ー弐ー
やっと階段を登りきったところで、僕は息が上がっていた。普段オフィスで仕事をしているのがどれほど僕の身体能力をそぎ落としていたのかがわかりやすく浮き彫りになった瞬間だった。
「こりゃ、あのおばあさんだったら登るのは大変だったな」
おばあさんは腰が曲がっていた。腰が痛いと言っていたくらいだから足だって弱っていただろう。そんな中でこの階段を上がるのは厳しいものがあると僕は痛感した。
階段を上がりきって、石畳を少し歩くと鳥居の前には石で出来たねずみの置物が左右に置かれている。しかもねずみのくせに玉と巻物をそれぞれが抱えている。
「あれ? 普通ここって狐とか狛犬じゃないっけ?」
「いやいや、
そんな声が聞こえて、思わず振り返ると、背後からすっと現れたのは全身白の袴を着た子供だ。神社の子供か? と疑問が過ぎったと同時に、この子供よりも気になったのは……。
「なんだ? 狛ねずみって」
「神使のことだよ」
そう言ってその子供はあの鳥居の両サイドに鎮座しているねずみを指差した。
「神使って、神様に使える動物のことだよね?」
自分の薄い知識と記憶を引っ張り出し、僕はこの小学生の目線に合わせて腰を折った。
「ねずみとかいるんだな。犬と狐だけかと思ってた」
「なんだ、知識の無い大人だな」
歯に衣を着せぬとはこのことだ。小学生だからと舐めていたが、なんと教育のなっていない子供だ。
けれど僕は大人なのでこんなことで声を荒げたりはしない。むしろ取引先の営業マンの方が失礼な輩が多い。そのことを思い出しながら、小学生に怒るなどという大人気ないことをしようとする自分を必死に食い止める。
「神使は他にも色々いるし。鳩だったり猿だったり……そしてこの神社はねずみってだけだろ」
なるほど。そうか。だからあの手書き新聞のイラストがねずみだったのか。どうりでおかしいと思ったんだ。神社なのに、その年の干支を描き間違えるなんて、あってはならないからだ。
「ふーん、そうなんだ。ありがとう色々教えてくれて。ところでこのお願い事を松の木の麓に結びたいんだけど、どこに結べばいいのかな?」
「依頼か?」
依頼になるのか、一応。僕のではないけれど。
そう思って疑心暗鬼の中、僕は首を縦に振った。すると少年は静かに指をツン、と指を差した。
「松ならこっちだ」
少年は社務所の隣に立つ立派な松の木の麓へと案内しようとするが、僕は鳥居をくぐったところで、足を止めた。
「待って、あれだ。その前に手を洗ってくるよ。それに僕、本殿にも手を合わせてないからさ」
神社のことに詳しくは無いが、毎年お正月に神社へお参りをする際、母さんがよく言っていた。神社に入るということは、神様のお家に入るということ。しっかり挨拶をしなければならない。
入り口にある手水舎で手を洗い、口をすすいでから、まず何をするよりも先に本殿に挨拶に行きなさいと。人様の家に上がって、靴を揃えないのは不躾、本人にご挨拶しないのは失礼だとよく言っていた。神社でそれをしないのはそれと同じようなものだと。
子供の頃からの習慣だ。特に意味はなかったのだけれど、そんないつもの行動をしている僕を見て、少年の瞳は見開かれ、感心の色をその幼い顔に浮かべた。
「……なんだ、お前意外とちゃんとしてるんだな」
「おいおい、初対面の年上に対してお前呼ばわりとは、あんまりじゃないか?」
さすがの俺もその物言いには引っかかった。その上この少年は幼いとはいえ神職に使える者。たとえこの神社の後継だとしても、それでもその言い方はないんじゃないかと思っていた。
「そんなことより、手を洗いに行くんだろ? 案内してやるよ」
そんなこととはなんだ。そんなことではないし、そもそもそのセリフを言うのはこの少年ではなく、僕が言うセリフだろう。その上、案内してやるよとはなんという言い草か。僕は憤慨しそうになりながらも鳥居をくぐってすぐにある手水舎へと向かった。
「……お前、その洗い方まで知ってるくせに、なんでハンカチ持ってないんだ?」
左手、右手の順に柄杓を使い手をすすいだ後、さらに手に水をすくい口の中もすすいだ。そして柄杓の柄の部分を残りの水ですすいだ後、拭くものがないことに気がついた僕は、手を振って水分を飛ばし、ジーンズの裾で手を拭った。
「仕方ないだろ。元々来る予定じゃなかったから、拭くものなんて持ってないんだよ」
ふーん、と僕の姿を足の先から頭の先まで見やった後、少年はさらにこう言った。
「それにしたって、やっぱり変な奴だな。禊の仕方を知ってるのになんで神使のことを知らないんだ」
「これ、禊になるのか?」
「ああ、簡易のな」
ちなみに手の洗い方に関しては母親仕込みだ。母さんは神社やお寺が好きなのだが、別にそこに縁やゆかりがあるわけではない。子供の頃に教えられたから知っているだけで、僕自身は別にさして神社やお寺に興味があるわけではない。
僕は基本的に、何事も卒なくこなせるように広く浅い知識を持つように心がけている。そうすると人とちょっとした会話の時に困ることはないし、会話がなくて地獄のような無言の重圧すら、打破することだってできる。
「ところで、あの新聞って、この神社の神主さんが作ってるのか?」
今時はそうまでして客寄せを頑張っているのだろうか。などと考えていると、少年は僕の足を踏んづけた。
「いてっ! なんで足踏むんだよ!」
明らかにこの少年は故意的に僕の足を踏みつけていた。それも踵で。その上グリグリとドリルで地面に擦り付けるように。
「客寄せなんて失礼なことを言うからだ。神社は参拝するところであり、祈りを捧げるところだ。だから決して客寄せのためにやってるわけじゃない」
あれ? って僕は思わず首を傾けた。僕そんなこと口にしてた? 心の中では思ったけど、口に出したつもりはなかった。けれどどうやらこぼれ出していたようだ。口は災いの元とはよく言ったものだ。
「ごめんごめん、違うのか。それじゃあなんでこんなことやってるんだ?」
学校で学級新聞を作る理由は、先生と生徒の交流を図りつつ情報を共有するため。客引きのためにやってるのではないとすれば、情報共有と、人助けといったところだろうか?
「ところで、占い調べるってなんだよ」
胡散臭い。と言いかけた言葉はギリギリのところで食い留めた。だが、この少年は再び僕の足を踏みつけた。さっきは右足、今度は左足だ。
「いてっ! 今度はなんだよ!」
「自分の心に手を当てて考えてみるんだな」
少年はそう言って、僕のことを睨みつけている。少年のその様子からして、胡散臭いと思ったことがバレたのだろうか。けれど今回僕は、それを口に出してはいない。だとすれば、僕はとてもわかりやすい顔をしていたことになる。
こんな少年の前ならポーカーフェイスを気取らなくてもいいと、どこかで思っていたに違いない。そんな甘んじた考えが、僕の表情に表れてしまった結果だった。
「お前、お参りするんだろ?」
さっさと行けと言いたげなその様子が引っかかるが、僕は小学生に本気で怒るほど大人気ない人間ではない。きっとこんな田舎でのびのびと育てば、多少言葉の作法も、のびのびとしてしまうのは致し方ないことだ。
そんな風に自分を律しながら、僕は本殿へと向かった。
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