第10話 提案
10-1 喫茶店での会話
「お待たせしました」
暫くして、2人の前にコーヒーが運ばれて来た。寒い日にお似合いなホットコーヒーである。
玉井は、コーヒーにミルクを入れ、1口、口にした。
「仕事ね。まあ、本当、色々あるよ」
「色々?」
「うん」
「ま、組織の中の歯車だ。思い通りにいかないことも多い」
「仕事って、何をやってるの?」
「何って、データベースの検索。それも毎日」
佳華も会社では事務の仕事を任されることが多い。というよりも、そもそも、事務方なので、事務が仕事の中心であることは当然と言えば、当然であった。
佳華としても、事務の仕事は嫌いではないものの、しんどくなることも少なくない。特に、玉井が言うように、細かく、データを追うのがしんどい。作業の途中で眠くなることもある。
そんな時には、休憩室に行き、缶コーヒー、特に砂糖のない
<無糖ブラックコーヒー>
を買って、飲むのである。しかし、それでも眠くなることはあるし、書類上の書き間違い等を起こして、上司から、叱責されることもある。無理やり、眠気を無糖コーヒーによって、払い除けながらの作業なので、どうしてもミスを起こしてしまう。
しかし、今日は、彼女を叱責する上司がいるわけではない。佳華も又、昨晩、8時間程、眠ってきたこともあり、比較的、頭はすっきりしている。
そういうわけで、苦いコーヒーを口にする必要はないので、彼女も、コーヒーにミルクを入れ、更に少量の砂糖をコーヒーに入れた。
佐藤とミルクを入れたコーヒーは、ほんのり甘い。職場での一種の
<気付け薬>
とは違う味であり、今日という日が職場での毎日とは異なる日であることを思わせた。
「データの確認ね」
佳華は、そう一言、呟くと、自身の毎日を振り返りつつ言った。
「データの確認って、大変だよね。しんどくなるし、眠くなるしで、上司からは怒られるし、ほんと、大変」
「怒られるのかい?」
「まあね。気を付けていても、ドジはするし、私って、もともと、大雑把な性格だからね」
そういった性格故に、上司に厳しく当たられることもあるのであろう。そのせいで、彼女自身も精神的に傷つき、その延長で、他人にきつく当たることもあるのかもしれない。
それが
<きつい口調>
となって出ているのだろう。
しかし、彼女の、
<きつい>
口調が、かえって、玉井を支えている一面がある。
<きつい>=<厳しい>
といった恒等式が成立するのが普通であるように思われる。しかし、それが玉井を支えている一面があることに玉井は苦笑せざるを得なかった。
「?」
2人は、窓際の席に座っている。玉井が、窓の外を見ながらも、少しく笑いの表情を見せたことに、佳華は不審を抱いた。
「あ、いや」
佳華の不審に気づいた玉井は、自身の表情を詫び、
「大雑把ね」
と、佳華の発言をつないだ。
「そうよ、私は、大雑把。だけど、華人系の会社ってことで、ドジなのに、とりあえずはクビにならずに、働かせてもらっているの」
玉井は思った。
「性格なら、俺も同じかな。民間なら、失敗してクビになってもおかしくないところを、国家公務員の身分だから、クビにもならず、とりあえず、暮らしていけるのかもしれない」
しかし、玉井を雇っている雇い主としての
<国家権力>
がその気になれば、玉井も現在の地位を失いかねない。それ故、あまりにもドジをすることは許されないだろう。
玉井と佳華は性格的には似た者同士であるらしかった。だから、魅かれ合うところもあるのであろう。
「私ね、でも、どんな仕事が、本当は合ってるんだろう」
「何が得意か、考えてみると良いよ」
「そうね」
そう一言、言いつつ、佳華は言った。
「何をやっても、大雑把で、詰めが甘い私なのよ。何やっても、上から怒られちゃうかな」
「しかし、大雑把でも良いんじゃないか。あまり、きつきつに物事を詰めると、かえって苦しいっていうか、しんどいこともあるだろうし」
「うん」
佳華は、何か、癒されたような気がした。
<大雑把>
な性格によって、結構、損を繰り返し、苦しんできたからであろう。しかし、
<大雑把>
という、この言葉は、刑事には良くない言葉でもあった。
「僅かな聞き逃し」
がそれこそ、事件の
<迷宮入り>
を招くとすれば、ある意味、
<大雑把>
では済まされないのが、刑事の職務であるからである。
しかし、先程から、玉井には、
<大雑把>
という言葉が、何か、心中に引っかかっていた。何故?
玉井は、半ばぬるくなったコーヒーを改めて口にしつつ、考えてみた。
「大雑把か・・・・・」
怪訝な表情を浮かべている佳華を前に、
「そうか」
と頭の中で、思い出されるものがあった。
「首相・高田と彼女の郷里にあった土田姓の家、そして、長官の土田の件、というか、線だ」
<大雑把>
とはいえ、やはり、何か、偶然に繋がるものがあるような気がする。玉井はこの線を追っていたのであった。
「ん、あ、いや、すまない。デート中なのに、仕事のことがつい、頭に浮かんでさ」
「康君、流石、刑事ね。何か思い浮かんだの?」
佳華の反応に玉井は思った。
「いかん、いかん、こんなことを言うとは、口を滑らせてしまったかもしれない」
玉井は、思わず、周囲を見回した。
<劉仁宏殺人事件>
捜査の一翼を担う刑事として、本件の捜査状況が、思わぬところから周囲に漏れ出ることがあってはならない。そのようなことになれば、それこそ、
<国家の大事>
であろう。
又、玉井が情報漏洩をなしたとすれば、それこそ、
<国家権力>
がその気になって、玉井を解雇するかもしれない。そうなれば、玉井は現在の地位を失いかねない。
「すまない、ちょっと、この喫茶店を出て、すこし、外を歩こう」
「まあ、それは良いけど」
突然のことに、佳華は、多少の不審を抱きつつも同意した。
玉井は、冷えてしまって、既に実質的に
<ホット>
ではなくなったコーヒーを飲み干すと、
「俺がおごるよ」
と言って、席を立ち、受付で店員に2人分のコーヒー代を支払うと、
「さ、行こう」
と、佳華を促した。
佳華は、玉井の声に応じて、席を立った。
2人は、ガラス戸を押して、喫茶店を外に出た。
「どうしたの?いきなり」
不審に思った佳華が聞いて来た。
「まあ、まあ、とにかく」
まさしく、つかみどころのない
<大雑把>
な回答が玉井から返って来た。
「すまん、ちょっと、一緒に歩いてくれないか?」
「いいけど、どうして?」
「まあ、まあ」
またまた、
<大雑把>
な回答である。
「ちょっと、康君、さっきから、せかしてない?」
言われてみれば、その通りである。何かしら、逃げるように、喫茶店を出たからであろう。
先程からせかせかと歩いていた玉井は、佳華に指摘され、
「あ、すまん、すまん」
と詫びた。
彼は、玉井以上にせかせかと歩かなければならなかったであろう佳華の歩く速度に合わせるべく、歩幅を緩めた。
「一体、どうしたの?」
佳華が改めて、問うた。
<劉仁宏氏殺人事件>
について、情報が不用意に周囲に漏れること、特に、不特定多数に漏れることはあってははならない。
玉井としては、佳華にも、自身が本件の担当刑事の一員であることは黙っておこうかとも思った。彼女もある種の
<周囲>
とも解釈できるからである。しかし、佳華は、やはり、華人系であるので、この事件について、良い情報が入手できるかもしれない。自身での
<捜査>
に有益な情報が入れば、嬉しい。越権行為ではあるものの、
「情報を入手したい」
という内心の欲求が勝った。玉井は言った。
「俺な、例の劉仁宏殺人事件の担当刑事の一員なんだ」
「そうなんだ」
佳華は改めて、現在の玉井の立場を知って、問い直した。
「リュウジンコウ殺人事件って、あの≪民主労働党≫の衆院議員だった劉仁宏さん?」
「そう、その劉仁宏氏の件だよ」
劉仁宏は、無論、佳華にとっても、ある種の
<期待の星>
であった。佳華も又、日本国籍をとったとはいえ、日本はまだ、
<日本(国籍保有)人>
を中心として、動いている面が大きい
<社会>
である。
10-2 <社会>の現実
暫く歩いた玉井と佳華の2人は、ある公園に入り、ベンチに腰かけた。
「いや、すまない。驚かせてしまって」
「ほんと、びっくりした、一体、どうしたの?」
「喫茶店は密室だ。あの中でもし、俺が劉仁宏氏の件に関わっていることが何らかの形で知れたら、騒ぎになるだろうし、インターネットの掲示板にでもあれやこれや、書き込まれたら、それこそ一大事だからな。捜査に変な影響が出やしないかと、急に怖くなったんだ」
「なるほど」
玉井は改めて、公園内で、周囲を見回してみた。これといった不審な人物等はいないようである。
「つまりね、さっきも言ったように、自分としては、劉仁宏氏の事件の一翼をになっている。そのためのデータベースの検索の毎日だよ」
玉井は、改めて、自分の職場での状況を話し、さらに、先程、喫茶店を逃れるように出た理由等を話し始めた。
「何か、今回の捜査は、おかしく思わざるを得ないんだ」
「何が?」
「ほら、例の<世界創世教>っていうよくわからないカルトみたいな集団があるだろう。多分、佳華も、インターネットとか、マスコミとかで、名は耳にしたことがあるだろうけど」
<世界創世教>
については、勿論、佳華も知っていたというより、自身の住む地区にも、そのポスターが張られているので、そうした地区の
<日常>
によって、知らされている、といった方が適切であろう。
佳華が勤めている会社のある地区、あるいは華人が多く集まっている地区等でも、
<世界創世教>
のポスターは見かけられる。
それこそ、華人系企業も、国際市場をも含め、市場での競争に勝つために、安価な労働力である、ある種の(定住)外国人の労働力を利用せざるを得なかった。
移民出身者の中には、そもそも、良い教育が受けられず、高い能力を開拓できず、仕事の現場でも高度な能力を発揮し得ないものも少なくなかった。
来日した際、何らかの理由で、親に日本語の能力がないといった場合、その子弟の中には、やはり、日本語の能力が怪しい者も存在していた。昨今の日本企業には、そうした彼等彼女等の低賃金作業にに支えられている一面が少なからずあった。
<社会>
における
<貧富の格差>
は拡大しており、日本は様々な意味で、既に
<階級社会>
であった。
であるが故に、華人系企業としても、各製品、サービスの安価による
<社会>
への提供のためには、安価な人件費を利用すベく、教育等をしっかり受けられなかった層に頼らざるを得ない現状があった。
そうした事情から、華人系が多い地区の
<社会>
にも、怪しげな勢力が付け入ろうとしているのは想像できないことではなかった。
地区の人間としては、こうした不審なポスターについては、彼等彼女等から構成される
<自治会>
等にて、土日、祝日等、あるいは、仕事の合間等に、はがし、処分すべしという声を上げていた。
他人の家屋の壁面、あるいは、公共財に、ビラを貼れば、憲法で保障された<財産権>があるとはいえ、<公共の福祉>(いずれも、日本国憲法第29条の記述)に反するとして、規制、撤去できるはずであるとして、実際、休日等には、自治会主催の撤去作業等もなされていた。佳華もさんかしたじょとがある。
しかし、それでも、どこからか、
<世界創世教>
のビラが貼られているのが現状であった。
警察にも、パトロールの強化が申請されてはいるものの、なかなか効果が上がっていないのが現状である。
落書き等は様々に存在し、
<社会>
の方々から出没し、絶えず湧き出る
<自己主張>
でもあった。警察も動員し得る人数に限度があり、取締りは容易でないのみならず、場合によっては、
<警察権力による思想弾圧>
を言われかねない。
そして、最近では、半ば、あきらめにも似た状況になりつつあった。
「で、この前、上司から聞いたんだが、都内のある署で、<世界創世教>の関係者と思われる人物が2人、逮捕されてね。それが劉仁宏氏の件と関係があるかのように言っているらしいんだ」
「らしい?」
「うん、本来、こういう件であれば、<劉仁宏殺人事件>を担っている我々としても、その2人に問うべきことを問うべく、その署での取り調べに参加するように指示があるよう思うんだが、上司からは、取調官が色々変わると、容疑者も動揺するから、暫くは、君等はデータベースの検索に専念せよと言われているんだ」
捜査の第一線を担う立場にありながら、捜査の主流から外されている感のある話である。
「警察って、何か、変なところがあるのね」
佳華が不審げに言った。玉井の発言で、やはり、何かしらの不信感を抱いたのであろう。
佳華としては、日々、自身の生活の
<日常>
として、
<社会>
を生きているのである。その中で、既に、
<世界創世教>
に迷惑している現実があった。
又、こうしたビラが多々、貼られている地区では、所謂、
<気風の荒廃>
が進み、
<社会>
のさらなる
<荒廃>
が進んでいた。佳華自身、こうした地区に入った時には、それを不気味に実感せざるを得ない。
人々の所得が低いからか、建物は荒廃し、所々、消火栓、水道管が破損しているのか、路上に水が溢れている箇所もあった。ゴミ集積場には、無造作にゴミが積み上げられていた。
あるいは、地区の各所にこうした光景が見られるので、地区全体が
<ゴミ集積所>
と化している感さえあるのである。
佳華の会社のある地区とて、ある種の<低賃金労働者>、すなわち、低所得層を使用している一面があるのが現状である。ある種の
<荒廃地区>
の姿は、佳華の関係する地区の近未来かも知れなかった。
その意味では、警察が頼りにならければ、地区の荒廃が加速していく可能性があるという意味では、非常に憂うべきことであった。
「それで、刑事として、この件にどのように対応するつもりなの?」
「どうって、警察は階級組織だ、上から言われたようにするしかないさ。ただ」
「ただ?」
佳華が続きを促すように言いつつ、聞き返した。
「悔しくない?康君、自分の仕事を奪われているようなものよね」
佳華は強い口調で、玉井に言った。それこそ、まるで、刑事の容疑者に対する尋問のようようである。彼女の、性格的な気の強さが出て来たのかもしれない。
あるいは、
<世界創世教>
に迷惑しているといった点では、最早、警察としての仕事は、半ば、佳華の<捜査>すべき事案となっていると言っても良かった。
「さっき、慌てて、喫茶店を出た時の話の内容って、こうしたこと?」
以下のもその通りであった。話の流れで、こういったことが出て、不特定多数に聞かれては、大変な騒ぎになりかねなかった。
「確かにそうさ。ただ、もう一つ、俺自身が不審に思っていたけど、行き詰っていたことがあった」
玉井は、佳華の気迫に押されたのかもしれない。
・高田初江首相-土田慎一警察庁長官
のある種の<関連性>とも考えられる件についての見解を述べた。
まるで、佳華の
<捜査>
に対する、玉井の
<自白>と言えるような構図になっていた。
佳華は心中で、組織の論理に抑えられている玉井の立場に同情しつつ、
「う~む、組織の論理があるから、そうなるわけだ。だったら、それがなければ」
と思い、
「私が調べてみる?」
と、玉井に提案した。
「?」
あまりに突飛な発言に、玉井は驚きが隠せない。
「何のことだ!?」
「つまり、首相の高田と警察庁長官の土田が、どういう関係にあるのか、これについては、戸籍謄本とかを調べれば、関係が分かるよね。康君も刑事だから、調べることはできるかもしれないけど、それこそ、<組織の論理>がある、つまり、上からの指示を無視して動いたら、問題になるかもしれない。でも、民間人ならば、無関係よね」
「だけど、何の権限で、どうやって、他人の戸籍をとるんだ?」
「仕事やら、生活関係やらの関係でね、私たちとしては行政書士さんやら、司法書士さんやらにも、法律関係の仕事をお願いしているの。彼等彼女等なら、その関係と権限でできるはずよ」
意表を突いた提案である。しかし、露骨に首相や長官の謄本をとろうとすれば、怪しまれるだろう。
「どうやって、彼等の謄本をとるんだ?」
「そうね、私達も色々とビジネスを商っているので、その関係で、身分証明として使える戸籍謄本なんかをとることは多いの。そのために、今、言ったように、行政書士さんとか、司法書士さんとかに連絡しているのよ。商売の関係と称して、周囲の関係者と思われる人々の謄本をとれば、2人の関係には迫れるでしょう」
「なるほど」
玉井は心中にて、佳華の提案に、優れた物があると思った。しかし、警察の仕事を民間人に任せることには、やはり、抵抗があった。
「どうすべきか」
10-3 行動方針
佳華は話をつづけた。
「私の仕事関係の行政書士さんなり、司法書士さんなりが、仕事の関係と称して、高田首相なり、上田長官の周囲の人と思われる人の謄本をまずとる。それには、高田首相の地元の周囲の人々、ほら、この前のテレビで、首相の地元の様子が映っていたけど、土田さんって人結構、いるみたいね。」
玉井が、下田と共に、警視庁本庁舎休憩室にて見ていたテレビ番組を佳華も見ていたらしい。
<劉仁宏氏殺人事件>
はそれだけ、
<社会>
全体の関心事になっているとも言えた。
「でもね、我々は、仕事の関係である人の戸籍謄本をとっていたら、偶然、高田首相と土田長官の線にたどり着いたとして、捜査協力のため、私達が情報提供をした、ということにすれば、辻褄があうよね」
玉井は、佳華が上手く、話の筋を組み立てていくことに驚かされた。それこそ、刑事の素質があるかのようである。いや、あるいは、
<スパイ>
の素質があるというべきか。
国家に対するスパイの活動を抑え込むことも、公安の仕事である。それはまさに、
<国家の大事>
を防ぐための公安の重要な役割の1つであった。
しかし、今や
<スパイ>
かもしれない人物の力を借りて、
<国家>
を守るという、なにかしら、ギャグのような状況が産まれつつあるとも言えた。
佳華は続けた。
「勿論、暫く、時間はかかるでしょうけど、こらえてちょうだい」
<捜査>
は、日々の
<無駄>
の積み上げであり、時間がかかることは、こらえねばならないことである。こんなことは、諭されなくても、了解済みである。
しかし、
<捜査>
には、迅速さも必要であろう。殺人に時効はないものの、時間が経過すれば、
<社会>
から忘れられ、そのうちに、歴史学等の
<研究対象>
等として、その性格が変転して行くかもしれない。
警察の仕事は、それこそ、
<社会の安全>
に資することであって、研究活動ではない。
「どのくらい、時間がかかるんだ?」
「さて、どのくらいかしら。まず、1か月経過したら、その時点で、康君のパソコンの電子メールに、勿論、個人のそれに、凍結状態で情報を送るけど、それで良い?」
「それなら、OKだ」
この件については、やはり、ある種の<越権行為>とも解釈し得る。だので、もし、上司の久川等に咎められたら、
「与えられた仕事のついでに、市民に協力要請をしました」
と弁解することにした。つまり、
「ガールフレンドに、何か怪しいものがあれば、情報として送ってくれるように言ったまでです」
といえば、良いだろう。
「でも」
と佳華が続けた。
「高田首相と土田長官の関係が分かったら、どのように動くの?」
「それはまだ、分からない。やはり、警察は組織だからな」
改めて、
<組織の論理>
を確認させられた玉井であった。
「だけど、良い提案をしてくれたことには感謝するよ。とりあえず、戸籍の情報を待つよ」
「OK、じゃ、作戦成立ね」
そう言うと、佳華は玉井を夕食に誘った。2人で話し込んでいるうちに、時刻は
・午後5時半
を回っていた。青空だったはずの空は暗くなり、星がきらめき始めている。
「そうしますか」
玉井は、佳華に同意し、2人は公園を出た。その後、2人は都内の和風居酒屋で夕食をとった。
寒い冬には、熱燗が美味い。周囲のざわめきの中、2人は夕食をとった。
「乾杯」
2人は、大いに食べ、飲んだ。
寒い公園の、半ば吹き曝しにいたこともあり、いつの間にか、身体はひどく冷えていたようである。勿論、そうした環境の下でなければ、先程のような話はできなかったからである。
熱燗に加え、店内の暖房が2人を温めるのみならず、周囲の賑わいもまた、2人を暖めるかのようであった。先程は2人だけだったからであろう。
雑踏のような店内の賑わいは
<社会>
の縮図のようなものであろう。店内には様々な会話が飛び交っている。
それらは、上司や会社の愚痴等々、又は、笑声であった。様々な
<日常>
の素の姿が、そこにはあった。
多くの人々にとって、
<組織の論理>
は、それこそ、
<素>
の自分を押し隠さねばならないものをも持っている。それが、
<日常>
ではあるものの、
<素>
の自分もまた、同時に、もう1つの
<日常>
であり、その各<個人>の毎日の生活の姿である。
玉井と佳華も、
<組織の論理>
を忘れて、
<素>の<日常>
となり、話は弾んだ。
但し、玉井はやはり、刑事である。自身が
<劉仁宏氏殺人事件>
捜査の一翼を担っている立場にあることは、くれぐれも口を滑らせないよう、注意していた。この件については、佳華も注意してくれているようであった。
2人は酔っている間に、時間が経過していった。
酔いつつも、玉井がスマートフォンにて時刻を確認すると、既に午後10時近くになっていた。
「さて、そろそろ、解散しましょうか」
玉井が提案した。
「そうね、OK」
「すみません、お勘定!」
玉井が近くの店員を呼んだ。
「はい、只今!」
店内の一店員が、振り返って、威勢よく返答した。その店員は、出入り口付近のレジに行き、合計代金を確認すると、レシートを持参し、玉井に提示した。
半ば酔いつつも、玉井はレシートを確認した。
・7500円
とあった。
「じゃ、これで」
と玉井は、1万円札を彼に渡した。
「かしこまりました」
店員は一度、レジに戻ると、お釣りの2500円を小さなトレーに乗せて、玉井に戻した。
「ありがとうね」
そう言って、玉井は、差し出された釣銭の2500円を自身の財布に戻そうとした。佳華が言った。
「これ」
彼女は、1000円札3枚をテーブル上に置いた。
「いいの?」
「うん、今日、楽しませてもらったし、喫茶店では、康君に払ってもらったし」
玉井は、3枚の1000円札をも財布にしまった。
「さて、行きますか」
玉井が席を立ち、佳華も席を立った。
この店は地下1階にあるので、入店時に降りて来た階段を上がらなければならない。玉井は階段上で、多少、ふらついた。それを佳華が支えた。
<捜査>
はまだ途上であり、事件の中心部に達していない。
「まだまだ、油断はならぬ」
という警告かもしれない。
身体が壊れてしまっては、何もできないであろう。
酔った状態に注意しつつも、冬の寒空の中、帰宅する2人であった。
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