながら、僕とこの少年とのやり取りを黙って見ていた。その表情から読み解くに、彼女は僕とこの少年が何を言い合っているのかわからないといった様子だ。


 ……いやいや、待て待て。みーこさんはこの少年のごっこ遊びに付き合っているのだ。だから僕が思わず漏れ出た声すらも聞こえないフリをしているのだろう。

 もしくは僕が内情をこの顔に貼り付けていいたのかもしれない。そうだとすればみーこさんは僕の背後にいたのだ。見えるわけがないじゃないか。


「……お前、本当に疑り深いやつだな。そんな奴がよく神社になんて来たもんだ」

「ど、どういう意味だ」

「言葉通りの意味だ。お前ももう気づいてるんだろ。俺がお前の心の声を聞いてるんだってことを」


 ……有り得るのか、そんなこと?


「有り得るだろ。現にこうして会話してるんだから」

「お前本当に……」


 僕は再びみーこさんに顔を向ける。するとみーこさんは困ったように微笑んでこう言った。


「彼は神使ですから」


 この際神使なのは受け入れたとして、神使なら人の心が読めるものなのか……? なんていう、今度は別の疑問が浮上し始める。


「聞こえてもおかしくないだろう。神様に仕えているのだからな」


 いやいや、なんだよその理屈は。僕は全然納得できないぞ。

 だけど、こいつが言ってることも理解できるというか、話の筋が通っている。

 いや、人の心が読めるなど変な話に話の筋が通っているというのも、おかしな話である。

 だけど……。


「お前、本当に……?」


 この少年は本当に僕の言葉を聞き取っている。僕の言葉や声を介さずに。

 それが本当なのだとすれば、なんということなのか。声に出していない言葉を勝手に聞き取られてしまうなんて……神の世ではコンプライアンスはどうなっているんだ。

 僕のプライバシーは? 僕のプライベートなテリトリーとは? 一体全体どうしたら……。


「別に俺、お前の考えていることを全て聞くつもりもないぞ」


 地面に唾でも吐き出しそうな勢いで、僕を睨みつけるような眼差しを向けながら、少年はさらに距離をとった。


「そうなのか……ってか、また読んでるじゃないか!」

「俺だって別にお前の考えていることなんて興味はないし、なんなら知りたくもないけどな」

「ぐぬぬ……それはそれで失礼だな」


 要は言い方の問題だ。こいつはどこまでも失礼な言い方をする小憎たらしい小学生だ。やはり僕より長く生きているこの神社の神使だなんて信じろと言う方が無理な話ではないか。

 再びそんな考えが巡ってきたところで、少年はため息をこぼしながら吐き捨てるようにこう言った。


「お前、相当面倒臭い奴だな」


 そう言うお前は本当に口が悪いな。


 そう言い返そうとしたら、この少年は僕がそれを口に出す前に僕の脛を思いっきり蹴り上げた。

 まるで稲妻が僕に降ってきたのかと思った。それくらい、僕のか弱い向こう脛には、電気が走ったようにビリビリと痛みが駆け巡っている。


「……!」

「大丈夫ですか?!」


 痛みが頂点に達した時、僕は思わずその場に蹲った。蹴られた足を抱えながら。声にならない声を発しながら。早くこの痛みが退いてくれることだけを神様に祈りながら……。

 滑稽な話だ。神様の御膳で、神様に仕えているという神使だと名乗る少年が、僕の足を蹴り上げ、その痛みを緩和してもらうように神様に祈っているのだから。

 今だけはみーこさんの優しい声も、僕にはなんの安らぎも与えてはくれない。


「ふん、バチだな」

「こら、左右さゆう。いい加減にしなさい。この方は依頼の手紙をわざわざここまで運んできてくださったのよ」


 左右と呼ばれたこの少年に向かって、意外にもしっかりとした口調でそう叱りつけている。

 その様子はまるで兄弟だ。やはり僕は二人の”ごっこ遊び”に付き合わされているのだろうか……?


「お前まだ、そんなこと言ってるのか」

「左右!」


 みーこさんは怒りを露わにしながらも、僕の顔を覗き込むように屈んだ。顔が近い。肌艶が綺麗なみーこさんから何やらいい匂いがする。かと言って大人になってオフィスで嗅いでいたような人工的な香りではない。きっとこれは衣類から香る柔軟剤の匂いだろう。

 そんな距離でみーこさんと接している僕は、現金にも左右のことを許してもいいかと思えるほどに、心が邪念に囚われ始めていた。


「単純だな」


 なんて追加の言葉を投げてくる左右だが、そんな小僧はどうだっていい。今だけは無視をしよう。僕は大人だ。スルースキルも身につけている大人だ。

 なんなら男は単純な生き物なのだと、こいつの言葉を受け入れる器さえ、今はある。


「みーこさんはいつからこの少年が見えているのですか?」

「見えているって……では、この子が神使だって、信じてくださるんですね?」


 みーこさんの表情は一気に明るくなる。まるで春が帰ってきたかのような麗らかな表情だ。


「あっ、いえ、まぁ……」


 これだけ僕の考えていることを読まれてしまっているのだ。まだ疑心暗鬼なところはあるが、彼が何かしら変わった力を持った持ち主であることは間違いないのだ。


「私は物心ついた頃から左右が見えています。そこにいるのが当たり前で、普通に人だと思って接していました」


 みーこさんが顔を上げて、左右に視線を投げる。眩しそうに太陽の光をその綺麗な手で、目の上にひさしを作った。その後に綺麗な形をした口元が、こう言った。

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