第1話 犬神③


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彼女を守らなければ。私はその為に生まれてきたのだ。

だがそれも、もう果たせそうにない。

喉元を深く喰いちぎられた。

意識が朦朧とする。

彼女を守らなければ。私が死んだら、彼女は再び孤独になってしまう。

立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

冷たく、無慈悲な闇が体を包み込む。血に濡れ、頭が鉛のように重たい。

やめろ。私を卑しい畜生道に堕落させようと言うのか。

やめろ、やめろ。

男が、彼女を歯がいじめにする。首を強く押さえつけられ。呼吸ができず苦しんでいる。

ーーーそうか。それが貴様の望みなのか。

ならば。この四肢その全てが魑魅魍魎と相なろうとも。

忘我の果てに、美しき主人への忠誠を失おうとも。

 

必ず貴様を殺してやる。


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 「こ、こいつは……」

手が震える。底知れぬ悪意でその身を幾重にも覆っているその姿。

まさか、こいつが犬神!?

恐怖で脚の動かない僕に、瑠璃乃は叱咤する。

「いや!薫くん、気を保て!こいつは犬神ではない!魍魎どもを食い散らかしたこの腐臭……言うなれば妖狐、あるいは狐憑きの霊だ!」

瑠璃乃は僕の前に立つと、その妖狐と真正面から向き合う。

なんだって?だが、確かに……この姿を見て犬神と思うやつはいない―――神というには……

全身から血を滴らせ、牙をむくその姿。その大きさは2mは下らないだろう。何百、いや何千もの霊に取り憑いたかのような存在感。全身から放たれる死臭は狐一匹分のそれではない。

 「早百合嬢の言っていたものとは全く違うわね。こいつはおそらく現界して500年は経ってる大物よ」

 瑠璃乃は懐を弄ると、対霊用の術式札を取り出した。

 ってそれ、浮遊霊とか捕まえるやつだろうに。そんなもので通用するのか?

 「分かってるわよ、こんなの、火事に唾するようなものだわ!」

 半ばヤケクソになりながら。瑠璃乃は術式札を放つ。

 妖狐の足元で起爆したそれは、細い糸のようなものに変形し、捕獲を試みる。

 だが、妖狐はその網を正面から食い破った。

 「だから言ったのに!」

 「いいから建物の中に逃げるわよ!視点を誘導してそのくらいの時間は稼げた!」

踵を返して逃げ出す。

体制を整えてから出なければ、こんなのと渡り合えるはずがない。と、戦略的撤退を決め込んだ時だった。

 「ライチ、ライチなの?」

遅れて中庭にやってきた剣持さんと、妖狐の視線が合う。

剣持さんは噴水を挟んだ向こう側にいた。

これはまずい。本当の標的はおそらく彼女だ。

「早百合嬢!そいつはライチくんではない!」

瑠璃乃が叫んだのも束の間。

大口を開けた妖狐が剣持さん目掛けて飛び掛かった。

一足で距離を詰める獣の怪異。その挙動と共に鮮血が飛び散り、後には血溜まりが残った。

前脚が剣持さんを掴み、その体を容易く引き倒す。

間に合わない。

最悪な未来が頭をよぎる。その刹那。

「喰うな。そいつはまだ利用価値がある」

何者かの声に、妖狐は動きを止めた。


「これはこれは。うちの飼い狐がとんだご無礼を。お怪我はありませんかな?剣持家のお嬢様」

それは、不快なほど丁寧な声色だった。

物陰から全身を白銀色のスーツで身を包んだ男が姿を現す。

金色の髪に、彫刻のような厳しい面持ち。

男の歩調はこの世のすべてを見下しているかのようだった。庭園を進むと、剣持さんの目の前までやってくる。

「憑神は姿を現さないようですなぁ。せっかくあの家畜を殺してやったと言うのに。これでは拍子抜けだ」

剣持さんは妖狐に押さえつけられたまま、男を睨みつける。

僕と瑠璃乃はただこの状況を眺めていることしかできなかった。

下手に動けば彼女が襲われないとも限らない。倒れていた使用人の側にいた芹田さんも、同じ考えのようだ。

「様子見ぐらいのつもりだったのですがね。こんな深夜に女中を庭に歩かせているとは、感心しませんな」

「貴様、一体何者だ」

瑠璃乃の問いかけに、スーツの男は仰々しく礼をする。

「人に名を問う時は自らが名乗るべきである……まぁいいでしょう。礼儀を失しているにもかかわらず、私はそれを許しましょう。か弱き無名の市民に対し、私は私を知らしめる義務がある。何故なら、私が峯月方解みねづきほうかいであるからして」

「何だと?」

瑠璃乃は剣持さんと峯月方解と名乗る人物を見比べる。

「峯月姓の人間……御三家同士の抗争は第二次世界大戦以降禁じられている筈だ」

ほう、と意外そうな顔をする峯月方解。それは地を這う蟻の存在に気がついた時のような、僅かな注目ではあったのだが。

「極東の些細な派閥争いにまで通じているとは。あなたは一体何と言う虫以下の存在で?」

「私は乙瀬瑠璃乃。それから、隣で深刻な顔をしているのが助手の守屋薫くん。剣持早百合嬢から依頼を受けた探偵と、その助手さ」

 それを聞いた峯月方解は高らかに笑い出した。

「ッハハハハハハ‼︎剣持家も堕ちたものだ‼︎どこぞの三流が混じっているかと思えば、探偵だと?そんな事だから御家憑きの霊も制御できないのだよ‼︎」

「御家憑き……そういう事か!」瑠璃乃は峯月方解の侮辱を無視して言う。

「薫くん、どうやら私達の仕事は半分間違っていたみたい」

間違っていた?一体何を。

 探偵は深呼吸をし、新たな事実を口にした。

「剣持さんが見たと言う犬神の存在……私たちはこれを抑える為に呼ばれたんじゃない。むしろその逆だ。

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