第2話 遺体

2-1 遺体回収

 既に日が昇り、明るくなっていた現場ではあったものの、何かしら、雲のかかった空は、青空とはいえ、暗い、というよりは薄明るい、というべき感じである。冬の季節には良くある空模様であろう。

 これも一種の

 <日常>

だった。しかし、

 <日常>

を破る犯罪という

 <非日常>

の現場として、今、この場はあった。そして、

 <非日常>

に取り組むのが葵の

 <日常>

である。

 「さて」

 葵は一言、呟くと、河川敷にある劉仁宏の死体へと近づいて行った。

 <KEEP OUT 立入禁止>

の文字が書かれた黄色いテープで非常線が張られ、保管された、というか、切り取られた、とでも言うべき

 <非日常>

の現場へと、葵は入って行った。

 「お疲れ様です、山城警部補」

 既に現場を確保していた制服警官が敬礼した。

 「お疲れ様です」

 葵も返礼した。

 葵は捜査用の白手袋をはめつつ、改めて、劉仁宏の死体を見てみた。

 劉仁宏の死体は、現場であおむけになっていた。胸には黒く焦げた丸い穴があった。銃で射殺され、銃弾が貫通した弾痕である。

 葵は少々、顔をしかめつつ、又、表情を変えつつも、心中にてつぶやいた。

 「それでも、この前の藤村さん夫妻よりはマシか」

 何がマシなのか?

 1つには、ひどく損壊しているとは必ずしも言えないので、悲惨な死体にはなっていないとも言える。

 自身の息子に―藤村夫妻にも、自身の息子への接し方に責任と問題があったとはいえ―頭部を殴り潰される形で殺されたかの藤村夫妻よりは、まだ、ある種、

 <キレイな>

死体とも言えた。

 しかし、無論、犯罪の被害者として、悲惨な人生の終わり方をしたのは、間違いのないことである。

 その意味では

 <マシ>

などという言葉を使うのは、あまりにも不謹慎な話である。無論、葵も刑事として、というより、1人の女性として、このような無神経な言葉は口にしていない。

 しかし、それでも、

 <マシ>

だとすれば、劉仁宏の死体は、やはり、損傷が然程ひどくなく、又、射殺であることは半ば明らかなので、その弾痕を調べれば、どんな種類の銃が使われ、その背後に何があるのかが分かりやすいのではないだろうか、ということであろう。

 そうした意味では、

 <マシ>

であり、また、葵にとっても、警視庁内で出世し、警部補から、さらには、警部等への昇進もあり得る話かもしれなかった。

 刑事の仕事は、犯罪の犯人、容疑者を推測し、また、その仮説に基づいて、

 <逮捕>

というゴールに至ることである。当然、仮説を組むための、ある種の想像力は、重要な能力であり、刑事としての素質であると言えた。

 しかし、どうも、その素質は、今、この現場で、捜査のために使わなければならないにもかかわらず、何かしら、彼女自身の私生活の方へと向かっていたようなのである。

 どれは多分、油断すれば、彼女にとって、いらぬ干渉を加えて来ようとする毒母・真江子のことが、心中のどこかに、懸念してあるのかもしれない。

 「いかん、いかん、仕事の現場に来とんのに、何、考えとんのや」

 葵は、彼女自身を

 <刑事>

として、職業柄、

 <非日常>

を生きる女性としての立場に、彼女自身に戻るように、警笛を心中にて鳴らした。

 あるいは、 

 <毒母・真江子>

が心中に現れたのは、日々を<非日常>に取り組んで生きているが故に、

 <結婚>、<温かい家庭>

といった<日常>に何かしらあこがれている点もあったのかもしれない。その関連で、毒母・真江子が現れたのだろうか。

 しかし、捜査の現場にいる葵である。とにかく、眼前の仕事に集中せねばならない。

 葵は、改めて、傍らの巡査に声をかけた。

 「劉仁宏氏は、見ての通り、胸部を銃器で撃たれているね。凶器の特定はできているのかしら?」

 「まだです。おそらく、劉仁宏氏の御遺体を警視庁の警察病院に持ち帰って、弾痕等を調べてみませんと」

 「死亡推定時刻は?」

 「まだ、はっきりとはしませんが、やはり、昨晩から、今日未明にかけてでしょう」

 「得られていません。銃声等を聞いたという有力な情報等も入っていません」

 犯人の側は銃で、劉仁宏氏を殺害するにあたって、消音機付きの銃を使ったのかもしれない。何だか、国際テロ組織を題材としたミステリー小説のような話にさえ、思えて来た。

 「あるいは」

 劉仁宏の死体を前に、刑事の顔に戻っていた葵は、心中にて呟いた。

 「あるいは、なぜ、行方が分からなくなっていた劉仁宏氏は、この河川敷にいたのやろうか。何の理由からか。謎が謎を呼ぶって感じやね」

 考えているうちに、事件の奥行きが、葵の中で深まって行った。

 謎を解くカギとして、無論、

 <犯行動機>

も重要である。

 劉仁宏氏は、野党

 <民主労働党>

の有力議員であり、衆院議員であることは、周知の事実であった。

 まず第一に、考えられることは、その政治活動故に、ライバルの勢力、あるいは、政権与党の側から、憎まれていたのかもしれないということであった。

 いずれにしても、このことは、本庁舎に戻った後、捜査会議にて、色々と議論することになるであろう。

 改めて、葵は、傍らの巡査に話しかけた。

 「劉仁宏氏の御遺体を回収する車の手配は?」

 「既に、手配済みです。後、10分か15分ほどで、到着するとのことです。先程、私の無線に連絡が入りました」

 「お疲れさん」

 葵は、そう一言、巡査を労うと、またしても、心中にて呟いた。

 「それにしても、季節が冬やったんは、有難かった。これが夏の暑い盛りなんかやったら、死体が腐って、いよいよ、損壊がひどくなったやろうし、そうなったら、そうなったら、いよいよ、捜査を難航させることになったやろうな。せやから、今が冬でほんまに良かった」

 そうこうしているところに、赤色灯と回転させた警察車両がやって来た。劉仁宏の死体を回収し、運ぶための車両であろう。

 車は、現場近くに停車すると、サイレンを止め、2人の男性が下車して来た。

 「すみません、どうもお疲れ様です。警視庁警察病院の者です」

 軽く、会釈しつつ言うと、2人は遺体の場所を問うた。

 「こっちです」

 葵は、傍らの巡査が答えた。

 「了解です」

 2人の男性は、非常線をくぐり、劉仁宏の遺体に近づくと

 「すみません、皆さん、遺体を運ぶのを手伝ってもらえますか」。

 葵を含めて、青いビニールシートに寝かされていた劉仁宏の死体を現場の警官全員でシートごと、持ち上げ、力を入れて、河川敷を上ると、車の開かれた後部扉から、劉仁宏の死体を運び入れた。

 2人の男性は、

 「お疲れ様です。それじゃ、先にご遺体を警察病院を運んでおきます」

と言うと、運転席に戻った。車のエンジンが鳴り、車は、Uターンすると、

 葵は合掌しつつ、車両を見送った。周囲の地元民も、多くが合掌して、劉仁宏の遺体を見送った。

 「さてと、うちも警視庁に戻らんと。本件はまだまだ、これからや」

 心中にて、そうつぶやくと、葵は乗って来たパトカーに戻った。戻り際、

 「皆さん、お騒がせしました。今後も何かとお世話になることがあるかもしれません。その節は宜しくお願い致します」

と、一言挨拶して、パトカーに乗り込んだ。

 運転席の警官は、葵が助手席に乗り、シートベルトを締めるのを確認すると、エンジンをかけた。帰路は赤色灯が回ることもなく、サイレンもならない。所々、砂利道になっている土手の上の道を砂利を踏む音を鳴らしつつ、葵の乗るパトカーは警視庁本庁舎へと向かい始めた。

 「今回は、どんな事件になるんなろうか」

 葵はやはり、刑事たる女である。 

 

2-2 帰路

 帰路、葵は再び、自身のスマートフォンで、ニュース番組に見入っていた。

 葵が見ているニュース番組は、往路とは異なり、劉仁宏議員の実家の地域の状況を写し出していた。

 劉仁宏の実家があるのは、東京近くの関東の某県の中華街的状況になっている地区であった。

 ある女性がテレビ記者の質問に応えていた。

 「ええ、そうなんです、劉仁宏先生は私達のホープだった人なんです。私達は、ある種、移民出身だったとはいえ、この日本に定住していますからね。基本的に日本の人なんです」

 恐らく、国籍は、中国、台湾等、別の国、地域のそれなのであろう。しかし、国籍がない故に、日本での参政権がないのであろう。

 いつの

 <時代>

そして、どの 

 <社会>

においても、その<社会>の

 <方向性>

 換言すれば、

 <性格>

を決め、定義するのは、政治の役割である。その政治に参加できなければ、参政できない各

 <個人>

の生活と、対立、敵対しかねない

 <方向性>、<性格>

の社会が出現しかねない。

 無論、葵は日本国籍であるから、国政、地方を問わず、参政権を有していることは言うまでもない。しかし、

 「せやけど」

と、葵は心中にて思うものがあった。

 正直に言えば、大学に入る迄、然程、学業成績の良い学生ではなかった彼女ではあったものの、学校の歴史の時間等で、

 「家制度によって財産権を厳しく制限され、半ば、『男』に支配された女性には参政権もなく、厳しい差別に置かれた実態があった」

という授業内容を覚えていた。

 毒母・真江子の一方的な

 <強いおすすめ>

 つまりは、

 <毒母的価値観の強要>

が嫌で、大学卒業後、警視庁の警察官となり、京都から東京へと移住して来て、自身の人生を生きて来た葵である。

 葵は、思わず、心中にて思った。

 「もし・・・・・」

 何が、

 「もし」

 なのか、つまりは、仮定の話なのか?

 「うちが、戦前に生まれて、戦前の女性やったら?」

 当然の如く、参政権すらない。女性に一方的に差別することを是とする 

 <方向性>

としての

 <社会>

において、警察に女性のポスト等はなかっただろうから、現実の自分とは異なり、警部補の階級はおろか、警察官そのものにさえなれていなかったであろう。

 そして、毒母・真江子の

 <強いおすすめ>

の下、好きでもない男と見合いをさせられ、

 <嫁ぎ先の≪家≫>

 <所有物>

のようになったかもしれない。

 そうなったならば、葵は、日々、悶々として、怒りと悔しさにさいなまれる日々を送っていたかもしれない。

 葵は、比較的、自己主張をはっきりする性格である。故に、現実の人生において、自身の意志で試験を突破し、警視庁に入庁、警察官になったのである。

 故に、そうした性格も相まって、怒りと悔しさにさいなまれていたであろうことは、全く明らかに思えた。

 しかし、現実は、そうではなかった。そうではないのは、葵が21世紀を生きる女性であるからである。そして、少なくとも、制度上では、男女平等の参政権が確立されているからとも言えた。

 「せやから」

と、葵は心中にて、つぶやいた。

 「定住して、日本語が話せ、税金を納めているのに、参政権がないことで、定住外国人の方は困ってはる面も、当然あるんやろうな」

 自身のシミュレーションを

 <女性>

から、

 <(定住)外国人>

に置き換えれば、想像のできない話ではなかった。

 スマートフォンのニュースがは、地元の人々へのインタビューを続けていた。

 「ええ、そうなんです。私等、定住外国人はいまだに、地方参政権すらないでしょう。だから、日本国籍をとって、帰化したとはいえ、私達の声を、この国の現実の政治に届けてくれる存在だったんです」

 さらに、テレビ記者は、他の男性にもマイクを向けた。彼は、先程迄、取材を受けていた女性の傍らで、何かを言いたそうな表情を浮かべていた。

 「劉仁宏さんは、彼女も言うように、私達のホープだったよ。真面目に納税もしているのに、国籍がないというだけで、参政権がない。ある意味、不利益を被ることでいっぱいだ。新しい商店街の拡張と商売の繁盛のために、拡張工事の話が、持ち上がっているんだが、日本の人たちとその計画について、もめたことがあったんだ」

 記者が聞き返した。

 「どんなことでもめたんですか?」

 「各々の店舗をどこに配置するか、とかだね。店の場所も、集客などに影響するからね」

 「そうだったんですね。それで、その問題は解決したんですか?」

 男性は悔しげな表情をにじませつつ、言った。

 「それが、結局は、日本の人たちの都合の良い形で、計画は決まってしまったんだ。我々としては、地元の市議会議員等にも請願等をしたんだが、結局、選挙の時、票にならないもんだから、俺たちの意見や主張は、結果として、相手にされなかったんだ」

 「そうですか」

 記者の声も、現場の定住外国人の切実な声に同情せざるを得なかったのか、何かしら、嘆息交じりになったように聞こえた。

 テレビカメラは、その地区の風景を写し出している。

 中華風の家や店舗が多いその地区には、新年を祝う

 <新年快楽>

のような標語が門戸等に張り付けてある他、

 <萬事如意>

といった標語もあった。

 <萬事如意>

 つまり、

 <すべては、意志のままに>

という意味ではあるものの、既に日本の

 <社会>

において、

 <意志のままに>

になっていない面が多くあるのだろう。無論、

 <あらゆるものが全て、意志のままに>

とはいくまい。しかし、多くの面で、

 <意志のままに>

行かない定住外国人の苦悩は、シミュレーションの世界にふけっていた葵には、理解でき

るような気がした。 

 そして、現実とあまりにギャップのあるのであろう

 <萬事如意>

の標語は、何かむなしく、というか空々しい

 <祈祷>

のようにも思われた。もっとも、そもそも、

 <萬事如意>

の標語は、一種の祈祷の言葉かもしれない。

 しかし、皆、

 <良き明日>

を願って、祈祷するのである。<祈祷>の内容が、いつまでも、現実の<社会>において

具現化できなければ、それこそ、空しいばかりである。

 日本の伝統行事としての<初詣>等も、<良き明日>の具現化を願って、祈るのである。

葵も、都内の神社に、1月3日、初詣に行った。それは勿論、 

 <良き明日>

の具現化を願ってのことである。

 そうこうしている間に、葵を乗せたパトカーは、都内中心部の渋滞に巻き込まれて行っ

た。年が明けた都内は、早くも、活気を取り戻していた。

 多くの自動車が、車道を血液のように流れている。歩道には、コート等で着ぶくれして

いる人々がせわしく行き来している。こうした光景は、年末年始で、別に何ら変わるもの

でもない。全く

 <日常>

の姿であった。

 <日常>

の中を往来している人々を眺めつつ、葵は、運転席の巡査に、銀座の和光近くで停車する

ように言い、そこからは、歩いて、桜田門迄向かうようにした。外を少し歩くことで、外

の空気を吸ってみたくなったのかもしれない。

 あるいは、パトカー車内という狭い空間の中で、シミュレーションをしているうちに、

彼女は自身で自身を息苦しくしていたのかもしれなかった。


2-3 歩道にて

 パトカーを降りた葵は、コートで着ぶくれした人々の往来の中を、自身もある種、着ぶ

くれして歩いた。歩道の所々で、テレビ記者が人々に何かをインタビューをしている姿が、

ここ銀座でも見られた。銀座はむしろ、そうした姿がよく見られる地区である。

 葵が和光の前まで来た時、あるテレビ局の記者が、2人の若者にマイクを向けていた。

まさに、今回の劉仁宏衆院議員殺人事件についてであった。

 1人の若者の男が、得意気に、記者のマイクに向けて答えていた。

 「ま、劉さんが殺されたのはかわいそうだけど、外国人参政権だなんてね。日本には日本の国益というものがあるんだ。それを、それこそ、外国人参政権だなんてね。ま、仕方がなかったんじゃない」

 偶然、信号待ちのために、立ち止まっていた傍で、この男の

 <持論>

を聞いていた葵は、一瞬、怒りの表情になって、眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せた。そして、一瞬とはいえ、振り返って、その男をにらみつけた。

 その男が、葵の表情に気づいていたかどうかは分からない。

 しかし、一瞬のこととはいえ、葵は内心で怒鳴った。

 「何が仕方ない、や!人間の命は皆、大切やし、皆、生活者として、人権が保障されるべきやろ。だいたい、殺されて、悲惨な思いをしている人のこと、考えたことがあるんか!」

 若い男は、葵の内心の怒声に気づいてたかどうかは分からないものの、ある種の

 <持論>

を述べ終えた。 

 テレビ記者は、

 「ありがとうございました」

と、取材協力に対し、月並みな礼を言うと、

 「あの」

と葵の方に声をかけて来た。再び、振り返った葵に対し、長い棒の先に取り付けられたマイク等が一斉に向けられた。

 「すみません、私、テレビ○○の者ですけど、今回の劉仁宏衆院議員殺人事件について、ご意見をうかがいたいんですが」

 女性のテレビ記者である。同じ女性として、葵の先程の一瞬の表情に気づき、先程の若い男とは異なる意見を取材できると考えたのかもしれない。あるいは、マスコミを仕事とする者として、職業柄、性別とは無関係に、葵の表情に気づいたのだろうか。

 「すみません、私、ちょっと、急ぎますので」

 葵は又、月並みな断りの台詞で、取材を断り、青になった和光前のクロス交差点を渡り出した。

 先程のパトカー内でのシミュレーションに半ば耽溺していた葵のことである。それこそ、半ば、興奮状態にもなっていた。

 <理性のタガ>

というものが外れて、先程の若い男を本当に怒鳴りつけるかのように、彼女自身の

 <持論>

を展開するかもしれない。

 しかし、葵は、刑事として、今回の事件という

 <日常>

の中の

 <非日常>

の関係者の一員であり、本件については、

 <犯人逮捕>

という形での

 <非日常>

が解決するまで、それこそ、一般的いうべき、

 <日常>

にさらしてはならないのである。その点については、彼女は、職業として、外すことのできない一線だった。

 「しっかりせいや、山城警部補!」

 自身の氏名の後に、

 <警部補>

という階級をつけて、自身の名を呼ぶことによって、葵は彼女自身に注意を促した。

 階級付きで自身の心中にて、口にしたのは、自身がそれこそ、職業上、

 <非日常>

を生きねばならない警察官であり、それが同時に、自身の 

 <日常>

なので、油断はならない、という自身への注意喚起であった。

 和光の正面にある大型スクリーン、あるいは、銀座のマリオンにあるスクリーン等は、盛んに、

 <劉仁宏衆院議員殺人事件>

を報じていた。犯罪という

 <非日常>

が、日々の変哲なき生活という

 <日常>

の中の盛んに入り込んで来ていた。

 <政治>

 ことに、

 <国政>

は、日本という

 <社会>

全体を、強制力を以て、定義し得る力なので、劉仁宏の殺害は、

 <非日常>

でありながら、同時に人々にとっては、

 <日常>

についての問題とも言えた。先程の若い男の発言も、そうした人々の生活、すなわち、

 <社会>

の中から生じた

 <持論>

とも言えた。そして、葵の仕事は、警察官として、

 <非日常>

から、

 <日常>

を護り、安全を維持することである。そのため、一般市民にはない逮捕権も有しているのである。

 しかし、それは、彼女が、参政権を定住外国人に与えないことで、ある種、定住外国人を苦しめているとも言える政治権力の一員としての立場にいる、ということでもあった。

 それでながら、定住外国人をも含めた

 <社会>

の安全という

 <日常>

を護るべき立場にいる、という、なにかしら、矛盾した立場にいるのであった。

 色々と、考えながら歩いているうちに、いつの間にか、曇天になっていた空から、雪が降り、風に乗って、小雪が舞い始めた。

 「うわあ、雪や。鞄の中に折り畳み傘を入れて来ていて良かった」

 葵は、雪を降らせ始めた曇天を一瞬、見上げると、鞄から、折りたたみ傘を取り出し、自身の身体をかばった。

 「なんか、さっきから、色々、カッカとなっていたからな。少し、冷静になれって、天の神さんが、言ってくれはったのかもしれへんな」

 葵はマリオンの脇を通り、高速道路の高架を抜け、皇居方面に向かって歩いた。見れば、うどん屋の屋台-葵も時々、お世話になったが-が、今日も営業していた。数人の客がついていた。

 屋台の方から、カレー風味の良いにおいがして来た。

 葵は、改めて、空腹を感じた。屋台で、うどんでも食べていきたい感覚になったものの、とにかく今は、桜田門の警視庁本庁舎に戻らなくてはならない。

 カッカとした心中を冷静にしようとして、パトカーを途中で降りたものの、結果として、然程、冷静になれなかった。加えて、空腹を激しき思い知らされ、苦しめられる始末である。

 「あ~あ、日常にはあれやこれや、色々なことが起こるもんやね」

 改めて、

 <日常>

を思いしらされた葵であった。

 とにかく、自身の空腹を何とかしなくてはならないという現実の身体からの要求もあり、何かしら、歩くスピードが速まって行った。

 「本山警視に、まずは報告せねばならないから、自身の空腹を満たすんは、更にその後や。あ~あ、パトカーを降りたんは、失敗やった」

 そう思いつつ、千代田区を皇居に向かって歩き、さらに、方向を左に変えて、桜田門の警視庁本庁舎に向かう葵のスマートフォンが鳴った。捜査一課長・本山警視からであった。

 「あ、お疲れ様です、本山警視」

 「あ、山城君、もう、本庁舎に着くかね?」

 「はい、もう、庁舎のすぐ近くまで来ています。後、10分くらいで着くかと」

 「分かった、劉仁宏氏殺人の件で、合同会議があり、君に出席してもらう予定だ。急いでくれ」

 「分かりました、すみません、ご迷惑をおかけしまして、急ぎます」

 そう言って、本山との連絡を終えた葵は、本山に述べた通り、約10分後、警視庁本庁舎へと入り、捜査一課の自分の職場へと戻った。






 



 

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