ー参ー

 決して大きいわけではない神社の本殿。本殿の前に着いた時、財布の中から小銭を取り出し、それをそっと賽銭箱に入れ、目の前に垂れ下がる鈴の紐を揺らした。

 ——カランカラン。と低めの鈴の音が鳴り響き、僕は姿勢を正し、二度お辞儀をする。

 顔を上げたその後に、パンパン——と二拍し、目を閉じた。


 僕は変わった性格をしている。と、別れた彼女は言っていた。

 こうして目を閉じて神社にいざご挨拶をすると、普通ならばお願い事や自分の目標、祈願などを言うのではないだろうか。

 だけど僕は昔からここに立ち、目を閉じると、なぜか何を話そうって考え込んでしまう。


 それならばここに立つ前に考えればいいのではないか、と考えるのだけれど、それはいつもここに立ってから気づいてしまうため、全くもって学ばない。

 なぜなのかは分からない。が、いつもこうして僕は何をお願いするわけでもなく、時に無心に手を合わせ、時に今日の夜ご飯のことを考え、時にどれくらいこうして目を閉じていようかと考えたりしてしまう。


 母さんは言った。神様のご挨拶に伺うのだから、自分の名前を名乗り、ただこんにちはの挨拶を述べればいいのだと。

 けれどそれはなんだかしっくりこない。こんにちは、と挨拶をするのはいいとして、なぜ名前を名乗る? 神様がそんなことを聞きたいのか?

 いや、僕はそうは思わない。むしろたくさんいる参拝者の中、名前を名乗られたところで、忙しい神様には知ったこっちゃない情報だと僕は考えるからだ。

 突然見知らぬ輩が家を訪問し、「こんにちは、僕は佐藤です」なんて言われてみろ。いやいや、お前誰だよ? って考えるのが普通ではないだろうか。

 名前を名乗ったところで、誰だお前? っていう疑問は拭い去れない。


 そもそもお願い事をすること自体、僕はあまり好きではない。

 どうしても自分ではどうしようもない、神に頼る他ない、という場面に出くわせば、するかもしれない。元より神頼みとはそう言うものだと思うからだ。

 だが自分の努力なしに、神頼みというのは、どう考えても都合の良い話ではないだろうか。


 賽銭の金額を上げてみるか? いやいや、それはもっとがめつい話で、全然神聖さを感じない。むしろ神様がお金を使えるのか? 使えるわけもないだろう。ならば神職者の懐を温める結果となるだけだ。

 神職者は神に仕えているのだし、もちろん神社の修繕費なども必要だろう。僕がお金を入れる事でそこに役立つ。巡り巡って神様に奉仕することにもなるのかもしれないが、それでもなんだかしっくりこないのだ。


 ならばお願い事をせず、ここで自分の意思表明をすれば良い。と母さんが言ったこともあったっけ?

 でもそれならわざわざ神社に来てまで言う必要はないと僕は思う。わざわざ神様のお宅にお邪魔し、どこの馬の骨かも分からない輩が突然自分の為すべきこと、成し遂げたいことの決意表明をしてみろ。僕なら不快でしかないと思う。


 だから僕は結局のところ無心で——。


「お前、かなりめんどくさい奴だな」


 その声に僕は思わず目を開けた。


「えっ?」


 手を合わせたまま本殿の前で突っ立っている僕は、いつの間にやら隣に立っていたあの少年に、視線を落とした。

 少年は僕を蔑むような目で見ているのが、なんとも不愉快甚だしい。だが、それよりも、なぜそんな目で見られているのかが気になった。

 僕の疑問を口にするより先に、少年はくるりと踵を返し、再び社務所の方向へと歩き始め、僕は慌てて後を追おうとした。が、挨拶を終わらせていないことに気がついて、僕は最後の一礼をきちんとした後、少年の元へと駆け出した。


「さっきから君は、かなり失礼じゃないか?」


 僕はリーチのある長い足で、あっさりと少年に追いついてやった。けれど少年は振り返ろうともしない。なんて子供だ。


「僕がめんどくさい奴だって、どういう意味だよ」


 確かに色々考えてたせいで、参拝が長かったかなー? とは思わなくもない。だが、別に何か懇願していたわけでもないのだ。放っておいてくれても良いような、案件ではないか。そもそもここは祈りを捧げる場所なのだろう? さっきそう言ったのはこの少年の方ではないか。


「めんどくさそうだからそう言ったまでだ」

「だからそれが失礼だと言ってるんだよ。僕は年上だぞ。それも君よりもうんと年上だ」


 足して言えば、僕は君と初対面でもあり、君が奉仕するこの神社の参拝客でもあるのだ。子供だからと多めに見ていたが、やはり子供とはいえ、放ってはおけない。しつけというのも一つの教育の一環である。このクソガキが単純に腹が立つから、という理由では決してない。


「おい、聞いてるのか?」


 僕の言葉にも振り返りもせず、スタスタと歩き続けるこの少年の腕を掴もうとしたその時だった。


「あれ、こんにちは」


 社務所から顔を覗かせたのは、巫女装束に身を包んだ、麗しい女性だった。


「参拝の方でしょうか?」


 どことなくこの緑に覆われた神社の新緑にも負けない力強いエナジーと、そよ風に靡くセミロングな髪が流れる度に、キラキラと光る髪と共に輝く笑顔と、清楚で清潔を感じさせるその巫女装束。

 何といっても、その愛らしいと言わんばかりの笑顔に僕は、思わず背筋を伸ばした。


「はい。この神社の下で手紙をくくりつけて欲しいと、どこぞの淑女の方からお願いされてしまい、やって来ました」

「あははっ、どこぞの淑女の方からの……って、依頼ですか?」


 麗しの巫女は僕に勢いよく駆け寄り、僕が手にする小さな紙の切れ端、それを細く長く折ったものを見て、彼女は輝かんばかりのきらめきをその瞳に乗せてた。


「まさしくこれは、久しぶりの依頼ですね!」


 そうなんですか? なんて不躾な様子で言いそうになった言葉は、彼女が小躍りしながら僕の手を掴んだものだから、思わず引っ込んでしまった。

 彼女は大学生くらいの年頃だろうか。若々しい反応が、最近仕事でしか出会わなかった女性諸君とはまた違っていて、新鮮だ。


「この神社はなかなか変わっ……ユニークですね」


 危ない、もう少しでネガティブな言葉が飛び出しそうだった。同じような意味なのに、ユニークと言うとプラスに聞こえるのが不思議だな。なんて思っていた矢先、隣に立つあの小憎たらしい少年が僕を蔑むように見上げて、反吐でも吐きそうな顔でこう言った。


「いや、むしろそれ止めきれてないだろ。言ったも同然だぞ」

「……えっ?!」


 思わず口を押さえた僕は、この少年が言うように寸止めできていなかったのかと、ちらりと目の前にいる彼女へと視線を向けた。すると、彼女は僕のことを恐れおののくように目を丸くして見つめていた。


 ……本当だ。寸前のところで止めたつもりの言葉は、どうやら止めきれていなかったようだ。と言うか、変わってると言うつもりだった言葉は、念のために言い方を変えただけで、そんなに悪い意味を持った言葉だとは思っていなかった。

 だからこそ、こんな顔をされるとは思っていなかっただけに、僕としても衝撃だ。

 むしろ言い換えたのが悪かったのか? 言葉をオブラートに包もうとして、むしろ遠回しに嫌味だと言われたことは過去にある。元彼女にはそう言われたことは数多の数ほどだ。

 麗しい女性の麗しい顔が、曇る様子を見るのは、なんとも痛々しい。自分が原因だと考えると余計に切ないものだ。

 そんな風に考えていた、そんな時だった。


「あの……見えるんですか?」

「……はい?」


 恐れるかのようで、怖がるかのように、彼女が口元に当てた手がわなわなと震えていた。


「その、見えているんですか?」

「……? 何がですか?」


 と言うか、どれの話をしているのかがさっぱりわからない。僕は彼女の言う、”見えているもの”とはどれのことを指しているのだろうか。と、思わず首を傾げそうになっていた。

 すると、細い指先で彼女はツンと僕から……僕の隣に立つ少年へと指を指した。


「そこにいるこの子が、見えているんですか……?」


 んー?

 僕は思わず首を傾げた。まるで柳の枝のようにしなだれた、と言った方が正しい表現なのかもしれない。

 麗しの巫女が言う言葉の意味が、やはりよくわからない。これはジェネレーションギャップというものなのだろうか。そうだとすれば、僕は自分で思っていた以上に歳を重ねていたようだ。

 いや、年齢は年輪だ。歳は重ねていい。むしろ重ねるのが普通だ。だからそれに抗おうなどと毛頭にもない。それが僕の持論でもあった。

 ……が、このように若い世代についていけなくなったという事実に関しては、それはそれは悲しいことだ。

 僕も世間から見れば、まだ若い部類に入ると思う。今年で27歳になる。まだまだこれから油が乗る働き盛りだ。

 だがしかし、大学生と27歳とでは大きな開きがある。たとえ相手が22歳だとしても5歳も年齢に差があるし、そして社会に出たことがあるかどうかもまた、世界を分断する一つになる。


 大学生と社会人とでは、たとえ同じものを見ていたとしても、見えている世界が全然違うのだ。

 とすれば彼女が言う意味を僕は理解できなくて当然なのかもしれない。


「……お前、本当にめんどくさい奴だな」


 僕が麗しの巫女の言葉の意味を解析しつつ、理解できないことに対する思考を脳内で繰り広げている間、この少年はゲテモノでも見るような目で再び失礼極まりない言葉を放っていた。


「めんどくさいとは失礼だぞ」


 麗しの巫女の手前だ。むかっとする気持ちは一旦心の隅に留めながら、大人としての対応を見せたいところ。

 僕は大人だ。だからこそこれくらいで小学生のこの少年に怒りをぶつけるなどという無様な姿は見せない。

 社会に出て僕は学んだのだ。いの一番に学んだこと、それが、‘’大人の対応‘’というものだった。


「鼻の下が伸びてるぞ」

「……!」


 僕は瞬時に両手で鼻を隠した。鼻の下が伸びている……それは一大事だ。チカンやセクハラ。これは僕が一番忌み嫌う者達だ。

 何せ上司との飲み会という名の接待で、頭がハゲ散らかりかけている輩に限ってそういう事を女性にするのだ。


 僕はそういう光景を何度か目の当たりにしている。パワハラと言われても過言ではないシーンもあった。僕の周りにいる女性陣はたいていが年上か、同期だ。同期は気も強く、肝も据わっているためパワハラをうまく切り抜けていた。

 だがそれでも、見ていて気分がいいものではなかった。だからこそ、そんな大人にだけはならないように努めてきた、つもりだったのだが……。

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