ー肆ー

「……やっぱり」


 どきり、と思わず心臓が跳ねたのは、麗しの巫女がそんな言葉をまじまじと言ったからだ。まるで鼻の下が伸びているのを肯定された気分に陥る、神妙な様子が原因だった。


「やはりあなたには、この子が見えているのですね」


 ……そっちか。

 というか、その話からすっかり脱線してしまっていた事に気づき、僕は一旦この子憎たらしい少年のことは脇に追いやり、再び彼女と向き合った。


「見えるとは……? おっしゃる意味があまりよく理解出来ていないのですが?」


 素直に認めてそう言うと、麗しの巫女は「うーん」と唸りながらも、人差し指と親指で顎を挟んだ。まるで探偵ドラマの探偵が、考え込む時にやりそうな使い回されたポーズそのものだった。


「不思議ですね。この少年は私以外に見えたことがないんですよ」

「……はい?」


 見えたことがない? 麗しの巫女以外に?

 ……そんなバカな。その話の方が僕からすれば不思議でしかないのだが。


「変なこと言って、すみません……」


 そう謝りながら、彼女は小さく頭を下げた。

 頭を下げた時に揺れる、サラサラとした漆黒の髪を耳の後ろにかけながら、はにかんだ笑みを僕に向けている。

 なんだ、よく分からないけれど冗談だったのか。もしかするとこういう冗談が、大学生の間で流行っているのかもしれないな。


 僕はあまりテレビを見る方ではない。見るのはもっぱら映画か、時々ニュースを流し見する程度。ばーちゃんの家に来てからは規則正しい生活を送っているため、テレビは全く見なくなった。

 そのため、もしかすると僕は流行りというのに乗り遅れているのかもしれない。


 ……そんな風に思っていた矢先だった。


「ですが、本当のことなんです」


 その一言で、僕の頭は再び混乱し始めていた。

 ……よし、一旦落ち着いて話を整理してみよう。


「あの、僕にはこの少年が見えていますし、あなたにも見えているんですよね?」

「はい」

「なぜ僕たちには見えて、他の人には見えないのでしょうか?」


 僕の隣で、目を細めて睨みをきかせている小学生の風体をした少年。そんな少年に向かって、僕は視線を投げる。

 麗しの巫女の前だから、あまり変な行動は取りたくない。……が、僕は大人だ。この少年よりもはるかに大人だ。

 僕は小学生にバカにされるのは癪なので、僕も目を細めて見つめ返した。この生意気な少年と同じように。

 そしてそれは、僕なりの睨みの表情だった。


「私は昔から見えるのでわかるのですが、もしかして霊感が強いのでしょうか?」

「霊感?」


 霊感なんていう新たなワードに、再び僕は麗しの巫女へと視線を戻すことになる。

 すると麗しの巫女は神妙な面持ちで、一度だけ首を縦に振った。


「僕は今までそんなものを持ったことはないですが……この子が幽霊だというのですか?」


 そんなまさか。僕は幽霊なんて信じない。その理由は、至ってシンプルだ。だって、僕には幽霊が見えない。物理的に見えない。だから信じない。

 これは真っ当な理由だと思うし、シンプルイズザベストという言葉があるように、僕の理由もそれだ。


 だけどもし見えてしまったら、信じなければならないじゃないか。

 だってそれは見えているのだから、存在自体が事実に変わってしまう。

 だけど……。


「ご冗談を。この子は袴を着ているではないですか。明らかにこの神社の神職者でしょう? この神社の跡取り息子といったところでしょうか」


 この幼さで袴を着て神社で奉仕をしているのだ。間違いなく、この神社の跡取りだ。

 幽霊がわざわざ袴を着るのか? ありえない。僕は幽霊を見たことがないけれど、それはどう考えてもおかしな話だと思う。

 幽霊を見たことのない人間が、そんな風に言うのは、少し的外れな考えかもしれないが、一般的な考えから基づいても、やっぱりおかしいと思うのだ。


「いいえ、跡取りは私です。ここは私の家です。ですが、彼は違います。彼はこの神社の神使しんしなのですから」

「神使?」


 僕は再び神社の鳥居の両サイドに置かれているねずみの置物を確認した。僕はそのままあの狛ねずみを指差した後、その指先を、行儀悪くも少年へと向けた。


「はい。この子はこの神社の神使なのです」

「あはははっ!」


 思わずお腹を抱えて笑ってしまった。

 だって、麗しの巫女があまりにも真剣な表情でおかしなことを言うものだから、僕はまんまと騙されそうになってしまったのだ。

 見た目は可憐だが、やはり子供は子供だ。大学生の発想だな……なんて思って、僕は抱えていたお腹がよじれそうになっていた。


 ——と、そんな時だった。

 隣で睨みをきかせていたこの少年は、僕の人差し指をがぶりと噛んだのだ。


「……!」


 子供だと思い、甘く身過ぎていたようだ。

 大人ではない分、容赦がない。

 僕の手はいつもハンドクリームで潤っている。こまめに手入れをしているわけではないが、僕の手はツルツルすべすべをキープしていた。


 そんな僕の手を、元彼女はいつも褒めてくれていた。「いつも艶やかね」とか、「しっとりしていてキメも細かい」とか。

 そんな自慢の僕の指を、この少年は思いっきり噛み締めている。僕が痛みで声すらもあげられないほどに。


「あっ、こら!」


 慌てた様子で麗しの巫女は少年を追い払ってくれた。けれどその頃には時すでに遅し。僕の指にはくっきりと歯型が残されていた。


「子供のすることだからと思って大目に見てたけど……もう許さん!」


 もう大人の振る舞いだとか、麗しの巫女の前だとかそんなものはもう、今となってはどうでもいい。猫をかぶりまくっていた仮面をガバッと外し、僕は少年に向かって駆け出した。


「のろまめ。そんな足で捕まえられるとでも思ったのか」


 そう言ってさっきまで僕のそばにいたはずのその少年が、今ではもう社務所の屋根の上で足をぶらぶらとさせながら座り、僕を見下ろしていた。


 ——はぁ?

 さすがにこの状況は意味がわからず、僕は口をあんぐりと開けた状態で少年を見上げる形となった。

 だってさっきまで僕のそばにいたのだ。それをたった数秒であの上にまで登れるものなのか?

 少年が座る社務所の屋根は二階の高さだ。すぐそばに松の木があるとはいえ、それに足を掛けて登ったとしても、そんな短時間では不可能だ。

 大人の僕が目算でそう思うのだから、子供のあの少年にできるはずがない。完全にインポッシブルだ。


「おい、お前……どうやってそこに登ったんだ?」


 僕が疑心暗鬼な気持ちでそう聞くと、小憎たらしい少年はツンと澄ました顔で言葉を戻した。


「年上に、お前と呼ぶのは失礼なんじゃなかったのか?」


 ……いや、お前が言うなよ。

 そう思ったけれど、その少年はひらりと屋根の上からジャンプして、再びこの地に降りてきた。

 なんとも華麗なその飛び降り方に、恥ずかしくも僕は、思わず魅入ってしまった。

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